熊本県の蒲島郁夫知事は一昨日、川辺川ダムの建設を国土交通省に要請すると表明しました。球磨川の水害から4ヵ月しかたっておらず、今も復興作業に追われている現地では、大きな波紋が広がっています。
知事表明への反応について伝える記事をまとめました。八ッ場ダムを巡っては、現地では国策に批判的な意見には無言の圧力がありました。川辺川ダムについても、ダムの恩恵を受けない地域の首長や自治会長が早期の建設を求めるのは、政治的な意味合いがあるのでしょうか。
◆2020年11月19日 NHK熊本放送局
https://www3.nhk.or.jp/lnews/kumamoto/20201119/5000010603.html
ー建設表明にさまざまな反応ー
【豪雨被災地 人吉市では】
蒲島知事が流水型の新たなダムの建設を表明したことについて、7月の豪雨で人吉市の自宅が被害を受け、現在、夫婦ふたりでアパートを借りて暮らしている渕上憲男さん(80)は「生命財産と自然環境のどちらも守るという判断で安心した。70年余り住んだ愛着のある土地なので、早く戻りたい。ダムができるまで、ふたりとも元気でいられるかは分からないが、子どもや孫たちの笑顔が戻ることを期待して、ダムの建設に反対された方と協力しながら、今後の動きを見守りたい」と話していました。
【人吉市の旅館経営者は】
昭和9年から3代続く人吉市の老舗旅館「人吉旅館」を経営する堀尾謙次朗さん(63)は、蒲島知事が新たなダムの建設を表明したことについて「結論を出すのが早すぎで表明は残念です。もっと議論してほしかった」と話しました。
そのうえで、堀尾さんは「ダムの建設によって天然のアユなどがよく捕れる清流、川辺川の環境がダムによって壊され、観光資源としての川辺川が失われてしまうのではないか」と心配していました。
堀尾さんの旅館は、豪雨で21の客室のうち13室が浸水被害を受け、豪雨から4か月以上たった今も復旧の見通しは立っていません。
【五木村 元村長は】
ダムの建設で村の一部が水没する五木村の村長を去年まで3期12年務めた和田拓也さん(73)は、村がダムに翻弄されてきた歴史を振り返り、改めて憤りをあらわにしました。
和田さんは「12年前の知事の発言で、五木村はダムによらない振興を探らざるを得なくなった。しかし、ダム計画が中止になったわけでもなく、五木村の振興は宙に浮いたままで過疎が進み、非常に残念な思いがします。知事には先のことを考えて、治水対策や五木村の振興に取り組んでもらいたい」と話していました。
【仮設住宅で暮らす被災者は】
今年7月の豪雨で自宅が被災し、仮設住宅で暮らす人たちからはダム建設についてのさまざまな声が聞かれました。
このうち、84世帯が生活する「人吉市村山公園仮設団地」に9月から妻と2人で入居している高村隆次さん(69)は「ダム建設には反対です。アユ取りなどを通して先祖代々、川に親しんできました。まずはきれいな清流に戻すことが最優先ではないかと思います。」と話していました。
また、同じく9月から夫婦で入居した下川彌太郎さん(86)は「ダムができたからといって安心できません。予想を超える雨が降り、もし緊急放水してしまうことになったら、下流への影響は計り知れないかもしれません」と話していました。
また、妻の三代香さん(82)は「最初は賛成だったが今となっては分からない。一時的に災害を防げるかもしれないが、長期的に見てよかったといえるだろうか」と話していました。
【川辺川ダム建設促進協議会は】
蒲島知事が流水型の新たなダムの建設を表明したことについて、球磨川流域の12の市町村長でつくる「川辺川ダム建設促進協議会」の会長を務める錦町の森本完一町長は「苦悩の中、住民の生命、財産を守るため、流水型ダムの建設を英断されたことに感謝する。国や県には技術を駆使し、環境に配慮した日本一のダム建設をお願いしたい」とコメントしています。
【球磨川漁協は】
