球磨川水害 被災者の声を伝える記事

 7月4日の球磨川水害被災地の声を伝える記事を紹介します。
 菅官房長官をはじめ、球磨川支流の川辺川に巨大ダムを建設する治水対策が必要という声が大きくなってきましたが、球磨川では既存ダム(市房ダム、荒瀬ダム、瀬戸石ダム)によって水害被害が酷くなったという体験が語り継がれ、ダムによって河川環境が悪化することは必至であることから、川の恵みと共に暮らしてきた住民にとっては、新たな巨大ダムができれば水害を防げる、という単純な話にはならないようです。
 川辺川ダムはダム下流の人吉市、ダム建設地の相良村が2008年に反対を表明したことから、同年、蒲島郁夫・熊本県知事が白紙撤回を表明し、翌2009年の民主党政権による中止表明に至りました。しかし、ダム事業者の国土交通省九州地方整備局は2007年、当時の潮谷義子・熊本県知事の反対を無視して川辺川ダムを前提とした球磨川水系河川整備基本方針を策定し、川辺川ダムなしの河川整備計画がつくれない状況にあります。
 なお、川辺川ダムの総貯水容量は1億3300万㎥と、八ッ場ダム1億750万㎥より大規模です。
写真右=球磨川では川下りなどの観光業が盛ん。天然の鮎やウナギ漁に携わる川漁師も。2018年7月撮影。

◆2020年7月19日 熊本日日新聞
ー球磨村渡の小川さん夫婦 想定外の雨 間一髪脱出ー

天井裏から外壁破り 屋根上へ
 11年前、球磨村渡地区の水害常襲地帯の暮らしぶりを取材した元小学校技師の小川一弥さん(78)は、今回の豪雨で自宅の天井裏から外壁を破って脱出、間一髪で救助された。自宅の被害も深刻だ。それでも「川辺川ダムはいらない」と言い切る。

ダム治水には不信も
 小川さん方は球磨川の支流沿いで、14人が死亡した特別養護老人ホーム「千寿園」の対岸にある平屋だ。以前取材した時の自宅はより支流に近く、天井に家具を引き上げる開口部を設けた水害常襲地帯ならではの造りだった。取材直後に村の治水事業で現在地に新築移転、当時より地盤は2㍍以上高くなり、移転後は一度も水害被害がなかったという。
 だが今回は違った。7月4日朝、水位は経験したことがない勢いで上昇し、畳が浮き、家具が倒れた。急いで天井裏に妻典子さん(75)と避難。それでも水位は足元に迫った。
 「もう駄目だ。」 小川さんは長さ50㌢の鉄パイプを握りしめ、懸命に壁を叩いた。約30分間、固い外壁と格闘し、ようやく穴を開けて、かろうじて屋根上に脱出した。
 濁流はさらに勢いを増し、外壁の穴は間もなく水に浸かった。集落は7軒が水没。小川さん夫婦など14軒が屋根上などで助けを待った。しばらくして、近くのラフティング会社のスタッフがゴムボートで駆け付け、全員を救助してくれた。
 前回の取材は蒲島郁夫知事が球磨川支流の川辺川ダム計画の白紙撤回を表明し、国、県、流域自治体による「ダムによらない治水」の検討が始まった直後だった。だが、11年たっても、その治水策は方針すらも見えていない。
 小川さんは市民団体の会員として、川辺川ダム建設に反対してきた。過去の水害が「(既存の県営)市房ダムの放流で助長された」との不信感が、国や県が否定してもぬぐえないからだ。
「毎年のように想定外の雨が降る。ダムで調整できない雨が降ってあふれたら、より被害が大きくなるだけ。ダムがある方が怖い」と強調。今回の甚大な被害を受け、川辺川ダムの議論が再燃するのではないかと心配する。
 被災から約2週間たった17日、小川さん宅の屋根に流れ着いて引っかかっていた大型のトタン屋根が重機で取り除かれた。ようやく入れるようになった自宅は被災直後のまま。一面泥に覆われ、頭上の梁から断熱材や天井板が幾重にもぶら下がっていた。
 別の集落で住民が移転を前提にお別れ会を開いたという話も聞こえてくる。小川さん夫妻は自宅から古いアルバムを持ち出し、「もう川の近くに住んではいけないのかも」と寂しげにつぶやいた。(岩下勉)
 

◆2020年7月21日 西日本新聞
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/628025/?fbclid=IwAR3-m_jD7igkReV4It9xKOpbNZp89PUqEL46h5tkb3im9SaRJN6kmZFvzgU
ー”暴れ川”でも「恨めない」 アユ漁、川下り、旅館…再起誓う人々ー

 熊本県南部を襲った豪雨で氾濫し、大きな被害をもたらした球磨川。流域の住民たちは代々、この“暴れ川”と付き合い、川の恩恵を受けてきた。アユ漁、川下り、川面を望む旅館…。これまでとは桁違いの水害で壊滅的な打撃を受けながらも、やはり川とともに生きるべく、前を向こうとする人たちの姿がある。

 人吉市の吉村勝徳さん(72)は曽祖父から4代続くアユ漁師。川魚の王様と呼ばれるアユは球磨川を象徴する魚だ。例年400~500キロを取り、贈答用として県外にも発送してきた。

