八ッ場あしたの会は八ッ場ダムが抱える問題を伝えるNGOです

「ホハレ峠ーダムに沈んだ徳山村 百年の軌跡」(大西暢夫著)

 今年2月に東京・東中野のポレポレカフェで開催した「八ッ場ダムと石木ダム トークセッション」でお話を伺った大西暢夫さんの新刊を紹介します。

 映画監督・写真家の大西暢夫さんは、八ッ場ダムを含む全国のダム水没地の写真を撮り続けてきました。
 大西さんがダム問題を知ったきっかけは、生まれ育った岐阜県に2008年に完成した徳山ダムでした。八ッ場ダムの6倍、日本一の貯水容量を誇る徳山ダムを子ども心に自慢に思っていた大西さんは、中学校の体育館で徳山ダムの水没住民を描いた映画「ふるさと」(1983年、神山征二郎監督)を見て泣きじゃくり、「村がダムに沈むということが一体どれほどのことなのか、ことの重大性を映画から学んだ」そうです。

 新刊の「ホハレ峠」は、廃村になった徳山村に最後に残った一人のババ(廣瀬ゆきえさん)の生涯を描くことで、村をダムに沈めること、水没住民を立ち退かせることの意味を読者に問うています。大変重い内容ですが、読み終わった後に温かいものが心に残るのは、著者とゆきえさんの交流の温もりが読者にも伝わってくるからなのでしょう。晩年、一人暮らしになったゆきえさんは、大西さんが遠く東京からバイクで訪ねて来るのを心待ちにし、大西さんもゆきえさんの話を聞いたり、一緒にご飯を食べるのがとても楽しかったそうです。

 ゆきえさんの人生の軌跡は、徳山村、滋賀県、愛知県、北海道、長野県と苦労の連続だったようです。家を絶やさないために徳山村に戻ってきて、老人を介護し、子どもたちの学費を工面するために出稼ぎをし、残る人生、夫婦でつつましく自然と共に過ごすはずだったところにやってきたのが徳山ダムでした。
 著者に導かれるように、無名の生活者の苦難に満ちた人生を辿った後、本の表紙に目をやると、ゆきえさんの眼差しがじっとこちらに注がれていました。

彩流社サイトより
 https://www.sairyusha.co.jp/bd/isbn978-4-7791-2643-7.html
 
*内容紹介
 日本最大のダムに沈んだ村、岐阜県徳山村の最奥の集落に、最後の一人になっても暮らし続けた女性(ばば)がいた。
 奉公、集団就職、北海道開拓、戦争、高度経済成長、開発……時代を超えて大地に根を張り生きた理由とは。
 足跡をたどり出会った人たちの話から見えてきた胸をゆさぶられる民衆の100年の歴史――。
 映画『水になった村』(第16回地球環境映像際最優秀賞受賞。書籍、情報センター出版局刊)監督の最新刊!

*目次  (右下写真=新婚時代の廣瀬さん夫妻。「ホハレ峠」142ページより)
 プロローグ
第Ⅰ部 日本一のダムができるまで
  廣瀬ゆきえさんとの出会い
  徳山村、最後の住人の最後の日
  徳山ダム試験湛水
  静かな移転地

第Ⅱ部 徳山村、百年の軌跡
  廣瀬ゆきえ 幼年期
    門入での家族
    徳山小学校門入分校
    「綴り方」教室
    「頼母子」の相互扶助
    
    二泊三日の運動会
  はじめての滋賀県。海を見た
    養蚕と麻の栽培
    一四歳で夜中にホハレ峠を越える
    ボッカの大男
  はじめての巨大紡績工場へ
  結婚―開拓の地、北海道真狩村へ
  今井磯雄・敏子夫婦との出会い
  長男・陸男
  開拓団長・今井茂八に札幌で会えた
  国営のミハラ444農場へ
  橋本から廣瀬へ
  徳山村にダムがやってくる
  徳山村は命の大地
  ゆきえばばが、死んだ
 エピローグ

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◆2020年6月13日 朝日新聞
https://digital.asahi.com/articles/DA3S14511895.html?iref=pc_ss_date
ー(書評)『ホハレ峠 ダムに沈んだ徳山村 百年の軌跡』 大西暢夫〈写真・文〉

 ダムの底に沈んだ岐阜県揖斐郡徳山村。一五〇〇人ほど暮らしていた村民が次々と出ていく中、そのもっとも奥の集落・門入(かどにゅう)で、最後まで暮らしていた廣瀬ゆきえさん。

 山に入り、山菜を採り、日が暮れれば寝る。夫を村で看取(みと)り、たった一人で大地の恵みと呼吸するような生活に、強制的に終止符が打たれる。ダム建設に伴い立ち退きを余儀なくされた日、漬物小屋を解体する重機から目をそらすように遠くを見つめる写真が全てを物語る。「村の清流だった揖斐川の水が、自らこの大地を飲み込もうとしている」

 約三〇年前から村に通い、ゆきえさんと向き合い、その足跡を記録した。門入の住民は街に出るために、ホハレ峠を越えた。早朝に出たとしても着くのは夕方。わずか一四歳、家で育てた繭を運びながら峠へ向かう。峠の頂上から初めて「海」を見た。それは、初めて見る琵琶湖だった。

 北海道真狩村に嫁ぎ、やがて村に戻ると、山林伐採、ダム建設が忍び寄っていた。ダムの説明会に参加するだけでお金が支給され、集落の繋(つな)がりを巧妙に札束で崩していく国。「みんな一時の喜びはあっても、長い目で見たらわずかなもんやった。現金化したら、何もかもおしまいやな」

 転居した先のスーパーで特価品のネギを見て、「農民のわしが、なんで特価品の安いネギを買わなあかんのかなって考えてな。惨めなもんや」と漏らす。村を最後まで見届けたゆきえさんの人生は「点」でしかないが、その点は長く繋がってきた尊いもの。誰よりも本人がそのことを知っていた。

 台所で倒れ、亡くなったゆきえさん。口の中から一粒の枝豆が出てきた。ゆでた枝豆をつまみながら、ご飯を作っていたのだろう。時折さしこまれる写真の数々が、村の歴史、ゆきえさんの足跡を伝える。読みながら、本のカバーを何度も見返す。「現金化したら、何もかもおしまいやな」と繰り返し聞こえてきた。

 評・武田砂鉄(ライター)