蒲島知事が流水型の新たなダムの建設を表明したことについて、球磨川漁協の堀川泰注組合長は「組合として知事の判断に賛成や反対を示すのは難しい。しかし表明された以上、命や財産を守ることはもちろん、球磨川、川辺川の環境、アユも大切にしてほしい。漁場の補償など懸案もあるが、まずは組合員に対して国や県から丁寧な説明をしてほしい」とコメントしました。
◆2020年11月20日 熊本日日新聞
https://news.yahoo.co.jp/articles/4fac8fc45a9a6ad5895aff03cafed54a6211fb22?page=1
ー川辺川にダム 流域住民の受け止めは 熊本県知事の転換ー
「現行のダム計画の廃止を求め、新たな流水型(穴あき)ダムを含む緑の流域治水に取り組む」。7月の豪雨災害から4カ月半。蒲島郁夫知事が、自ら主導した球磨川治水方針の大転換を表明した19日、流域住民らからは評価する一方、戸惑いや不満の声が交錯した。
川辺川ダム計画の水没予定地から村民が移転した五木村の頭地代替地。元村助役の田山種彦さん(81)は、自宅のテレビで知事の表明を見守った。
「五木はまたダムに翻弄[ほんろう]される。切ない、やるせないですね」。7月豪雨の被害の大きさから知事の考えも理解するが、心配なのは方針転換による村の行く末だ。「国や県と交わした約束はどうなるのか。村づくりに支障が出れば困る」
同じ代替地で暮らす会社経営の園田久さん(58)は、知事の決断を「時期尚早」と受け止めた。「川の流れを良くするためにできることは他にたくさんある。ダム計画の白紙撤回から12年で、やっと落ち着いた生活になったのに…。方針転換に失望した」と述べた。
県議会全員協議会の傍聴席で球磨川治水に関する蒲島郁夫知事の考えを聞く川辺川ダム建設反対派の住民ら=19日午前10時50分ごろ、県議会本会議場(高見伸)
現行計画のダム本体建設予定地である相良村。川辺川のそばでアユの養殖場を営む生駒浩一さん(58)は「データが示されていない以上、流水型ダムが川の環境にどれほど負荷を掛けるのか分からない」と戸惑った。
一方、村農業委員会会長の渡邊和夫さん(74)は球磨川流域の農業被害の大きさから、「ダム建設は妥当。環境に配慮したダムを求めたこともいい決断だ」と評価。球磨村観光協会の理事を務める大槻勝男さん(61)も「球磨村を含め流域の自治体で多くの尊い命が犠牲になった。治水対策は人命第一であるべきだ。知事の判断は評価したい」と話した。
市街地が浸水した人吉市。被災者らでつくる団体代表の鳥飼香代子さん(72)は、流水型ダムについて「技術体系がまだ未完成だと思う。生態系への影響も分からないし、実験の場とされるのでは」と懸念する。
球磨川下流の八代市坂本町の住民自治協議会で復興を担当する松嶋一実さん(73)は、蒲島知事が流域で重ねた30回の意見聴取に対し、「各地域で1回ずつ、代表者の意見を聴いただけ。もっと住民の声を聞き、慎重に考えてほしかった」。
八代市民らでつくるダム反対派団体代表の出水晃さん(76)は、既にある小規模の流水型ダムでも土砂堆積が問題化していると訴え、「なぜ、またダムなのか」と憤った。
ダム反対運動を長年続けてきた中島康さん(80)=熊本市西区=は12年前と同様、県議会本会議場の傍聴席で知事の表明を見守った。「現行計画の廃止を明言したことは評価できるが、流水型でも環境が守れないことを知事は分かっているのだろうか」。22日午後2時から熊本市国際交流会館で集会を開き、同市内で抗議パレードを展開する構えだ。
19日午前、自民党本部に近い東京・平河町の砂防会館に球磨川流域首長らの姿があった。そこでは「全国治水砂防促進大会」が開かれ、知事表明に呼応するかのように「流域治水」の推進をうたう大会提言を採択した。(熊本豪雨取材班)
◆2020年11月21日 熊本日日新聞
https://this.kiji.is/702699980812026977?c=92619697908483575
ー「ダムより日々の生活を」 熊本豪雨被災者、心の叫びー
