八ッ場ダムは通常のダムであれば完成時に行う竣工式を行いませんでした。竣工式ではダム事業の犠牲となった地元住民の代表が招待されるのが通例ですが、そのような行事も行われぬまま二年が過ぎ、今週末、ようやくそれに代わるイベントが長野原町、国土交通省それぞれの主催で開かれることになりました。
これを機に、八ッ場ダム水没五地区の中で最後まで対策委員会が残っていた長野原地区でも、ダム事業に関わる対策委員会の活動を終了するとのニュースが地元紙に掲載されました。
八ッ場ダムの水没地域には、全集落が水没した川原湯地区、川原畑地区と、川沿いの一部地域が水没した林地区、横壁地区、長野原地区があります。
最も上流側に位置する長野原地区は、当初はダム計画の影響がそれほど大きくはないと考えられ、他の四地区で組織された反対期成同盟による八ッ場ダム反対運動には加わりませんでした。他の四地区でも、地域が実質的にダム計画を受け入れた1980年代、反対期成同盟が内部から崩壊。長野原地区を含めた五地区それぞれがダム事業による生活再建を目指すために、国土交通省や群馬県と交渉するための対策委員会を組織しました。
写真右上=対策委員会の活動を記念する石碑が建てられる予定の長野原さくら公園。
対策委員会の目的は、住民が現地での生活再建が可能となるよう、国や県との交渉を有利に進めることでしたが、ダム湖周辺の移転代替地の完成は大幅に遅れ、分譲地価が周辺地価よりはるかに高額であったことなどから、多くの住民が現地再建をあきらめ、地区外に転出せざるをえませんでした。
対策委員会の歴史は、水没住民がダム事業に翻弄され、理不尽なダム事業に協力を強いられる場でもあったことを示しています。
今朝の紙面より転載します。
◆2022年5月26日 上毛新聞
ー八ッ場ダム 対策委 全て活動終了ー
長野原町の八ッ場ダム建設で水没5地区の住民代表でつくる5つのダム対策委員会のうち、唯一存続していた長野原地区の対策委員会が29日に住民の足跡を刻んだ記念碑の除幕式を行い、活動を終了する。ダムの完成記念式典が28日に開かれることから、節目を迎えたと判断した。30年以上にわたり、生活再建に関する地元の声を国や県などに届けてきた住民組織の活動が終了する。
29日 記念碑序幕で長野原地区も
ダム建設に伴う生活再建に住民の意思を反映させるため、水没5地区(川原畑、川原湯、横壁、林、長野原)は、区長会とは別に地元の代表者からなる対策委員会をそれぞれ組織。長野原地区対策委員会は1986年に発足した。各対策委員会は生活再建に必要な施設や事業を協議して決定。この決定に基づき、国や県、町が住民の要望に沿った道路や橋、公園などを整備してきた。
2020年3月にダムが完成し、各対策委員会の代表で構成する「八ッ場ダム水没関係5地区連合対策委員会」が同年5月に解散を決定。長野原地区以外の4委員会も生活再建事業の進捗に合わせて順次活動を終えた。
最後に残った長野原地区は昨年11月、同地区内の町道「長栄橋」の開通で全ての事業が完了。記念碑の除幕式で活動を終え、残る事務処理は行政区に引き継ぐことにした。同地区対策委員会の桜井芳樹委員長(72)は「ダムの完成式典を迎えて締めくくりたいと考えていた」と話す。
記念碑は旧長野原東中跡地に整備された長野原さくら公園に立つ。地区住民が提供した写真や資料を使い、18年に作成した記録写真集と併せて「委員会のかつs同を形に残せないか」と建立準備を進めていた。
除幕式には国や県、町の関係者のほか、歴代のダム対策委員会のメンバーを招待する。桜井委員長は「生活再建事業が完了したのは、当局と交渉してきた歴代委員のおかげ。完成式典と連動しての終幕は感無量だ」と話している。(前原久美代)
国交省式典も28日 町イベント同日に開催
新型コロナウイルス感染拡大で見送られていた八ッ場ダム完成記念式典について、国土交通省関東地方整備局は、長野原町主催のイベントと同じ28日にダム周辺で開く。
国交省利根川ダム統合管理事務所によると、式典は「感謝のつどい」と題し、地元代表者の長野原、東吾妻両町や県、下流都県の関係者、国会議員らを招待する。同事務所は「地元の人あってのダム。事業に関わった多くの関係者に感謝を伝えたい」としている。
感謝のつどい終了後、長野原町が「八ッ場ダムフェスタ」と題した町民限定イベントを開催する。オペラや和太鼓、ダンス、弾き語りといった演目の後、ダムの最上部にある非常用の「クレストゲート」から放流する。ダム堤体植えにはキッチンカーが出店する予定。
式典は2020年3月の竣工後に計画され、コロナ下で見送られていた。28日のいずれの催しも、感染拡大防止のため参加人数を制限して行う。当日は関係者以外はダム関連施設に入場できない。
◆2022年5月30日 上毛新聞
ー「苦労報われた」 八ツ場ダム水没地区最後の対策委 記念碑除幕、活動を終了ー
八ツ場ダム(長野原町)建設に伴う水没5地区の住民代表でつくるダム対策委員会のうち、唯一存続していた長野原地区の対策委の足跡を刻んだ記念碑の除幕式が29日、同町の長野原さくら公園で開かれ、全事業を終了した。これにより、30年以上にわたって住民の生活再建事業を後押ししてきた5地区全ての対策委が活動を締めくくった。同地区の桜井芳樹委員長(72)は「全ての人の苦労が報われ、総仕上げができた」と喜んだ。
記念碑には、同地区の対策委設置の経緯と歴代委員長名が刻まれ、代替地の造成や、学校・墓地の移転、道路整備といった生活再建事業が住民の協力があって完了したことが記されている。黒御影石製で高さ約1.6メートル、幅約1.5メートル。
式典には、国土交通省や県、町の関係者や対策委の委員ら約80人が出席。地元の天狗岩神社の浅沼孝道宮司が神事を執り行い、関係者が除幕した。
県八ツ場ダム水源地域対策事務所の丸山尚夫所長は「地元の方が笑顔で暮らせるよう引き続き地域振興に取り組む」とあいさつ。国交省利根川ダム統合管理事務所の佐々木智之所長は「この地で起こった壮絶な過去を忘れることなく、地域の未来に寄り添っていく」と約束した。
式典後、萩原睦男町長は「後世に受け継いでいくべきことが碑に記された。先人らの長年の苦労に感謝する」と述べた。
水没5地区(川原畑、川原湯、横壁、林、長野原)の各対策委はダム建設に伴う生活再建に住民の意思を反映させるために発足。2020年3月のダム完成やその後の生活再建事業の完了に伴い、長野原地区以外の対策委は順次解散していた。
—転載終わり—
〈関連ページ〉「国交省、「八ッ場ダム完成 感謝のつどい」開催
写真=ダムに沈んだ川原湯温泉街周辺。水位が上がると水に浸かる木々は、次第に枯れてきている。
写真=川原湯温泉には、絶滅が危惧されるカザグルマ(クレマチスの原種)の貴重な自生地があった。湖底に沈んだ自生地の持ち主が湛水前にダム湖周辺の住民に託したというカザグルマが今年も開花。