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八ッ場ダム事業の遺跡から、江戸経石2万個出土

 今朝の東京新聞に八ッ場ダム事業によって行われている群馬県長野原町の横壁中村遺跡の発掘調査についての記事が載っていました。
 長野原町の横壁地区は、川原湯温泉のすぐ上流にあり、地区の一部が八ッ場ダムによって水没する予定です。このため、水没予定地や住民の移転代替地の発掘調査が行われてきました。今回、江戸時代の遺物が大量に出土した横壁中村遺跡では、縄文時代の大規模な集落跡もみつかっています。

◆2013年8月30日 東京新聞群馬版
http://www.tokyo-np.co.jp/article/gunma/20130830/CK2013083002000166.html

ー江戸経石2万個 長野原の横壁中村遺跡 庶民信仰解明に手掛かりー

 長野原町横壁の横壁中村遺跡で、江戸時代に経文の漢字を一文字ずつ小石に墨書して土中に奉納した「経石(きょうせき)」が約二万個出土したことが分かった。発掘した県埋蔵文化財調査事業団の調査では、見つかった経石の数は県内最多。江戸時代の庶民の仏教信仰を解明する上で、興味深い発掘成果となりそうだ。 (菅原洋)

 事業団によると、経石が出土したのは、古い墓石が並び、「観音堂」の地名が残る場所。観音堂があったとみられる石垣一帯から約一万三千個、二十メートル離れた石組み一帯から約七千個出土した。このうち約八千個の文字が判読できた。

 大きさは二~十センチほどで、文字は楷書体で書かれ、筆跡は複数あった。「種」「有」「若」「不」など数十種が確認でき、法華経の経文とみられる。安山岩が大半で、事業団は、出土場所から約百メートル離れた吾妻川の河原から集めたとみている。

 経石の奉納は、中世から近世にかけての日本独自の風習。石が納められた場所は「経塚」と呼ばれ、日本各地で確認されている。

 発掘作業は二〇〇四~〇六年度に、八ッ場(やんば)ダムの建設に伴う住宅代替地の造成を前に実施。その際に大量に出土した経石を洗浄し、文字の判読を進めていた。本年度末に刊行する報告書をまとめる過程で成果が判明してきた。

 事業団八ッ場ダム調査事務所(長野原町)の藤巻幸男調査資料部長と山口逸弘上席専門員は「達筆が多く、僧侶が修行の一環か、村人から依頼されてつづったのではないか。墨は消えにくいから、残ったのだろう」と指摘。その上で「江戸時代の庶民が先祖供養や豊作祈願の気持ちを込め、奉納したのではないか」とみている。

写真=大量に出土した経石の一部=長野原町で