「7月豪雨で甚大な被害を受けた-」。この4カ月余り、このフレーズを何度書いたことだろう。しかし、まだ4カ月。熊本県人吉市や球磨村などの被災地では、災害のつめ痕がさまざまな面で色濃く残り、被災者の生活に影を落とす。災害は今も現在進行形だ。
そんな中、突然浮上した川辺川ダム建設論議。人吉市に住み、災害発生当初からずっと被災者や被災地の取材を続けている身としては、正直「なぜ今なのか」と戸惑いを隠せない。地べたをはうように日常と格闘している被災者の現実とは別次元の、“空中戦”のような論議には正直違和感も覚える。
今は多くの被災者が前へ進もうとしている大事なとき。川辺川ダムは人吉球磨にとっての宝とも言える球磨川・川辺川の清流の命運を左右する問題でもある。結論を急がず、被災者にも落ち着いて考える時間や余裕が与えられるべきではないか。
「住民の生命、財産を守る」のは国や県、各首長の当然の義務。でも今やることは建設にも時間がかかるダムの論議ではないはず。被災した知人の言葉。「今、ダムが出来る、出来んて話はどがんでんよかと。被災者が困っとるのは今日、明日の生活ばい。そっばどぎゃんかしてほしか」。被災者の正直な本音であり、心の叫びである。(人吉総局・吉田紳一)
◆2020年11月21日 熊本日日新聞
https://this.kiji.is/702670113429587041?c=92619697908483575
ー人吉市長「より良い選択」 蒲島知事の治水案評価ー
川辺川ダムの最大受益地とされる熊本県人吉市の松岡隼人市長は20日、蒲島郁夫知事が表明した新たな流水型(穴あき)ダム建設を支持する考えを示した。ダム建設を含む「緑の流域治水」を「命を守るための抜本的治水と、清流を守るという自然環境への配慮が両立する。現実的かつより良い選択として受け止める」と評価した。
同日、同市下城本町の市役所仮本庁舎であった市議会全員協議会で表明した。川辺川のダム建設の是非について、松岡市長が考えを明らかにしたのは初めて。
松岡市長は、ダムによる治水対策について「さまざまな意見や思い、不信や不安があることも認識、理解している」とした上で「市長の最大の責務は市民の生命を守ること」と強調。流水型ダムを中心にした抜本的治水を流域一体で推進していく考えを示した。
また、「自然や景観への配慮」や「市民間で分断や対立が生じないこと」など、球磨川流域の治水対策を進める上で自らが設定したという課題を列挙。その上で「知事の提案は、設定した課題にも十分に合致している。知事の提案を流域全体で支え、私たちもその一翼を担うという意を強くしている」と述べた。(吉田紳一)
◆2020年11月20日 毎日新聞熊本版
https://mainichi.jp/articles/20201120/ddl/k43/040/219000c
ー川辺川ダム容認、熊本知事表明 流域住民、思い複雑ー
熊本県の蒲島郁夫知事が19日、川辺川ダムの建設を容認する方針を明らかにした。2008年の自らの「白紙撤回」表明から12年。7月の九州豪雨で本流の球磨川が氾濫し、甚大な被害が出たことで方針転換を余儀なくされた知事の判断には、川の恵みと暮らす人たちからさまざまな声が上がっている。【吉川雄策】
「生活守る選択肢の一つ」 7月豪雨被災 葉タバコ農家
「ダムに『賛成』とまでは言えないが、選択肢の一つと考えざるを得ない」。同県相良(さがら)村の葉タバコ農家、尾方伸輔さん(38)は悩ましそうに語る。熊本県は葉タバコの耕作面積が全国で最も広く、中でも相良村などの球磨地方は一大産地だ。川沿いの土地は栄養分豊富で、大きな葉を育ててくれた。
だが、7月の豪雨では球磨川だけでなく支流の川辺川でも水があふれ、川から約100メートル離れた尾方さんの2・6ヘクタールの畑のうち約2ヘクタールが泥をかぶった。4カ月半たった今も、村は復旧に向けた測量に取り組んでいる段階で、畑に約20~30センチたまった泥の除去にすら取りかかれていない。
