噴火とダム、時またぐ試練をつなぐ 「やんば天明泥流ミュージアム」開館

 八ッ場ダムの水没地は、1783年の浅間山大噴火の被災地です。
 1783年8月5日、大噴火の直後、吾妻川を泥流が流れ下り、水没地は全域が泥流に覆われました。このため、水没地域は全域が江戸・天明期の災害遺跡として発掘調査の対象となり、さらにその下には縄文時代から江戸時代初期までの遺跡が何層も重なっていました。

 今年4月3日、ダム湖畔に八ッ場ダム事業の発掘調査の成果を展示する博物館が開館しました。以下の記事は、博物館を通して水没地域の二度の悲劇を伝える内容となっており、記事末尾には、「もちろん町外からも多くの方に来てもらいたいが、地元で育った皆さんに真っ先に見てもらいたい。2度の試練に直面した、この土地で生きた人々の歴史を見て、郷土を誇りに思ってほしい」という博物館の館長の言葉が紹介されています。
 水没地域は半世紀以上に及ぶダム計画によって、住民の故郷への想いは断ち切られてきました。多くの住民が転出し、児童の減少が続いています。残念ながら共同通信配信と思われるこの記事は、地元ではなく、他県の紙面に掲載されています。

★天明泥流ミュージアム公式ホームページ
 ➡https://www.town.naganohara.gunma.jp/www/yamba-museum/

◆2021年6月30日 毎日新聞新潟版
ー群馬・長野原に天明泥流ミュージアム開館 八ツ場「2度の試練」知ってー 

CGで噴火再現 水没の校舎移築
 約1500人の犠牲を出した1783(天明3)年の浅間山噴火泥流の、被害家屋などを展示する「やんば天明泥流ミュージアム」が群馬県長野原町に開館した。展示物は、八ツ場ダム建設工事の際に発掘された遺跡が多い。1990年代からのダム建設で失われた学校の木造校舎も併設。「天災」と「移転」、八ツ場が受けた2度の試練を知ることができる。

 被害家屋の階段、おしつぶされた蚕のまゆが張り付いたうちわ、タバコが詰まったままのキセル…。当時の噴火の被害を、生々しく伝える約500点の史料。1994年からの八ツ場ダム建設工事に伴う発掘調査で広範囲から発見された。

 浅間山の噴火で発生した「土石なだれ」は、吾妻川で泥流となり、川沿いの村を襲った。2千軒を超える家屋が損壊し東京湾まで流された遺体もあったという。

 ミュージアムでは、噴火と泥流の被害を、コンピューターグラフィックス(CG)で再現した映像も視聴でき、平穏な暮らしが突如一変した様子がうかがえる。

 一方史料館の隣には、1990年代からの八ッ場ダム建設で水没した小学校の一部が移築された。1911年から2002年まで使われていた木造校舎の教室には、引き出しまで全て木製の学習机などが置かれている。

 移転対象だった470世帯のうち、国が用意した町内の代替地に移転したのは、2019年3月末時点で96世帯にとどまる。かつて温泉産業で栄えた町が長期間のダム建設事業の中で疲弊し、故郷での暮らしを諦め町外へ転出した住民が多い。旧校舎は、失われた町の記憶を刻んでいる。

 古沢勝幸館長(62)は「もちろん町外からも多くの方に来てもらいたいが、地元で育った皆さんに真っ先に見てもらいたい。2度の試練に直面した、この土地で生きた人々の歴史を見て、郷土を誇りに思ってほしい」と話した。

◆2021年7月5日 中日新聞
https://www.chunichi.co.jp/article/285105
ー噴火とダム、時またぐ試練をつなぐ 「やんば天明泥流ミュージアム」開館ー