さる9月8日、「石木ダム本体工事着工」のニュースがNHKはじめ各社から発信されました。
こちらのページに記事をまとめました。➡石木ダム「本体着工」のニュース
長崎新聞と朝日新聞は、この「本体着工」について住民が「茶番劇」と批判していると伝えました。
西日本新聞は工事の具体的な中身について、「着工したのはダム本体の堤体両端にある上部斜面を掘削する工事。」と説明し、「本体工事に着手したという実績が欲しいだけの(長崎県の)パフォーマンスだ」と住民の言葉を伝えています。
地元の情報によれば、この工事現場では、今年1月にも長崎県が掘削工事を行うために樹木の伐採を始めたところ、騒音を聞きつけた住民が駆けつけて抗議したため、工事が中断されたという経緯があるとのことです。
その後、長崎県は事業への反発が高まることを恐れて、住民との「対話」を模索する姿勢を示しましたが、その間もダムを建設するためにダム予定地の県道を付け替える工事を続け、県みずから「対話」の期限を8月末としました。
1月の工事は公表なしに始まったのですが、今回は事前にNHKに「本体着工」をリークしたということで、ニュースが流れることを意図した「工事再開」であったようです。
「本体工事」の中身については、西日本新聞の報道のほか、長崎新聞も「石木川を挟んだ対岸の山を重機が登り、掘削を開始」と伝えていますので、正確には「本体工事」というよりは、「本体準備工事」と考えられます。
八ッ場ダム事業では、事業者である国土交通省が、本体工事は2015年1月に開始したと発表しました。しかし、過去の写真を確認すると、今回の石木ダム事業における「本体工事」と同様の工事が「本体準備工事」として2014年以前に行われていたことがわかります。八ッ場ダム事業ではこの工事を「本体上部掘削工事」、「作業ヤード造成」などという名称で行っていました。
下の写真は、2011年6月9日に撮影しました。工事が行われた川原畑地区八ッ場は、酸性熱水変質帯が広く分布しており、掘削して露になった断面も黄土色、灰色などの混じった異様な色を呈していました。
2009年8月の総選挙で「八ッ場ダム中止」を選挙公約に掲げた民主党政権は、2011年12月に八ッ場ダム建設に条件付きでゴーサインを出しますが、ダム建設の是非を検証した国交省関東地方整備局が「建設妥当」との結論を出したのは同年11月のことでした。この写真は、それ以前の段階で、八ッ場ダムの事業者である国交省関東地方整備局が「本体上部掘削工事」を行っていたことを示しています。
同局はいつ、八ッ場における「本体上部掘削工事」を始めたのでしょうか?
下の写真は政権交代直前の2009年5月1日、対岸の川原湯地区からダム建設予定地周辺(川原畑地区八ッ場)を撮ったものです。砂防ダムがあるのが八ッ場沢と呼ばれる沢です。沢の両側の山は樹木に覆われています。沢の右側の山がダム建設予定地、左側が展望台「やんば見放台」がつくられた所です。いずれの山もまだ元の姿をとどめていました。(八ッ場沢は埋め立てられ、ダム見学客の駐車場がつくられました。)
下の写真は、同じ場所の2009年10月4日の撮影です。一見、上の写真と同じように思えますが、よく見ると右手の山の一部(赤い丸印のあたり)の樹木が少なくなっているようです。民主党政権が発足してもお構いなしに、本体関連工事を進めるために樹木の伐採が始まっていたのでしょうか。
下の写真は、上の写真から一か月後の2009年11月15日撮影。ダム建設地を走っていたJR吾妻線の鉄橋と国道の橋(八ッ場大橋)が見えます。橋の奥(下流側)がダム建設地ですが、掘削工事が進められていたのか、奥の山の上の方の一部が切られています。
下の写真は、翌2010年2月17日、雪が降った後の現地の写真です。雪のせいで、山の一部が掘削されているのがよくわかります。
これらの写真から、ダム建設が行われなければ不要だった八ッ場ダムの本体準備工事は、民主党政権がダム中止を掲げていた時も進められていたことがわかります。
ダム行政では、同じ工事が事業者の都合によって「本体工事」と呼ばれたり、「本体準備工事」と呼ばれたりするようです。
その工事がダム事業にとって都合がよければ報道されるように事前リーク、都合が悪ければひっそりと工事を始める・・・。半世紀もダム事業に対峙してきた石木ダム予定地の人々は、こうしたダム行政のご都合主義を熟知しているからこそ、今回の「本体着工」を「茶番劇」と見抜いているのでしょう。
石木ダム建設に反対する市民団体のブログは、工事現場の樹木が伐採された写真とともに、地元住民の中で最高齢のマツさん(94歳)の「反対運動」を伝えています。(石木川まもり隊ブログ「工事再開」)