八ッ場あしたの会は八ッ場ダムが抱える問題を伝えるNGOです

国の「流域治水」の何が問題なのか

 2019年秋に日本列島を襲った台風19号(令和元年東日本台風)は、試験湛水を始めたばかりの八ッ場ダムを一気に満水にするほどの大雨を降らせ、各地で水害が発生しました。これを契機に国土交通省は「流域治水」の必要性を説くようになり、「気候変動」に伴い、新たな治水対策が急務というイメージが広がりました。

 「流域治水」の先駆けは、2000年代の淀川水系流域委員会や嘉田知事による滋賀県の取り組みです。これまでわが国の河川行政では、ダムによる治水が重視され、予算の多くがダム事業に注がれてきました。淀川水系流域委員会や滋賀県は巨大ダム計画を見直すと共に、流域の状況をきめ細かく調査し、住民と意見交換をしながら洪水を最小限にするための具体的な取り組みが行われてきました。国の「流域治水」においてもダム偏重の姿勢が見直されることが期待されましたが、国が「流域治水」をアピールするようになった今も河川政策の基本的な姿勢は変わっていません。熊本県の川辺川ダム計画が「流水型」(穴あき)ダムとして復活したことは、その象徴的な事例です。

 このほど水問題研究家の嶋津暉之さんが手持ち資料と最新データを使って、現在の国の「流域治水」の問題に関するスライドと解説を公表しましたので、紹介します。

 ★スライド 脱ダムの理念がない「流域治水」のまやかし 2023年1月25日

 詳細な説明が上記スライドでご覧いただけます。
 

 主な内容は以下の通りです。

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今回の報告「脱ダムの理念がない「流域治水」のまやかし」は次の4点で構成されています。

Ⅰ 「流域治水」を前面に打ち出した国土交通省

Ⅱ 球磨川水系の「流域治水」の現実(流水型川辺川ダム等の推進の隠れ蓑)

Ⅲ 淀川水系における脱ダムへの取組み(本来の「流域治水」は脱ダムの理念から生まれた)

Ⅳ 滋賀県の流域治水推進条例と国の流域治水関連法

Ⅰ 「流域治水」を前面に打ち出した国土交通省(スライド№2~13)

Ⅰ-1  国交省「水管理・国土保全局」 2023年度予算(スライド№3~4)
 従前の河川・ダム事業は「流域治水の本格的実践」という名称になって予算要求が行われるようになりました。

Ⅰ-2 国交省の「流域治水施策集」(スライド№5~7)
 流域治水には治水対策としてありうるものがほとんど盛り込まれており、治水ダムの建設・再生、遊水地の整備もしっかり入っています。

Ⅰ-3 流域治水関連法ができたのは2021年5月(スライド№8)
 流域治水関連法(「特定都市河川浸水被害対策法等の一部を改正する法律」)ができたのは2021年5月で、内容は多岐にわたっています。

◎ 特定都市河川浸水被害対策法の改正
  〇流域水害対策計画の策定
  〇雨水貯留浸透施設の整備計画の認定
  〇貯留機能保全区域の指定
  〇浸水被害防止地域の指定と建築物の規制

◎ 河川法の改正
  〇利水ダムの事前放流の拡大

 流域治水関連法は大変わかりづらい法律です。国交省がその後、同法を従前の河川事業を推進する隠れ蓑にしたことは、改正当時の予想を超えるものがありました。

Ⅰ-4 利水ダムの事前放流について(スライド№9~11)
 流域治水関連法の関連で位置づけられた「利水ダムの事前放流」は法改正前の2020年度から国土交通省の通達で始まっています。
 実際にダムの事前放流がどれほどの効果があるかは疑問です。事前放流をするためには、豪雨の数日前から予測する必要がありますが、気象予測は進歩しているとはいえ、正確な予測はそれほど易しいことではありません。2022年も台風14号に備えて、ダムの事前放流が数多くのダムで行われましたが、ほとんどが空振りであったようです。

Ⅰ-5  流域治水プロジェクト(2021年3月~)(スライド№12~13)
 国が始めた「流域治水プロジェクト」は施策が盛り沢山で、ダム建設、遊水池整備、霞堤の保全、堤防整備、雨水貯留施設の整備など、考えられるものは何でも入っているというもので、実際にどこまで実現性があり、有効に機能するものであるかは分かりません。
 時にはダム建設をカモフラージュするための隠れ蓑にもなり、また、住民に移転を迫る遊水地の建設を推進するものにもなっています。

