2019年10月の東日本台風に伴う神奈川県川崎市内の浸水被害について、住民が市に損害賠償を求めて今年3月に集団提訴した裁判の第一回口頭弁論が開かれました。原告は72人とのことです。
川崎市の被災地では台風襲来時、住宅地に降った雨水などを多摩川に流す「排水樋管」と呼ばれる水門周辺五カ所で、多摩川の水が逆流し、浸水被害が発生。浸水面積は約百十ヘクタールに上ったということです。
現在、行われている水害裁判は、2015年9月の鬼怒川の氾濫(茨城県常総市の住民が被災)、2018年7月の西日本豪雨の肱川氾濫(野村ダム・鹿野川ダムの緊急放流で愛媛県野村町、大洲市の住民が被災)、同じく西日本豪雨の小田川氾濫(岡山県倉敷市真備町の住民が被災)などがあります。
関連記事をまとめました。
◆2021年10月8日 東京新聞
https://www.tokyo-np.co.jp/article/135601
ー川崎市の2019年台風19号水害対応の違法性訴え 損賠訴訟口頭弁論 市側は棄却求めるー
二〇一九年十月の台風19号で浸水被害に遭った川崎市中原、高津両区の住民ら七十二人が、治水対策に落ち度があったとして市に約二億七千万円の損害賠償を求める訴訟の第一回口頭弁論が七日、横浜地裁川崎支部であった。(竹谷直子)
訴状によると、増水した多摩川の泥水が下水道管を逆流して住宅地で浸水被害が拡大したのは、市が逆流を認識しながらも排水樋管(ひかん)ゲートの操作をしなかったためだと主張。川崎市の対応は違法性が重大としている。
市側は答弁書で「被告代表者として川崎市長と市上下水道管理者、両者を代表者とする訴状は不適法」などとして訴えの棄却を求めた。
次回の公判には訴えの内容に対する反論書面を準備するとした。
原告二人が意見陳述し、原告団長で地下一階地上三階建ての住宅が床上浸水した川崎晶子さん(47)=中原区=は「川崎市の判断の過ちが、たくさんの市民を傷つけたことに対して心からの謝罪を求めます」。新築の二階建て住宅が被害に遭った川田操さん(53)=同区=は「迫り来る浸水の恐怖、生活環境の復旧のための労苦、誇りにしていた仕事の休業といった精神的苦痛とともに家財なども失った」と訴えた。
原告側は七日付で、中原区の住民六人と一事業者が計約千三百七十五万円の損害賠償を求めて追加提訴したと明らかにした。
◆原告報告集会 怒りの声「被害の映像被告側は顔背けた」
七日の第一回口頭弁論の直後、横浜地裁川崎支部近くの川崎市教育文化会館(川崎区)で原告らの報告集会が開かれた。支援者ら約三十人が参加。棄却を求める市に対して怒りの声が上がった。
「長男を妊娠中に編んだ手編みの毛布が、泥だらけでぐちゃぐちゃになっていた」−と、法廷で涙ながらに意見陳述した原告団長の川崎晶子さん。「被害の状況を映像や画像で示したが、被告側はずっと目をつむって顔を背けていた。それが川崎市の態度なんだなと思った」と集会で報告した。
川岸卓哉弁護士は「市長は『自分に責任はない、現場のせいだ』という姿勢だったが、今回の公判で市長が代表者として反論すると認めた」と説明。西村隆雄弁護士は「市が作った検証報告書で訴状を構成している。それをどう否定するというのか」と話し「ゲートを閉めなかった公務員の過失、それが最大の争点」と強調した。浸水被害から二年を迎えるのを前に同日夕、中原区内で多摩川浸水被害のフォーラムも開かれた。(竹谷直子)
◆2021年10月8日 毎日新聞
https://mainichi.jp/articles/20211008/ddl/k14/040/153000c
ー川崎浸水賠償訴訟 市は棄却求める 地裁初弁論ー
2019年10月の台風19号による浸水被害が広がったのは川崎市が排水ゲートを閉めなかったからだとして中原、高津両区の住民らが市に約2億7000万円の損害賠償を求めた訴訟の第1回口頭弁論が7日、横浜地裁川崎支部(飯塚宏裁判長)であった。市側は争う姿勢を示し、請求の棄却を求めた。
住民側は、台風19号で多摩川が増水したのに、市が排水ゲートを閉めなかったため排水管を通じて水が逆流したと指摘。市の過失で市街地の浸水被害を拡大させたと主張した。市は検証委員会の報告書でゲートの操作について「手順通りに対応した。想定以上に水位が上昇した」と結論付けている。
住民側の代理人弁護士によると、7日付で中原区の住民6人と1事業者が計約1400万円の損害賠償を求めて追加提訴したという。【洪玟香】
2021年10月8日 テレビ神奈川
https://news.yahoo.co.jp/articles/0e02ff483307df452526a8ad7a9792b0285f8e0e
ー台風浸水被害で集団訴訟 川崎市は訴え棄却求めるー
2019年、各地で被害をもたらした台風19号。その当時、川崎市の水門操作の判断ミスにより浸水被害を受けたとして、住民らが市に対し損害賠償などを求めた裁判が、7日から始まりました。
