八ッ場ダムの水没地は全域が遺跡でした。1783年、上流の浅間山の大爆発によって吾妻川を流れ下った天明泥流は水没地を厚く覆い、その当時の生活面を良好な状態で遺存させただけでなく、江戸時代より前の年代(縄文時代~室町時代)の遺跡も守る役割を果たしました。
八ッ場ダム事業では、1994年から八ッ場ダムの湛水試験が始まる2019年9月まで、60に上る遺跡の調査を行ってきており、出土した遺構遺物は膨大です。地元の長野原町では、八ッ場ダム3事業の一つ、利根川荒川基金事業の予算を使ってダム湖畔の林地区に発掘調査の成果を展示する博物館を開設する準備を進めています。
長野原町では浅間山麓の”鬼押し出し”に1967年、浅間火山博物館を開設しました。1993年にはジオラマを備えた豪華な施設としてリニューアルしましたが、入場料が千円以上と高額であったこともあり、来館者は減少の一途を辿り、今年度の閉館が決まっています。(参考記事➡「長野原町、浅間火山博物館を閉館へ」
新たに開設される天明泥流ミュージアムは、浅間火山博物館の役割をひき継いで、火山学習の拠点として活用することも目指しているとのことです。長野原町では2016年に嬬恋村と共に「浅間北麓ジオパーク」に認定され、地質学の観点からの学習も推進されています。水没地域で出土した遺物や遺構だけでも膨大な数に上りますから、新たな博物館はいくつもの役割を担うことになります。
今朝の上毛新聞には、ダム直下の八ッ場水力発電所も今年3月に完成すると報じられています。
◆2021年2月19日 上毛新聞 (紙面より転載)
https://www.jomo-news.co.jp/news/gunma/culture/274839
ー天明泥流ミュージアム 長野原町、4月開館予定 浅間噴火の遺物展示ー
群馬県長野原町が、1783(天明3)年の浅間山大噴火に関する展示施設「やんば天明泥流ミュージアム」(同町林)の整備を進めている。八ツ場ダム建設などに伴う発掘調査で出土した遺物を展示し、噴火時に発生した泥流にのみ込まれた周辺住民の暮らしを読み取れる内容とする。4月3日のオープンを計画し、火山学習の新たな拠点としても活用する。
当時の生活を再現 火山学習拠点にも
展示するのは約500点で、県埋蔵文化財調査事業団や町教委が1994~2019年に水没地区や移転代替地、国道などの工事の際に行った発掘調査で出土したもの。
噴火による「天明泥流」の被災地域の住民が使っていた食器や農機具、装飾品のほか、発掘された縄文時代や平安時代の土器、石器も並べる。泥流被害を今に伝える常林寺の梵鐘を、これまでの展示会場だった浅間火山博物館から移す。
館内には体感シアターも設け、コンピューターグラフィックス(CG)を活用した映像を上映する。調査成果に基づき、当時の村落の景観や人々の暮らしをよみがえらせる。
同施設は、地質学的な見どころの多い自然公園「日本ジオパーク」に認定された「浅間北麓ジオパーク」(同町、嬬恋村)に関連する施設にも位置付けられている。町教委は「天明3年の噴火当日の様子も知ることができ、火山学習の場にもなる」としている。
町によると、事業費は約20億円で、利根川・荒川水源地域対策基金を活用。一般開放する展示スペースは約800平方㍍ある。町民限定のプレオープンを3月26,27の両日に予定している。
—転載終わり—
写真下=天明泥流下から出土した復旧溝。1783年の浅間山大噴火によって吾妻川を流下した泥流に覆われた畑は、災害直後の農民の復旧作業(天地返し)によって蘇った。丸岩大橋(湖面橋)上流側の林地区中棚Ⅱ遺跡。背後の山は堂岩山。2017年7月5日撮影。
写真下=川原湯地区の上湯原。吾妻川にせり出した舌状台地のこの地では、天明泥流が2~3メートルの厚さで堆積していた。泥流下から寺院(不動院)や屋敷、畑の跡が出土。畑の畝の間には白い火山灰。さらにこの下に縄文時代の遺跡が眠っており、2019年のダム湛水前まで発掘調査が行われた。
写真下=川原畑地区の東宮。水没地の中で最初に天明泥流下から大きな集落跡が出土し、その遺存状態の良さが注目された。手前の土が露出しているところに最も大きな屋敷があった。発掘調査によって、噴火時に村人たちがこの屋敷に集まっていたことがわかっている。2008年8月25日撮影。