7月は収穫の最盛期で、尾方さんも作業を始めたばかりだった。泥をかぶっていない約0・6ヘクタールの葉タバコは水につかりながら収穫して葉を洗って出荷したが、泥をかぶった畑の分はあきらめた。「1年の稼ぎがほとんど流された。直接の被害額だけで500万~600万円。流された農業機械の購入費用など復旧にも金がかかる」と頭を抱える。来年の作付けも厳しい状況だ。
高校卒業後、福岡県内で会社勤めをしていた尾方さんは6年ほど前、父の畑を継ぐため村に戻った。当初計画通りにダムが建設されれば、相良村と上流の同県五木村にまたがってダムができることになる。「ダムは、ないならないに越したことはない。ただ川から生活や命を守ることも重要だ」と思い悩む。
「地域の宝を壊すのか」 球磨川で4代 人吉・アユ漁師
球磨川漁協総代を務め、40年以上ダム反対を貫いてきた同県人吉市のアユ漁師、吉村勝徳さん(72)は今回の豪雨被害を受けても思いは変わらない。
曽祖父の代から続く4代目。球磨川とともに生きてきた。小学生の頃からアユをとっては売り、東京に出稼ぎに行っていた20代の頃もアユ漁の時期には地元に戻ってきた。「球磨川のアユは他よりも大きい。他県のアユ漁師からは、なぜこんなに大きくなるのかと羨ましがられる」と話す。
反対派は、ダムを造って川の流れをせき止めると泥が堆積(たいせき)して下流の水が濁り、アユなどの川の恵みに影響が出るのではと懸念する。こうした不安の声も踏まえ、蒲島知事は19日、貯水型の一般的なダムではなく大雨の時だけ水をためる「流水型ダム」での建設を国に求める考えを示した。だが吉村さんは、流水型ダムについても「穴に流木が引っかかって目詰まりが起き、水質が悪化する恐れがある」と反対の立場だ。
08年9月に蒲島知事が川辺川ダム計画の「白紙撤回」を表明した際、県議会で涙ながらに「球磨川という地域の宝を守りたい」と強調したことを振り返り、吉村さんは「あなたは地域の宝を壊すのですか、と言いたい」と語気を強めた。
◆2020年11月20日 毎日新聞
https://mainichi.jp/articles/20201120/ddp/041/040/008000c
ー熊本・川辺川ダム建設へ転換 再び割れる住民 安心のために 清流守れないー
「よく決断してくれた」「日本一の清流が失われる」――。7月の九州豪雨で氾濫し大きな被害をもたらした球磨川の治水対策として、熊本県の蒲島郁夫知事が出した結論は2008年に自らが「白紙撤回」した川辺川ダム計画の復活だった。県議会で19日にダム建設容認を表明した知事は、賛否を巡り長年にわたって地域を二分した「対立の歴史に決着をつける」と語ったが、流域住民の思いは複雑だ。【吉川雄策】
想定範囲外の自宅 浸水被害自治会長
市街地が広範囲に浸水し、20人が死亡、約3500棟の住宅が被害を受けた人吉市。城本(しろもと)町内会の城本雄二会長(71)は「仮に完成まで10年かかるとしても、その後の安心のためにダムは必要」と知事の決断を歓迎する。
城本町は球磨川から約450メートル離れ、市の洪水ハザードマップでも町内の大半が浸水しない想定になっていた。しかし、今回の豪雨で234世帯のうち、城本さん方を含む約100世帯が床上浸水。12年前には「ダムがあってもなくても自宅は浸水しないと思っていた」と語る城本さんは豪雨後、ダムが必要だと考えるようになった。
10月には被災後も町内に残った54世帯を回り、ダム建設を求める要望書への署名を提案。51世帯が賛同し、蒲島知事あてに提出した。
豪雨が発生した7月4日、避難を呼びかける防災無線で明け方目覚めた城本さんは、近くに住む高齢者に避難を呼びかけたり、車で避難所に連れて行ったりした。町内の住民の4分の1が75歳以上だ。
ダムだけで被害が防げるとは考えていないが、豪雨での経験から「1人暮らしの高齢者の中には、足腰が弱かったり、軽い認知症を抱えていたりする人もいる。ダムがあれば高齢者らが避難する時間が稼げる」と考える。
