八ッ場ダム本格運用開始、計画から68年 

 八ッ場ダム事業は3月31日に工期を迎え、本日4月1日から本格運用が開始されました。
 本格運用に伴い、国土交通省関東地方整備局の利根川ダム統合管理事務所のホームページに、他の利根川上流8ダムと共に八ッ場ダムの貯水率、流入量などの情報が掲載されるようになりました。
 https://www.ktr.mlit.go.jp/tonedamu/teikyo/realtime2/E007020.html#damdate2128927

 八ッ場ダムの直下には群馬県営の八ッ場発電所がつくられ、ダムからの放流水で従属発電を行うことになっていますが、発電所はまだ完成していません。
 そのほか、ダム湖周辺では、国土交通省が発注している工事でまだ終わっていない工事がありますが、国土交通省からの説明は公表されていません。

 関連記事を転載します。
 
◆2020年3月31日 毎日新聞群馬版
https://mainichi.jp/articles/20200331/ddl/k10/040/022000c
ー八ッ場ダム きょう完成 計画から68年 住民の胸中複雑ー

  八ッ場(やんば)ダムが31日完成し、4月1日から本格運用が開始される。計画浮上から68年の間、紆余(うよ)曲折をたどったダムの完成式典は新型コロナウイルスの感染拡大の影響で延期となり、水没地区の住民は、静かにその日を迎えようとしている。【庄司哲也】

 ダムを展望できる「やんば見放台」近くに移転した元消防署員、高山彰さん(66)は「本当に必要なものであれば、とっくに出来上がっていなきゃならないはず。必要がないからこんなに時間がかかるんだ」と話した。

 元は水没地区に住んでいた。2011年末にダムの建設再開が決定された後も移転を拒み続けたが、16年に「最後の住民」として移転に応じた。「住民はさんざん苦しめられた。このままとんとん拍子に事業を進めて良いのかという思いがあった」と当時の胸の内を明かす。

 3年前に建てた自宅のベランダからは、ダムを一望できる。今は介助が必要な兄と町外で暮らす。「毎日来ているけど、ここでの寝泊まりは1日だけ」

 民主党政権がダム建設中止方針を打ち出した09年。当時の町長、高山欣也さん(76)は「地元の事情はどうでもよく、『巨大公共事業ストップ』という分かりやすさから、政権交代の旗印にされた」と中止か事業継続かで揺れた当時をそう振り返った。2期で勇退し、今はダム湖を望む代替地に住む。

 当時は連日、長野原という町名ではなく、「八ッ場ダムのある町の町長」としてテレビの画面に登場。町役場には「なぜ、建設中止に反対するのか」といった抗議の電話が全国から寄せられ、矢面に立った。

 事業費は当初の2倍以上に膨れ上がり、当時は「無駄な公共事業の象徴」とされたが、結果的にダムの知名度は上がり、今では地域の生活再建や川原湯温泉の振興のための観光資源だと思っている。だが、胸中は複雑だ。

 「『有名になった』などと地元の人が言うのはいいが、関係のない町外の人には言われたくない。ここに残り、暮らす人たちの生活はこれからも続く。だから、完成式典なんて特別な日はなくていい。むしろ、静かでよかった」

◆2020年3月31日 朝日新聞群馬版
https://digital.asahi.com/articles/DA3S14424204.html?iref=pc_ss_date
ー八ツ場中止「時すでに遅かった」 沈む故郷、条件闘争奔走の元町長 ダム完成ー

 首都圏の水がめとなる群馬県長野原町の八ツ場(やんば)ダムが31日、完成した。戦後間もなくの計画から68年。公共事業の見直しを掲げた民主党への政権交代の象徴として、全国にその名が広く知られた。当時、混乱の渦中にいた元町長にとってダムとは何だったのか。

 2006年から町長を2期8年務めた高山欣也さん(76)は、ダムに沈み高台に移転した川原湯温泉の元旅館主。ダム建設の補償や見返りの地域振興策の交渉役を経て、町長に転じた。

 「マニフェストに書いてありますから中止します」。09年の政権交代で国土交通相に就いた前原誠司氏。初登庁でそう明言すると、地元は混乱を極めた。すでに水没を前提に補償額も決まり、移転も始まっていた。町外へ転出した人も多かった。「ダムで故郷が水没するのを良しと思う住民はいなかったが、時すでに遅し。もっと早く中止にしてくれていたら、みんな喜んで賛成しただろう」