 お中元の書き入れ時を目前に襲った豪雨。過去にも水害に見舞われるたび、新しい漁場を見つけて再開してきたが「今回は川の流れ自体が変わってしまいそうだ」と懸念する。どこで漁ができるのか、どれだけ魚が残っているのか。再開のめどは立たない。

 「漁に出ないと飯が食えない。でも、自然の成り行きだから、受け入れないと」。吉村さんは自身に言い聞かせるように語った。
   ◆    ◆
 アユと並ぶ球磨川名物の川下り。運航会社「球磨川くだり」(同市)の船頭、藤山和彦さん(40)は20歳で船に乗り始め、10年前から船頭を務める。天候、水量、季節。日々、異なる川の表情に魅力を感じてきた。「こんな災害になるとは予想していなかった。悲しいです」

 運航する清流コース(4・5キロ)は今年2月までの1年間に約2万7千人が利用。新型コロナウイルスの感染拡大で2カ月近く運休し、5月下旬に再開した。

 予約が徐々に回復していたさなかの豪雨。全12隻が流されたり破損したりした。全て使えない可能性もある。終点から発船場へ船を運ぶトラックや乗客の送迎バスも浸水。川の地形が変わればコースの見直しも必要になる。傷ついた船を見つめていた藤山さんは、力を込めた。「お客さんが楽しんでくれる姿を励みに続けてきた。すぐには難しいけど、また船を出したい」
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 1934年創業で国の有形文化財に登録されている人吉旅館。客室21室全てが川に面し、部屋から眺める景色が自慢だ。アユやヤマメの刺し身や塩焼き、川の恵みで育まれた米など、料理の約8割は地元産品を使ってきた。

 旅館は1階天井まで水没し、磨き抜かれた床は泥に覆われた。それでも「球磨川を恨めない」。おかみの堀尾里美さん(62)は言う。

 堀尾さんは韓国出身。28年前に嫁いできた。つらいときは、川べりから水面を眺めた。「球磨川は父であり、母であり、うれしさも悲しさもいろいろな思いを受け止めてくれるような存在」。国境を超えて懐かしさを与えてくれる風景だと感じてきた。

 全国の常連客や旅館関係者から届く励ましの言葉にはこう返している。「必ず再起するから、営業再開したら遊びにきてください」。球磨川とともに、これからも歩んでいく決意だ。 (中原岳、中村太郎)

◆2020年7月22日 西日本新聞
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/628413/
ー「また水害なら…」揺れる“脱ダム”の街 再建にためらいもー

 治水策まとまらず10年
 熊本県南部の豪雨で、人吉市の中心市街地は球磨川の氾濫による浸水被害が広がった。泥水が引き、復旧作業が進む中、再び水害に遭うことを恐れ自宅や店舗の再建をためらう人もいる。「前に進みたいが、進めない」。球磨川最大の支流である川辺川へのダム建設中止以降、治水策は10年たってもまとまらず、街の未来が見通せない。「脱ダム」の街は揺れている。

 球磨川にほど近い市中心部の九日町。創業113年の時計・宝石店「宮山時計店」の店舗兼住宅は1階の店舗部分が天井まで水に漬かった。店主の宮山賢さん(51)の家族3人は2階の住居に逃げて無事だったが、2千万円分の商品は全て泥水にまみれ、売り物にならなくなった。

 宮山さんは棚も商品も撤去し、がらんとした店に立ち尽くし、つぶやいた。「また、いつか水害に襲われるんじゃないか」

 市中心部の最大浸水想定はハザードマップで5~10メートル。過去にも水害に見舞われ、国はリスク軽減に向けて川辺川ダム建設を計画したが、住民の反対もあり2009年に中止。国と県、流域市町村は新たな治水策の協議を続けている。

 宮山さんは「今後どれほどの大雨が降るかは誰も予想できない。緊急放流で一気に水が流れたらどうなるのか」とダム建設には消極的だ。ただ、「非ダム」の治水には巨額の費用と数十年単位の工期を要する。今回の水害が、一度は消えたダム計画を再燃させる可能性もある。

 考えが揺らぎ始めた人もいる。ダム慎重派だった男性(73)は自宅が床上浸水し「科学的、客観的に再検討し、ダムで水害が防げると分かれば、建設はやむを得ないのかもしれない」。濁流は1965年の大水害後にかさ上げした堤防を越えて襲ってきたという。

 自宅が床上浸水した女性(76)は「清流を守るためダムには反対だったが、もし川辺川ダムができていれば被害は少なかったのかも」と心中は複雑だ。

 日本料理店を営む佐藤勝則さん(61)は、店舗兼住宅が2階の床上90センチまで浸水し、柱や壁にカビが生え始めた。政府は被災した中小事業者を対象に復旧費の4分の3を補助する「グループ補助金」を適用する方針だが、佐藤さんは「被害が繰り返すかもしれないと考えると、どれだけ補助金があっても今の場所には建て替えられない」と話す。

 佐藤さんはダムによる治水には反対の立場だ。その上で、こう訴えた。「同じ場所に、今まで通りの街をつくり直すだけで良いのか。行政が一刻も早く治水のあり方を示さないと、街は復興の入り口にすら立てない」

(中村太郎、長田健吾)