千寿園で救助活動 避難生活続く男性
人吉市内のマンションで避難生活を送る球磨村の市花保さん(50)は「時間も費用もかかるダム建設より、生活再建に注力すべきだ」とダム反対の立場だ。
人吉市出身の市花さんは、30代のころ隣の球磨村に移住した。豪雨では、自宅から約100メートル離れた球磨川の支流があふれ、平屋の自宅は完全に水につかり、勤務する村内の診療所も人吉市内の実家も床上浸水した。ラフティングのプロ資格も持つ市花さんは当日、ボートによる救助活動に加わり、入所者14人が亡くなった村内の特別養護老人ホーム「千寿園(せんじゅえん)」で女性計2人を助けた。
ダム建設に反対するのは、球磨川の美しい流れを守りたいという思いからだ。国土交通省が7月に公表した調査結果によると、ダム建設が予定される支流の川辺川は全国で水質が最も良好な河川の一つに14年連続で選ばれた。球磨川もアユ釣りやラフティングで人気だ。知事は「清流を守るため」、国に「流水型」でのダム建設を求める考えを示したが、市花さんは「流水型でも下をコンクリートで固めることになる」と否定的だ。川の土砂撤去や山林保護、遊水地整備などの対策を進めれば、ダムなしでも治水は可能と主張する市花さんは「清流が失われれば川とともに暮らす人が去り、今後の豪雨でもボートを出して高齢者を救える人がいなくなる」と訴える。
「英断に敬意」25人死亡の球磨村長
熊本県の蒲島郁夫知事が川辺川ダムの建設を容認する方針を県議会全員協議会で表明したことを受け、自民県連会長を務める前川收(おさむ)県議は「100%賛同する」と語った。前川県議は「どうやって地域を守り、自然環境を守るか。考え得る方法として高く評価したい。知事の決断が実行されるように与党の一員として後押しする」と強調した。
一方、立憲民主系会派の鎌田聡県議は「多くの県民が失望していると思う。豪雨からわずか4カ月で被害の検証も終わっておらず、ダムにかじを切ったのは拙速だ」と指摘。「ダムを持ち出すと地域に分断と混乱を作り出しかねない。ダムを除いた緑の流域治水を進めてほしい」と訴えた。
知事の決断に、長年にわたってダム問題に翻弄(ほんろう)されてきた流域の首長からはさまざまな声が上がった。
2008年に蒲島知事がダム計画の白紙撤回を表明して以降、水没予定地を活用した観光振興に取り組んできた五木村の木下丈二村長は「知事の判断を真摯(しんし)に受け止め、流域自治体としての役割を果たしていく」とする一方で、「歴史に翻弄され続けてきた村民の実情を考慮し、着実な振興が図られるよう願いたい」とコメントした。
ダム建設予定地の相良村の吉松啓一村長は「『生命財産を守り、清流川辺川を子々孫々まで受け継ぐ』という村民の要望が十分反映されているのか。今後知事に聞きたい」と複雑な思いをにじませた。豪雨で25人が亡くなった球磨村の松谷浩一村長は「知事の英断に敬意を表したい。生命財産を守り、環境にも配慮したダム建設のため、村として取り組みを進めていきたい」と賛意を示し、八代市の中村博生市長も「強く支持したい。住民同士が対立しないよう進めていかなければいけない」と語った。
ダムによる被害軽減効果が大きい人吉市の松岡隼人(はやと)市長は20日の市議会全員協議会で自らの考えを表明する。【山本泰久、栗栖由喜】
観光に配慮を 「水没の村」宿支配人
当初予定通りの場所にダムが建設されれば、村中心部がダム湖に沈むことになる五木村の住民は再び翻弄(ほんろう)されることになる。知事の「白紙撤回」後、村は自然を生かした体験が楽しめる「アウトドアフロンティア」を掲げて観光に力を入れ、19年4月には水没予定地の川辺川沿いに宿泊施設「渓流ヴィラITSUKI」もオープンした。
普段は川の水がそのまま流れる流水型ダムになったとしても、大雨時に水がたまることには変わりない。知事は県議会で、近く五木村を訪れ「地域を翻弄してきたことへのおわびと、村の振興に向けた決意について直接伝えたい」と語った。ヴィラITSUKIの仮山常雄総支配人(55)はダムについて「賛成でも反対でもない」と断った上で「高齢化する林業や農業に続く柱が観光業だ。知事は村の観光のあり方について配慮してほしい」と訴えた。【吉川雄策】