  計画が浮上した1952年、高山さんは小学生だった。生活の場が水没するのは想像を絶する出来事だった。東京の私立大学に在学中、父要吉さんらダム反対派とともに、地元選出で後に首相になった福田赳夫衆院議員の自宅へ陳情に行った。「福田さんには政治家らしく、うまく言葉を濁された」。反対派は、同じく地元選出の中曽根康弘衆院議員を頼ったが、ダム建設の動きは止まらなかった。疲弊した地元がダムを事実上受け入れたのは、中曽根氏が首相だった85年だった。

 反対派の幹部だった要吉さんは自著でこう振り返っている。「(全国の反対運動を見ても)ダム建設計画が撤回されることはない」「ならば住民が討ち死にするような事態だけは避けたい」。建設を止められないなら、少しでも有利な条件を国から引き出そうと奔走した。高山さんも父に続いた。

 数十年に及んだ国や県との交渉で苦労した経緯を一夜にして無にするような前原氏の中止表明は認められなかった。地元の強い「建設中止反対」に直面し、民主党政権は迷走。中止は撤回され建設は続けられた。

 試験貯水が始まってすぐの昨年10月、ダムは台風19号で満水となり、地元住民が昭和の時代から思い描いていた「ダム湖を望む集落」は一夜にして現実になった。新型コロナウイルスの感染拡大で完成式典は延期になったが、高山さんはこう言う。「私の一生はダムに振り回されたが、水がたまって、けじめをつけられた気がする」(丹野宗丈)

◆2020年4月1日 上毛新聞一面
https://www.jomo-news.co.jp/news/gunma/society/203693
ー八ツ場ダム完成 きょうから本格運用 計画から68年ー

  国の計画発表から68年を経て、群馬県の八ツ場ダム(長野原町)が31日、完成した。水没地区の反対運動や民主党政権による工事休止などの影響で計画は長期化したものの、昨年6月に本体のコンクリート打設が完了、安全性を確認する試験湛水たんすいを経て、工事完了にこぎ着けた。1日から本格運用を開始し、群馬県や下流都県の利水や治水などに活用する。観光施設整備など生活再建事業の完了は2020年度に持ち越された。

 八ツ場ダム工事は1947年のカスリーン台風で利根川の堤防が決壊したことを受け、国が52年、建設調査に着手して始まった。建設を巡り、地元は「絶対反対」「条件付き賛成」「中立」の立場に分かれ、地域社会は分断。長年の闘争の末、計画の受け入れを決めたが、その後、人口流出に悩まされた。

 2009年に誕生した民主党政権下では、一転して無駄な公共工事と名指しされ、工事が中断されるなど混乱にも見舞われた。

 当初、00年度の完成が見込まれていたが、工期はたびたびずれ込み、事業費も当初の2.5倍の5320億円に膨らんだ。

 ダム本体のコンクリート打設は昨年6月12日に完了し、試験湛水が10月1日に始まった。3、4カ月かけて満水にし、堤体や貯水池周辺の安全性を確認する想定だったが、同12~13日の台風19号(令和元年東日本台風)の影響で同15日に常時満水位(標高583.0メートル)に到達した。安全性確認のため12月12日からは最低水位(同536.3メートル)を維持、試験湛水は今年3月9日に終了した。

 ダム機能が発揮できる状況が整ったことから、水をためる「貯留」を10日から始めた。31日時点の貯水率は29%となっている。

 ダムの完成を受け、同町の萩原睦男町長は「68年の長い歴史に区切りがついた」と安堵あんどする一方、地域振興施設の整備など23事業の完了が20年度中にずれ込んだことから、「本当の意味での完成まではあと1年ある。これからの街づくりも、力を合わせて乗り越えたい」と強調した。
 
  地元住民らでつくる八ツ場ダム水没関係5地区連合対策委員会の桜井芳樹委員長は「地元の再建といった課題が残っており、本体完成は一つの通過点に過ぎない」とし、今後は生活再建事業の進捗を注視するとした。

◎苦難顧み未来へ期待…ダム完成に地元住民
 工事計画発表から68年―。八ツ場ダムの本体工事が31日完了し、地元住民は感慨深く迎えた。一方、生活再建事業は工期延長で観光施設が未完のまま。新型コロナウイルスの影響で観光客が落ち込み、竣工しゅんこう式も見送られ、住民には期待と不安が交錯する。本体工事を管轄した国の八ツ場ダム工事事務所(同町与喜屋)は同日で廃止され、長い年月をかけた工事の終わりを象徴した。

社会面
工事事務所 看板下ろす
 「完成を迎えられて良かった。でもこれからが大変だ」。水没した川原湯地区で飲食店を経営し代替地に移った水出耕一さん(65)は完成を喜ぶ一方、地域の過疎化を懸念した。