2019年の台風19号は、各地に記録的な大雨と強風をもたらし、神奈川県内各地で河川の氾濫や土砂崩れが発生。 死者は9人にのぼり、多くの被害を残しました。
中でも、川崎市では多摩川に面した5つの水門から川の水が逆流し、住宅などが浸水する被害が出ました。
記者
「住居への浸水など、大きな被害をもたらした台風19号から2年。水害にあった住民など72人が川崎市に対し、損害賠償を求める裁判が始まります」
今回川崎市を訴えたのは、中原区や高津区で浸水被害を受けた、住民67人と5つの事業者の計72人。
ことし1月に集団訴訟を起こすため原告団を結成し、3月に横浜地裁川崎支部に提訴していました。
訴えで原告団は、「多摩川が増水する中、市が水門を閉めなかったために起きた人災だった」などと主張。
市は当時「水門操作の判断は手順通りだった」とする検証報告をまとめていますが、原告らは市に対して、浸水被害の責任を認めることや、総額およそ2億7000万円の損害賠償などを求めています。
7日行われた第1回口頭弁論では、被害を受けた住民2人が証言台に立ち、「台風が到来するたびに、また水害が発生しないか不安と恐怖を抱え、今も心休まらない暮らしを送っている」などと訴えました。
一方で、川崎市側は訴えの棄却を求めています。
裁判後に行われた原告団の報告集会では、法廷にも立ったひとりが、市に求めることを改めて述べました。
原告・川田操さん
「やはり市には謝って、認めて償って、再発防止につなげてほしいと強く思う」
裁判は11月30日に、第2回口頭弁論が予定されています。
◆2021年3月9日 東京新聞
https://www.tokyo-np.co.jp/article/90367
ー台風19号浸水被害「川崎市は過ち認めて」 賠償求め、きょう集団提訴ー
二〇一九年十月の台風19号に伴う川崎市内の浸水被害を巡り、中原、高津両区の住民らが九日、市に損害賠償を求めて横浜地裁川崎支部に提訴する。増水した多摩川の泥水が下水道管を逆流し、住宅地で浸水被害が拡大したのは、市が逆流防止の水門を閉めなかったためだと主張。原告団長の私立学校教諭、川崎晶子さん(47)は「再発防止のためにも、まず市は過ちを認めて」と訴える。 (石川修巳)
弁護団によると、原告団には七十一人(個人六十七、法人四)が参加する(二日現在)。町別では、中原区が上丸子山王町三十三人、下沼部十五人、宮内十二人、新丸子東二人、高津区が下野毛三人、諏訪五人、北見方一人。
請求額は、一人百万円の慰謝料を含めて総額二億五千万円前後になる見通し。今後も被災した住民らに参加を呼びかけ、第二次訴訟も想定しているという。
弁護団の川岸卓哉弁護士は「市の責任を明らかにしてほしいと願って訴訟に参加し、賠償請求は『慰謝料だけでいい』という原告も多い」と語る。
市の資料によると、住宅地に降った雨水などを多摩川に流す「排水樋管(ひかん)」と呼ばれる水門周辺では、市内五カ所で浸水被害が発生。浸水面積は約百十ヘクタールに上ったとされる。
市は昨年四月にまとめた検証報告書で、水門操作の判断に関して「操作手順どおり行われていた」と説明。福田紀彦市長も今月三日の記者会見で「市が想定しうる以上に多摩川の水位が上がり、被害が発生した。私たちに瑕疵(かし)はない」と語り、提訴されれば争う姿勢を示した。
◆「なぜ水害に…それが知りたい」原告団長・川崎晶子さん
二〇一八年秋に家族五人で入居した多摩川近くの三階建ては、わずか一年後に「半壊」になった。川から逆流した泥水で床上浸水し、リフォーム代や家財などの損害は約千八百万円にも。家の中を靴のまま歩くのは悲しかった。
当初は川が増水し、土手を越えてしまったのだろうと思っていた。ところが数日後、市が排水樋管(ひかん)のゲートを閉めていなかったようだ、と耳にした。「私たちはなぜ水害に遭わなければならなかったのか。それが知りたくて」
副市長をトップに、委員は市職員だけの検証委員会を傍聴した。「まるで『自分たちの対応は問題なかった』という結論ありきの会議みたいだった」。ゲート操作は手順通りだった、想定以上の水位になった−。そうした説明に納得できず、「また浸水が繰り返されるんじゃないか」と危機感を抱いたという。
街を歩き、住民たちにも話を聞いた。裁判どころではないという被災者も、もうここでは暮らせないと街を去った人もいた。「裁判でいろんな人たちの声が形になるといい。仕方なかった、では済まされない」
偶然にも水害直前の夏休み、当時小学六年だった三男が、水害にたびたび苦しんできた地域の歴史を調べた。古老も訪ね、「水害へ団結した人々」と題して模造紙四枚にまとめた。自宅近くの水門「山王排水樋管」が設置されたのは、住民たちが団結し、要望した成果だったと知った。
「いい街だね、って息子と話したばかりだった。だから、今度は自分たちの番かな。できないよ、とは子どもたちに言えませんし」 (石川修巳)