◆2020年11月19日 西日本新聞
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/665679/
ー川辺川ダム水没予定地の熊本・五木村は…移住の男性「魅力発信し続けるしか」ー
蒲島郁夫知事がダム建設容認の方針を表明した19日午前、熊本県五木村の川辺川沿いに昨年4月オープンした宿泊施設「渓流ヴィラITSUKI」では、総支配人の仮山常雄さん(55)が宿泊客の朝食の後片付けに追われていた。ニュースを聞いても「これまで通り、目の前のお客に100パーセント満足してもらうよう努力するだけです」と前を向いた。
施設があるのは、かつて役場や学校、家々が並んだ場所。1966年に発表されたダム計画で水没予定地となり、公共施設や住宅は高台に移転。村は2009年の計画中止後、県の支援で観光振興を進め、宿や公園、バンジージャンプの施設を整備した。08年に12万人だった観光客は17万人前後に増加。だが新たに計画されるダムの規模によっては移転せざるを得ない。
鹿児島県で観光施設や民泊NPOの運営に携わっていた仮山さんは、自然豊かな村の観光に将来性を感じて19年2月に移住。ダムについては「以前の村の苦しみは知らず、是非を評価する立場にはない」とした上で、「多くの人にこの村のリピーターになってもらえるよう、魅力を発信し続けたい」と話す。川を望む全室離れ形式の宿は来年1月まで週末は満室が続く。
◇
古くからの住民の受け止めは異なるようだ。ダム計画の発表から半世紀余り、翻弄(ほんろう)され続けてきた。一時は村を挙げて反対したが、1981年に水没者3団体が補償を受け入れ、水没予定地に暮らした約500世帯は村内外に移転。人口は約千人にまで減り、高齢化率は48・8%に及ぶ。
高台の代替地に暮らす元村職員の犬童雅之さん(84)はダム容認に転じた蒲島氏に対し「10年以上ほったらかしにして今ごろ建設だなんて、村には迷惑な話。無責任だ」と憤る。ダム対策室長や助役を務め、問題に揺れる村の再建に奔走してきた。しかし、中止が決まった途端、国は代替農地や村道の整備などをやめたという。
少年時代は川辺川で泳いだり、ウナギやアユを釣ったりして遊んだ。水没予定地の生家の写真は、移転後も和室に大切に飾っている。「昔の村に戻してほしいけれど、もう無理な話。せめて知事は(ダムを白紙撤回した)当時の判断を間違いだと認めた上で、村を振興する責任を全力で果たしてほしい」 (中村太郎)
◆2020年11月20日 西日本新聞
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/665842/
ー「治水に期待」「結論早い」 再び分断か、割れる民意 豪雨から4カ月ー
蒲島郁夫熊本県知事による19日の川辺川へのダム建設容認表明を、球磨川流域の住民らはさまざまな思いで受け止めた。豪雨から4カ月余り。治水効果に期待する一方で「流水型ダムでも清流は守れない」と批判も。再び地域の分断を招かないか心配する声も聞かれた。
「住民の命を守るためには、ダム建設はやむを得ない。良い決断だった」。ダム治水の最大受益地とされる人吉市。自宅が浸水した中村良郎さん(73)は「復興に向けスピード感を持って動きだしてほしい」と前向きに捉えた。
葉タバコ畑が被災したあさぎり町の農業岩本道男さん(60)も「少なくとも避難できる時間は稼げ、下流域の被害軽減が期待される」と賛成。ただ、早急に行う治水策として知事が示した遊水地に対しては「町内は優良農地ばかり。後継者も多く農家の理解を得られない」と警戒する。
球磨村の自宅が2階まで浸水し、村内の仮設住宅で暮らす上蔀忠成さん(46)はダム建設には反対しない。ただ、集落再建を優先すべきだとの考えで「宅地のかさ上げなど被災者の生活再建、すぐ避難できる安全な場所の確保が先だ」と強調した。
