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長野原町、浅間火山博物館を閉館へ

 長野原町が浅間山麓で運営してきた浅間火山博物館が今年度で閉館になると報道されています。

 長野原町は八ッ場ダムが建設された吾妻川流域と浅間北麓の高原地帯を抱えています。
 浅間山麓では過去の噴火の痕跡がみられ、特に1783(江戸時代天明3)年の大噴火の際に流れ出た溶岩がつくった自然の造形は”鬼押し出し”と呼ばれ、雄大な観光スポットとして人気を集めてきました。
 長野原町では1963年に鬼押し出しに浅間園を開園し、1967年には浅間火山博物館を併設しました。さらに1993年、この博物館を全面的に建て直し、ジオラマ施設を備えた博物館を新装開館しました。
 しかし、開館直後の94年度の入場者数26万5千人をピークに、その後は来館者が減少の一途を辿りました。新装に伴い、入館料が千円以上と、それまでよりはるかに高額となり、リピーターは殆どいませんでした。

 上毛新聞の記事によれば、維持費がかさみ、「年間1700万円ほどの赤字を町費で賄っている状態」であったということです。
 読売新聞の記事には、「年間で最大約3000万円の維持費がかかるが、火口から半径4キロ圏内にあるため、警戒レベルが3になると営業休止を迫られる。」と書かれており、博物館としては厳しい立地条件でした。
 長野原町が浅間園周辺の開発を計画した当初(1961年)、火口から4キロ以内であることを理由に観光施設の許可が下りなかったということです。以下の論文に当時の桜井武長野原町長の説明が紹介されています。1961年には許可が下りなかったものの、その後、国の方針が代わり、許可が下りたのでしょう。

 「戦後北軽井沢の観光開発をめぐる長野原町と観光資本」(老川慶喜)(57ページ) 
「国立公園部としては、最初は観光開発計画に対して非常な賛意を表して激励されており、見通しも明るかったのでありますが、偶々火山研究所よりの学者の意見が、浅間山は火山の性質上爆発の恐れがあり、噴火口を中心として半径四粁以内の地には危険があるから観光施設の認可はしない方がよいとの意見が出され、国立公園部でも之に応じない訳にはいかないので四粁以内には認可をしないことになつたのであります。」

★浅間火山博物館の公式サイト
 現在は、コロナ禍のため休館中。休館前の入場料は大人一人600円。
 http://www.asamaen.tsumagoi.gunma.jp/kazan.html

 長野原町は1965年に八ッ場ダム計画が再浮上して以来、反対闘争が続きましたが、水没住民は長年のダム闘争に疲れ果て、1992年にダム事業を正式に受け入れました。建設省と群馬県との協定締結に当たっては、当時の世相を反映したバブリーな地域振興策が提示され、その構想はダム予定地の吾妻川流域だけでなく、浅間山麓にも及びました。鹿島グループが提案した「浅間スポーツアリーナ構想」、”高原に海を、冬に夏を”をコンセプトとした一大リゾート計画は、浅間山麓にアクアドームをつくり、ショッピングセンター、ゴルフ場、スキー場などを併設するというものでした。
 計画の多くは実現せずに終わりましが、その発想は浅間火山博物館の豪華なジオラマ施設等に反映されていました。

◆2020年8月9日 上毛新聞
https://www.jomo-news.co.jp/news/gunma/society/232071
ー浅間火山博物館を閉館 年度内に長野原町ー

 群馬県の長野原町営浅間園にある「浅間火山博物館」(嬬恋村鎌原)が本年度内に閉館することが8日までに分かった。入館者の減少や、施設老朽化に伴う維持費が課題となっていた。現在は新型コロナウイルス感染防止対策で休館しており、再開することなく幕を閉じる。

◎地底の疑似体験が人気 今後は浅間山のビジターセンターに
 博物館は1993年に開館。地底が疑似体験できる設備や映像で火山の仕組みを紹介したり、触れる溶岩を展示したりしている。ピークの94年度は26万5000人が来場したが、浅間山の噴火でたびたび休園になったほか、観光客が低迷し昨年度の来館者は2万人超まで落ち込んだ。近年は修学旅行や見学旅行の子どもの来場が多くを占めるが、新型コロナの影響でこうした需要も見込めないため今年は4月に一時開館した後、休館が続いていた。

 2階建て鉄骨造り延べ床面積4000平方メートル以上あり、維持費も課題で、年間1700万円ほどの赤字を町費で賄っている状態だった。築27年が経過し屋根などの補修に加え、将来も維持する場合は数億円規模の改修が必要となる見込みだ。

 博物館の展示物の一部は同園内にある二輪車展示施設「浅間記念館」に移し、浅間山の「ビジターセンター」として生かす。二輪車の展示物は近くの浅間牧場で使用していない施設に移す。

 萩原睦男町長は「大きな施設を維持することは長年の課題だった。今後は登山道を整備しアウトドアを打ち出して魅力的な観光地にしたい」と話す。

◆2020年8月8日 読売新聞
https://www.yomiuri.co.jp/local/gunma/news/20200807-OYTNT50150/
ー浅間火山博物館閉館へー

 長野原町は、町営観光施設「浅間園」の中核施設「浅間火山博物館」を今年度で閉館することを決めた。入館者がピーク時の1割に減少している一方、展示設備の老朽化に伴って維持費がかさみ、改修にも多額の費用が見込まれるためだ。

 浅間園は1963年、嬬恋村鎌原の町有地に開園。浅間山噴火で生まれた溶岩台地・鬼押おし出しに遊歩道やキャンプ場が整備された。現在の浅間火山博物館(鉄筋2階建て、延べ約4400平方メートル)は93年、レストランや売店を備えて開館。観光客に浅間山の火山活動や自然を紹介している。

 しかし、博物館の入館者は開館翌年の94年度(26万5000人)をピークに年々減少。昨年度は8月に一時、浅間山の噴火警戒レベルが3(入山規制)に引き上げられたこともあり、2万3000人にまで落ち込んでいた。年間で最大約3000万円の維持費がかかるが、火口から半径4キロ圏内にあるため、警戒レベルが3になると営業休止を迫られる。

 町は5年前、浅間園の運営委託先を募ったが、噴火のリスクもあって決まらず、キャンプ場の運営だけが地元業者に引き継がれていた。今年度は新型コロナウイルスの感染拡大を受け、キャンプ場を除いて浅間園は休園とし、来年度以降の運営見直しを検討していた。

 博物館の閉館に伴い、山麓のジオラマや生息動物の剥製はくせいなど、火山博物館の一部展示品は隣接する二輪車展示施設「浅間記念館」に移設する。二輪車は浅間牧場の町有観光施設に移し、浅間記念館は登山客のビジターセンターとして活用する。浅間山北麓は日本ジオパークに認定されており、町は今後、シェルターなどを備えた登山道の整備を嬬恋村と検討する方針だ。

 萩原睦男町長は「閉館は残念で苦渋の選択。今後、トレッキングなどアウトドア活動に重点を置いて再出発させたい」と話している。