八ッ場ダムの水没地にあった川原湯温泉には、最盛期には20軒の旅館と飲食店などが軒を連ねていたといいます。ダム事業により、ダム湖畔に造成した代替地に移転した川原湯温泉では、現在6軒の宿泊施設があります。江戸時代から続く老舗の山木館はその中でも中心的な存在ですが、今年5月からコロナ禍を理由に休業していました。
その山木館が今月16日にセルフサービスなどを取り入れて営業を再開したことが報道されています。
山懐に抱かれた川原湯温泉は、八ッ場ダム事業によって破壊しつくされ、多くの住民が地区外に転出しました。少なくなった住民らによる代替地での再建は大変厳しい状況にありますが、旅館、飲食店などの存続をかけた奮闘が続いています。
山木館のホームぺージはこちらです。
◆2022年12月5日 TBSラジオ
https://www.tbsradio.jp/articles/62932/
ー何度でも立ち上がる!創業360年の温泉宿館! 森本毅郎・スタンバイ!ー
(一部引用)
群馬県川原湯温泉「山木館」15代目当主、樋田隼人さん
●昭和の初期に何も残らなくなるくらい建物が全焼しまして、また火災の後から建てて「さあ、もう一回やり出すぞ」って言ったときに、八ッ場ダム建設の話が持ち上がったらしいんですね。で、また移り住んだ、というような形らしいですね。
ホントに工事現場の中に、即席で移り住んで、建てた建物の中で営業してた。なので、宿が出来てるんだけども、客室の目の前が、クレーン車とか資材とか、朝だ~ってカーテン開けてってやったら、ショベルカーがガガガガガガって移動してるのが見える、みたいな。まともな宿営業っていうのは難しくって。
で、ダムが完成したのが、2020年の春なんですけど、よし、本営業だ!って思ったら、もうコロナでっていう。やっと工事終わって、わ~ホント静かになったね~って言ったら、お客さん来なくて静かになっちゃったね~っていう方になりまして。・・・(以下略)
◆2022年12月16日 NHK群馬
https://www3.nhk.or.jp/lnews/maebashi/20221216/1060013506.html
ーコロナ禍で休業した川原湯温泉の老舗旅館 7か月ぶり営業再開ー
長野原町にある川原湯温泉で300年以上続き、コロナ禍で休業していた老舗旅館が、およそ7か月ぶりに江戸時代の宿のスタイルを一部再現する形で営業を再開しました。
16日、営業を再開したのは、川原湯温泉で最も古いおよそ360年の歴史を持つ旅館の「山木館」です。
山木館は、八ッ場ダムの建設でかつての温泉街がなくなり多くの旅館が廃業する中、高台に移転して営業を続けてきましたが、コロナ禍で客足が落ち込むなどしたため、ことし5月から休業していました。
再開にあたって、江戸時代から続く宿の魅力をアピールするため、当時の宿泊客と同じように土間に設けられたかまどで調理から食事までを行う体験型のサービスを取り入れました。
かまどには手軽に調理ができるようにIHヒーターが内蔵され、宿泊客は群馬産の食材を使った蒸し料理などを楽しむことができるということです。
16日は、かつての常連客1組が宿泊する予定で、今後、本格的に宿泊客の受け入れを進めていくということです。
旅館を経営する樋田勇人さんは「お客さんの顔を見るのを待ち遠しく感じています。かまど料理などの文化体験を楽しんでいただきたいです」と話していました。
◆2022年11月25日 毎日新聞群馬版
https://mainichi.jp/articles/20221125/ddl/k10/040/144000c
ー時代の波越え再起へ 川原湯・1661年創業、老舗旅館「山木館」 ダム建設やコロナ、一時休業もー
1661年創業の長野原町川原湯の老舗温泉旅館「山木館」が新型コロナウイルス禍の一時休業を終了し、12月に営業を再開する。八ツ場ダム建設に伴う移転も余儀なくされるなど、時代の波にさらされてきた。厳しい経営環境に耐えられるように人員を減らし、セルフサービスを取り入れて再起を図る。
2010年に亡くなった先々代の13代当主、樋田富治郎さんは長野原町長を16年間務め、ダム建設反対から受け入れに転じた町政の最前線に立った。民主党政権が一時中止を打ち出す混乱もあったが、先代当主の洋二さん(75)は水没予定地の古民家や蔵を移築し、13年に山木館を移転した。その後もダム工事の騒音や土煙に悩まされた。
現在の当主勇人さん(28)は19年に経営を引き継いだ。20年3月のダム完成と前後して直面したのがコロナ禍だ。20年の約2カ月半に続き、今年5月からも一時休業。閉館も頭によぎったが、常連客らから200万円以上の支援金が集まり、再開が決まった。
ただ5人いた正社員は全員解雇。勇人さんと外注の調理師ら数人で全8室に対応するため、食事は懐石料理から宿泊客が自ら鍋を調理する形に変更した。湯治客がかまどを借りて調理していた時代の宿に着想を得た。布団と浴衣の用意も宿泊客に任せる。勇人さんは「今できるやり方を考え、この場所を次世代に残したい」と話す。
勇人さん自身も苦境を乗り越えてきた。元々医者を目指したが、高校の勉強などでつまずき不登校になった。将来を見失い、自室にこもって一日中泣いていたという。
転機は高校3年の夏。親戚が経営し、幼少期から家族と訪れてきた山木館でアルバイトをした。風呂を洗い、料理を運ぶ中で「人の役に立つ実感を得た。この宿が救いになった」と振り返る。
先代夫婦に子どもがいなかったことから、大学在学中に養子に入り後継者となった。勇人さんは「新しいサービスがうまくいくかは分からない。それでも俺の人生みたいに、ここでもがいてみます」と意気込んでいる。
写真下=ダム湖に沈んだ山木館の跡。八ッ場ダム事業では住民が水没地から転出する際、住居をすべて撤去することになっていたが、山木館の礎石は山の土砂崩れを防ぐためか残されている。