流域12市町村長は、人吉市と相良村を除いてダム容認の姿勢だが、反発する住民もいる。蒲島氏がダム計画の白紙撤回を表明した翌2009年、専業漁師に転身した相良村の田副雄一さん(50)は「治水ダムでも環境面のデメリットの方が大きいと訴えてきただけに残念。川辺川の水質保全は難しい」。住民団体「7・4球磨川流域豪雨被災者・賛同者の会」の鳥飼香代子共同代表(72)=人吉市=も「球磨川の生態系を実験台にするつもりか」と憤る。
「民意の集積が足りず、賛成、反対派の対立が心配」と話すのは、同市の自宅1階が水没した林通親さん(71)。「ダムを造れば長い間取り壊せない。知事はもっと時間をかけて結論を出すべきだ」と言った。(村田直隆、梅沢平、中村太郎)
◆2020年11月21日 西日本新聞
https://news.yahoo.co.jp/articles/2682f9f481cfb05ea6f0108182295a3f39c1cbe6
ー自宅全壊でも「川がいとおしい」 川辺川ダム、揺れる被災住民ー
谷あいに注ぐ日差しを浴び、川面は光り輝いていた。豪雨災害から4カ月半。川沿いには解体を待つ家が骨組みを残す。復興のペースは自然の回復力には及ばない。
球磨川中流域、熊本県八代市坂本町の下鎌瀬集落。誰もが清流の恩恵を受けて育った。自宅の平屋が全壊した宮瀬勝士さん(65)は、被災してもなお「年齢を重ねるほど川がいとおしくなる」。片付けに追われ、県が開いた治水策の意見聴取会には参加しなかった。
その聴取会で得た「民意」で決めたとする19日午前の蒲島郁夫知事の意向表明。上流の川辺川へのダム建設容認を宣言するインターネット中継の画面に目を凝らしたが、途中で離れた。「自分たちの声が聞こえているとは思えない」。ダム建設を巡る議論はどこか遠い。
繰り返される氾濫に対し、流域では河道掘削をはじめ一部で対策を進めてきた。地元集落でも3メートルほど宅地がかさ上げされたものの、25軒のうち20軒が被災。「もう安全だと思っていたのは、油断だったのかもしれない」。不平、不満はのみ込むようにした。
そこから上流へ40キロ。西南戦争の翌年、1878年から続く人吉市中心部の球磨焼酎蔵元「渕田酒造場」。製造設備が水に漬かった社長の渕田将義さん(63)は、過去4回の被害を乗り越えた創業地からの移転を決めた。街から明かりや人影が消えるのは忍びない。だが今回の氾濫は想像を超えた。
不安はあった。幼少期に比べ、川底は年々土石がたまって浅くなっていた。「できる対策をなんで進めなかったのか」。足元の基礎的な対策を欠いた行政への不信は拭えず、「ダムができても水害は防ぎきれない」と言う。聴取会にも足を運んだが、ダムありきで進んでいると感じただけだった。
蒲島知事は意向表明で、意見聴取を通じて自身が感じ取ったという流域住民の川に対する「深い愛情」について触れた。特に印象に残ったのが「球磨川は悪くない」「清流を守ってほしい」と語る姿だと話し、命と環境の両立との考え方を導いたとした。
共鳴する流域住民もいる。川から約500メートル離れた自宅が初めて浸水したことで治水に関心を持った人吉市中心部の城本雄二さん(71)。新聞の切り抜きや資料を集めたファイルは6冊に及ぶ。環境負荷が小さいとされる「流水型ダム」なら多くが受け入れられると考え、町内会長を務めるエリアや周辺を回り、集めた51世帯分の署名を県に提出した。
流水型ダムという人の知恵で生み出した新たな構造物を配することで「人命と自然の調和を目指してほしい」と願う。犠牲を無駄にしてほしくはない、と考えるからだ。
アユ釣り客向けの宿を営む母を失い、知事の言葉をしっかり聞きたいと思っていたという球磨村の平野みきさん(49)。「ダムには反対だったけれど、環境が変わってきたのならしようがない、と自分を納得させています」。やむなく受け入れた住民は相当に多い。 (梅沢平、中村太郎)