 水没前の約160世帯のうち、代替地に移ったのは4分の1にとどまった。「予想以上に残る人が少なく、どうすれば快適に暮らせる地域になるか」と悩む。

 工事が長期化し町外に出た人も多い。川原湯から2006年に中之条町に転居した竹田博栄さん(90)は「30代の頃が反対運動の全盛期。ダム完成を迎えるとは当時想像できなかった。70年近い時間は長く、人生をまるっきり八ツ場に費やした思い」と振り返る。

 政治にも翻弄ほんろうされた。09年の民主党政権時に工事中止が宣言された。現地入りした前原誠司国土交通相(当時)に直接意見を述べた道の駅八ツ場ふるさと館を経営する篠原茂さん(69)=林=は「なぜ今になって工事中止なのかとスピーチした日を思い出す。とうとう工事が終わったという気持ち」と話した。

 約360年続く老舗旅館、山木館の15代目、樋田勇人さん(25)は「賛否両論あるが、先人たちが国としっかり交渉したおかげで注目度が高くなった。どう未来につなげるのか努力したい」と前を向く。

 ダム建設の指揮を執った工事事務所は現在地に開設して30年。完成を見届け、看板が取り外された。朝田将事務所長(46)は「土地を提供してくれた人や町、県、関わってくれた人たちへの感謝でいっぱい」。その上で「大きな事業ゆえに批判の声が出たのは事実で、技術的にどう対策を取るのか向き合った約70年だった」と振り返った。

◆2020年4月1日 産経新聞
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200331-00000011-san-l10
ー八ツ場ダム本格運用 新型コロナで旅館キャンセル、観光に打撃 群馬ー

  ■見放台閉鎖…ひっそり

 昭和22年のカスリーン台風がもたらした大洪水の被害を受け、建設が計画されてから約70年を経て、事業費5320億円をかけた八ツ場ダム(長野原町)が31日、完成した。1日から本格運用が始まり、下流地域での河川の氾濫防止や水道・工業用水の確保など重要な役割を担う。一方で、新型コロナウイルスの感染拡大の影響は周辺の観光地にも広がり、期待される地域活性化の妨げとなる恐れもある。(橋爪一彦)
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 ダムは高さ116メートルで、昨年10月から行われていた試験湛水は今年3月9日に終了。貯水池周辺の安全性が確認された翌10日から東京五輪・パラリンピック期間中の水不足などに備えて貯留を開始していた。

 地元にはダム建設中から見学ツアーなどで多数の観光客が訪れ、公募されたダム湖の名称は1月、「八ツ場あがつま湖」に決まった。しかし、新型コロナウイルスの感染拡大を受け、東京五輪・パラリンピックは1年延期に。県内で31日と1日に予定されていた聖火リレーも中止となり、ランナーがダム湖に架かる八ツ場大橋を渡る光景も見ることができなくなった。

 ウイルス感染防止のため、ダムを見渡せる「やんば見放台」や「川原湯展望広場」は閉鎖。観光客もまばらでひっそりとした状況が続く。

 埼玉県川越市から知人と訪れたダム愛好家の野本慧さん(31)は「巨大なダムの完成を見ることができ感激」と声を弾ませながら、「ダムカードをもらいに来たが、資料館が閉まっていて手に入らなかったのが残念」と話した。

 約800年の歴史がある川原湯温泉はダム湖底に沈み、住民や旅館は高台の代替地に移転した。しかし、新型コロナウイルスの影響はこちらにも広がり、かき入れ時の大型連休の宿泊者のキャンセルも続出している。

 ダム建設をめぐっては、水没地区を中心に激しい反対が続き、工期もたびたび延びた上、本体の着工目前だった平成21年には民主党政権が中止を表明した。これに対し、事業費を負担する群馬、茨城、栃木、埼玉、千葉、東京の6都県が反発。最終的に建設は再開された。

 24年に高台に移転した関政一さん(71)は「知り合いが多い代替地に住むことにした。ただ近所の住民は20戸だけで、しかも高齢者ばかり。寂しい」と嘆く。

 川原湯温泉協会の樋田省三会長は「ダムが完成したのは通過点に過ぎない。今までは国が面倒を見てくれていたが、これから少ない人数でどう頑張っていくかだ」と語った。

◆2020年4月1日 NHK
https://www3.nhk.or.jp/lnews/maebashi/20200401/1060006601.html
ー群馬県の八ッ場ダムが運用を開始ー

