昨年7月の球磨川水害の後、にわかに復活した川辺川ダム計画は、「流水型ダム」として環境への負荷が小さいとされています。しかし、実際は「流水型」の効果は未知数です。
2009年に発足した民主党政権下で国の川辺川ダムが中止されるいことになったのは、前年の2008年に、熊本県の蒲島知事が国に川辺川ダムの白紙撤回を求めたからでした。蒲島知事のこの白紙撤回声明を後押ししたのは、清流を守りたいという球磨川流域の民意と、ダム建設地の相良村、ダムの最大受益地とされる人吉市の首長によるダム反対でした。この時、相良村長であった矢上雅義氏は、現在は立憲民主党所属の衆院議員です。
新たに「流水型ダム」として復活することになった球磨川水系の巨大ダム計画の行方は、政治面では矢上氏の姿勢によって変わり得るのですが、新聞インタビューで見る限り、矢上氏はダム問題から距離を置こうとしているようです。蒲島知事も矢上議員も、本質的なダム問題に取り組む気はなく、2008年のダム反対は単なる日和見だったのでしょう。
野党第一党の立憲民主党が国の川辺川ダムの問題に真摯に向き合おうとしない姿勢は、かつての民主党政権の八ッ場ダムをめぐる腰砕けの延長にあるともいえます。政治が日和見に左右される限り、ダム問題解決の道は遠のくばかりです。
◆2021年1月13日 西日本新聞
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/681054/
ー流水型ダム容認「理解できる」 元相良村長・矢上氏インタビューー
昨年7月の豪雨で氾濫した球磨川流域の治水策について、元相良村長の矢上雅義衆院議員(比例九州)が西日本新聞のインタビューに応じ、蒲島郁夫知事が川辺川への流水型ダムの建設を容認した判断を「理解できる」と評価。環境への負荷をできる限り抑えると同時に、流域住民への丁寧な説明を求めた。 (聞き手=村田直隆)
-蒲島氏のダム建設容認をどう受け止めたか
「私は、川辺川ダムの建設予定地である相良村の村長時代にダムによらない治水を表明し、蒲島氏も同じ立場だった。そもそも特定多目的ダム法に基づく計画は、利水訴訟の国敗訴の確定(2003年)や電源開発の発電事業撤退(07年)によって法的に破綻していた。08年の『白紙撤回』表明は、その後始末をしただけだ」
「未曽有の豪雨災害を受け、行政として何らかの施策を打たざるを得ない。流水型ダムの建設を容認した蒲島氏の苦渋の決断は理解できる。一方、大きく方針転換したことに不信感を抱く流域住民もいる。ダムの具体的な治水効果や環境に及ぼす影響などを丁寧に説明してほしい。住民・団体の意見聴取会で出された意見を県のホームページに掲載するなど、情報公開も必要だ」
-国や県、流域市町村は10年近く「ダムによらない治水」を検討してきたが、効果的な治水策を実施できなかった
「蒲島氏だけの責任ではない。本気で取り組む意思があれば、市町村長が協力して遊水地や引堤の整備を進められたはず。ダムがなくても治水が実現できると示せば、ダムを基本政策とする国に弓を引くことになり、自己規制が働いた」
-国内最大規模の流水型ダムになる方向で、治水効果や環境に与える影響など未知数な部分もある
「環境に優しいとされる流水型ダムでも大なり小なり水質に影響はある。構造を工夫することでダム上流の堆積物を減らし、水質保全ができるかが重要だ」
-環境影響評価(アセスメント)実施も注目される
「すでに実施された特定多目的ダム法に基づく調査結果を生かして、一部手順を省略することも想定される。その場合も、専門家を交えた上で環境アセス法に照らし、必要な調査は丁寧に実施するべきだ」
-川辺川ダム計画の中止は民主党政権時代だった。立憲民主党の立場は
「民主党がダム反対運動に介入して中止に至ったわけではない。立憲民主党としては、地元行政の意向を尊重する」
-災害復旧では鉄道、特にJR肥薩線の先行きが不透明だ
「肥薩線は地域のシンボルで早期復旧が望まれる。自治体が線路などを保有して鉄道会社が運行する『上下分離方式』を導入するにも、沿線市町村の負担が大きすぎる。過疎地の幹線鉄道の災害復旧について、国も一定の責任を持った上下分離方式を考えるべきだ」
◆2020年12月23日 朝日新聞
https://digital.asahi.com/articles/ASNDQ6TLZNDDTLVB004.html
ー流水型ダムに「一定の理解」 矢上雅義衆院議員ー
【熊本】――蒲島郁夫知事は11月19日、川辺川に治水専用の流水型ダムを整備することを軸とした「緑の流域治水」を打ち出しました。2008年には相良村が建設予定地である川辺川ダム計画の「白紙撤回」を表明しています。どう受け止めましたか。
「私も相良村長時代にダムによらない治水を求め、蒲島知事と同じ立場でした。そもそも多目的ダムとしての川辺川ダム計画は利水訴訟福岡高裁での国の逆転敗訴(03年)や電源開発の発電事業からの撤退(07年)で事実上、法的に崩壊していました」
「蒲島知事が初当選したのは08年で、知事に責任はありません。知事がダムを止めたわけではなく、後処理をしただけ。知事がダムを止めたから洪水が起きたという批判はでたらめだ」
「私は相良村長になる前の1997年、多目的ダムの限界が見えていたことから川辺川ダムは治水専用ダムにした方がいいと建設省に申し入れた。流水型ダムを含めた蒲島知事の苦渋の決断は、一定の理解を示せる。ただ、大きく基本方針が変わった以上は、県民から誤解を受けることがないように流水型ダムの具体的な治水効果や球磨川に与える環境影響を丁寧に検証し、情報公開に全力を尽くしてほしい」
――蒲島知事の「白紙撤回」以降、国や県、流域市町村はダムによらない治水の検討を続けてきましたが、抜本的な治水策を実施できませんでした。
「知事だけの責任ではない。知事だけの努力不足ではない。理由は簡単です。ダムによらない流域治水を確立することは国土交通省を全否定することになります。ダムに頼らずに流域治水ができることを示すと、流域市町村長としては国交省に弓を引くことになる」
「市町村長がダムによらない治水対策で知事が何もしてくれなかったと言うのは本末転倒です。責任は市町村長にもある。市町村長が本気になれば、調整池や遊水地、堤防をひくといったことができたはずです」
――川辺川ダム計画は民主党政権時代に計画が中止された。立憲民主党としては。
「民主党ではダム事業の見直しというのが以前あったが、立憲民主党としては地域や地元行政の意向を尊重することになっています。今回の問題に党として介入することはない」(伊藤秀樹)
◇
やがみ・まさよし 1960年、相良村出身。衆院議員(比例九州ブロック、立憲)。93年に日本新党から衆院旧熊本2区で初当選、新進党に参加し96年衆院選で再選。2001年~08年に相良村長。17年の衆院熊本4区で比例復活当選。