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「ダムなき治水」行方は 国と地元調整進まず 豪雨被害の球磨川水系

 7月4日に発生した球磨川水害以降、球磨川支流の川辺川ダムに国が計画している川辺川ダムが再び注目されています。
 熊本県の蒲島郁夫知事は、2008年9月にダム計画の白紙撤回を表明し、翌年発足した民主党政権よるダム中止政策につながったことから、ダムに反対のように見られがちです。しかし、反対運動のあった県営・路木ダムの建設を強行し、川辺川ダムと同じく、国が推進してきた阿蘇の立野ダム建設は推進の立場です。球磨川にある(株)電源開発の瀬戸石ダムについても、ダム撤去を求める住民運動を無視して水利権更新を許可しました。
 川辺川ダムについても、2008年3月の知事選では、4人の対立候補がすべて建設に反対を表明する中、蒲島氏だけが態度を保留し、意見表明を半年先に先延ばしししました。ダム建設に反対する球磨川流域の人吉市、相良村の意見、県内世論を受けて、2008年当時は白紙撤回を表明したものの、ダム建設を復活させたい国交省九州地方整備局の意向に反して、本気でダムなし治水を追及する意思があるようには見えません。

◆2020年7月18日 西日本新聞
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/627284/
ー「ダムなき治水」行方は 国と地元調整進まず 豪雨被害の球磨川水系ー

 “暴れ川”どう治めるか
 熊本県南部を襲った豪雨の発生から18日で2週間。「数十年に一度の大雨」で甚大な被害が出た球磨川水系では、川辺川ダムの建設中止を受けて「ダムによらない治水」を11年間にわたり模索してきた。ただ、国が示す代案は多くの民家の移転や農地買収が必要なため、流域市町村の合意が得られず「5~10年に一度」の洪水も防げない状況だった。今回の豪雨を受け、蒲島郁夫知事は「ダムのあり方も考える」と従来の方針を軌道修正。“暴れ川”をどう治めるのか。喫緊の課題ながら、答えを見いだせない年月が続いている。

 緊急放流の基準水位まで、わずか10センチに迫っていた。4日午前11時、同県水上村の多目的ダム「市房ダム」の水位が280・6メートルまで上がった。緊急放流になれば、毎秒900トン程度の水が流れ込む恐れがあった。

 市房ダムを管理する県の担当者は「緊急放流されていれば球磨川流域の被害がさらに拡大していた可能性があったが、雨が小康状態になり、なんとか回避できた」。球磨川水系では流域6ダムの中で唯一、市房ダムが洪水防止機能を担っており、今回の豪雨では1230万トン貯水した。

巨額「100年事業」
 国が直轄する121河川のうち、河川整備計画が策定されていないのは3河川のみ。球磨川水系はその一つに入る。「ダムによらない治水」が定まらず、策定できなかったからだ。

 「80年に一度」の洪水を防ぐと掲げた川辺川ダムの建設中止を受け、国と県、流域12市町村で2009年に「ダムによらない治水を検討する場」を発足。ここで検討された堤防の補強や宅地のかさ上げ工事を実施してきたが、完了しても「5~10年に一度」の洪水までしか防げない。他の国直轄河川に比べて安全度が低いため、15年からは「球磨川治水対策協議会」で新たな対策を協議している。

 協議会は「20~30年に一度」の洪水への対策を目標とし、国交省は昨年6月、(1)堤防を撤去し、川幅を広げて新たな堤防を造る「引堤」(2)堤防のかさ上げ(3)遊水地(4)放水路(5)市房ダム再開発(6)河道の掘削-を中心とした10案を提案した。

 しかし、いずれも難点がある。国と県が負担する事業費は最大1兆2千億円に上り、工期は最低でも45年、多くが100年以上を見込む。民家の移転や用地買収も必要だ。流域自治体からは「大規模な移転が伴う案は住民の理解を得られない」「遊水地をつくれば農地が失われる」「予算や工期が現実的ではない」といった声が上がっている。

「新しいあり方」
 「今回の災害を検証し、どういう治水対策をやるべきか、新しいダムのあり方も考える」。08年の知事就任以来、ダムによらない治水を掲げてきた蒲島氏は6日、報道陣にこう述べ「いろいろなダムが存在する。水をどう効率的に流すか、そういうことを踏まえて検討したい」とも話した。

 一方、川辺川ダムに反対する同県の住民団体「子守唄の里・五木を育む清流川辺川を守る県民の会」の土森武友事務局長(58)は「近年は雨の降り方が激しくなっており、ダムで洪水を防げないケースも目立つ。増水している川に緊急放流する事態になれば、ダムが被害を拡大させる恐れもある」とくぎを刺す。

 熊本大の大本照憲教授(河川工学)は「特に人吉市周辺では球磨川に川辺川や中小河川から雨水が大量に流れ込むため、大きな被害になりやすい。流域全体で危機感を持って対策を考えなければならない」と語った。

(御厨尚陽)