 建設の是非を巡って町を二分する対立が起こるなど混乱が続いた群馬県長野原町の「八ッ場ダム」が、構想からおよそ70年を経て完成し、1日から運用が開始されました。

「八ッ場ダム」は、昭和22年のカスリーン台風で利根川の堤防が決壊し、およそ1100人が犠牲となったことから、国が、東京や千葉、埼玉など、1都5県の治水などの目的で建設しました。
昭和27年に建設構想が伝えられると、地元の長野原町では建設の是非を巡って町を二分する対立が起こり、平成21年には当時の民主党政権が「コンクリートから人へ」をスローガンに建設の中止宣言をするなど、混乱が続きました。
この間、水没する地域の住民の移住や、鉄道や道路の付け替えなどの「生活再建事業」も行われ、ダムの総工費は国内で過去最高の5320億円にのぼりました。
しかし、移住対象の住民470世帯のうち、国が用意した町内の代替地に残ったのはわずか96世帯で、町の活性化を今後、どう進めていくのかが大きな課題となっています。
「八ッ場ダム」の運用が1日から始まるのを前に、長野原町の萩原睦男町長は、「ようやくダムの完成にこぎ着けることができましたが、まちづくりはこれからが本番です。今後はダム湖を中心に、近隣の町や村とも連携して観光事業を展開していきたい」と話していました。

◆2020年4月1日 JBpress
ー中止?建設?翻弄された八ッ場ダム、ひっそりと完成ー

 「建設中止」か「計画通り建設」か――10年ぐらい前に大きな議論が巻き起こった群馬県の八ッ場(やんば)ダムが、その後どうなったかご存じだろうか。実はきのう(2020年3月31日)ついに完成し、きょう(4月1日)から本格運用が開始されたのだ。ただし新型コロナウイルス感染拡大の影響で完成式典などは延期され、ひっそりとしたスタートとなった。

 ダム天端(てんば、ダムの最上部)への立ち入りや、多目的エレベータの一般見学者の利用も現状ではまだできない。

 八ッ場ダムのこれまで道のりは平坦なものではなかった。建設予定地に吾妻峡(あがつまきょう)という景勝地や川原湯(かわらゆ)という著名温泉街を含むことから、地元住民の強い反対運動が起こった。1952年(昭和27年)の計画発表から半世紀以上たち、やっとダム本体の工事が始まろうかという2009年には、政権交代した民主党によって八ッ場ダム建設中止が発表されて大きな騒動となった。その2年後に中止が撤回されて工事が再開し、ようやく完成の日を迎えたのである。

 八ッ場ダムがあるのは、草津温泉への入口として知られる群馬県長野原町。西から東へ吾妻川が流れており、それに沿ってJR吾妻線と国道145号線がある。吾妻線と国道はダムができると水没してしまうので、ダム湖を迂回するよう、高台に移し替えられた。ダム湖のほぼ中央には川原湯の温泉街があったが、旅館や住宅も移転した。

 2009年の騒動が収まると多くの人の関心が薄れていったが、再びスポットライトが当たったのが、去年の台風19号による豪雨だった。「八ッ場ダムがあった(貯水可能な状態だった)から利根川の氾濫が防げたのでは」という意見がネット上に出回ったのだ。

 実はタイミングよく10月から、ダム本体の強度や地盤の安全性などを確認するために、水を貯める試験を始めたところだったのだ。台風の豪雨によって吾妻川流域から流れ込んだ雨水をダム湖に貯め込んだことにより、予定より3カ月程度早く最高水位(満水)まで上昇した。

 八ッ場ダムの効果がどれほどだったのか。直接的ではないが、以下の数値が国土交通省から発表されている(https://www.ktr.mlit.go.jp/kisha/river_00000474.html)。八ッ場ダムを含む7つのダムに貯水したことにより、群馬県伊勢崎市付近の利根川の水位は約1メートル下がった(速報値)、と推定されるそうだ。

 ダムの貯水試験は、最高水位まで貯めたあと、今度は最低水位まで放水する。そうなった状態が次の写真だ。

  このような貯水の試験が3月9日に終了して、再度貯水を始め、31日に完成。4月1日から本稼働ということになったのだ。

 八ッ場ダムは「多目的ダム」であり、目的は治水だけではなく、発電も含まれている。ただ、工事中にトラブルがあったようで、今回発電機能は間に合っていない。

 ダムによって失われたものを惜しむだけではなく、それを前向きに活用しようという動きもある。

 前述したように、八ッ場ダム建設に伴って吾妻線の一部が廃線となった。この廃線のある東吾妻町(ダムがある長野原町の下流側に隣接)は、この旧線路を活用した観光用の自転車型トロッコを運行させる計画を進行中だ。5月の連休ごろの運用を目指しているが、実際に開始されるかどうかは新型コロナウイルスの状況次第と言える。

 計画が発表されてから68年という長い年月を経て完成した八ッ場ダム。このダムの価値をいま問うことは難しい。その答えは今後長い時間を経た後に見つかるのだろう。