Ⅱ 球磨川の「流域治水」の現実 川辺川ダム等の推進の隠れ蓑(スライド№14~35)

Ⅱ-1 球磨川流域治水プロジェクトの内容(スライド№15~17)
 本プロジェクトには流水型ダム(川辺川ダム)の整備、市房ダム再開発、遊水池整備もしっかり入っています。
 その対策費用はロードマップに河川対策約1636億円と記されていますが、流水型ダムの費用は含まれていません。
 市房ダム再開発も内容がまだ決まっていないということで、その事業費はロードマップの河川対策費に含まれていません。
 流水型川辺川ダムの残事業費は約2700億円ですので、上述の1636億円と合わせると、これから球磨川には約4336億円という巨額の公費が投じられていくことになります。川辺川ダムはすでに約2200億円の事業費が使われていますので、現段階の川辺川ダムの総事業費は約4900億円にもなる見通しです。

 このように、球磨川では2020年7月大水害の再来への対応が必要ということで、球磨川流域治水プロジェクトの名のもとに、凄まじい規模の公費が投じられようとしています。
 それによって、流域の人々の安全が確保されるかというと、実際はそうではなく、一方で、このプロジェクトは球磨川の自然に大きな影響を与え、住民に移転を迫る遊水地の建設を推進するものにもなっています。

Ⅱ-2 流水型川辺川ダムへの疑問(1)(2020年7月球磨川豪雨の再来に対応できない川辺川ダム)(スライド№18~23)
 球磨川流域の死者50人の9割は球磨村と人吉市の住民でした。球磨村と人吉市の犠牲のほとんどは、球磨川の支川(小川、山田川等)の氾濫が球磨川本川の氾濫よりかなり早く進行したことによるものでしたから、当時、川辺川ダムがあって本川の水位上昇を仮に小さくできたとしても、犠牲者の命を救うことはできませんでした。

 2020年7月豪雨による球磨川大氾濫の最大の要因は、球磨川本川と支川の河床掘削があまり実施されてこなかったことにあります。
 国交省は川辺川ダム事業の必要性が損なわれないように、すなわち、川辺川ダム推進のために、球磨川は高い河床高の状態が放置されてきたといえます。そのことが主たる要因になって、2020年7月洪水で球磨川が大氾濫し、凄まじい災厄がもたらされました。

Ⅱ-3 流水型川辺川ダムへの疑問(2)(自然に優しくない流水型川辺川ダム)(スライド№24~29)
 「自然にやさしい」を名目にして、川辺川ダムは流水型ダム(穴あきダム)として計画されています。現時点で既設の流水型ダムは5基ですが、それらの実態を見ると、「自然にやさしい」という話はダム推進のためのうたい文句にすぎず、川の自然に多大な影響を与える存在になっています。

1.生物にとっての連続性の遮断
2.ダム貯水域は流入土砂、土石が堆積した荒れ放題の野原へ
3.ダム下流河川の河床の泥質化、瀬や淵の構造の衰退
4.河川水の濁りが長期化
5.けた違いに大きい流水型川辺川ダム

Ⅱ-4 「遊水地の整備」への疑問 (スライド№30~31)
 先祖代々の土地、現在の生活、コミュニティを喪失させる遊水地は安易につくるべきではありません。遊水地の洪水調節容量は合わせて約600万㎥ですから、その治水効果は小さなものです。そのために90世帯も移転しなければならないのでしょうか。

Ⅱー5 「市房ダム再開発」への疑問(スライド№32)
 市房ダムは再開発ではなく、環境問題(下流河床の軟岩露出)と緊急放流の常態化問題から考えて撤去すべきダムです。

Ⅱー6 問題だらけの球磨川流域治水プロジェクトは根本からの見直しが必要(スライド№33)
 球磨川流域治水プロジェクトは、「流域治水」を名乗っているものの、必要性が疑わしい流水型川辺川ダムの整備などに巨額の公費を投入するというもので、大規模河川事業が中心になっており、「流域治水」という言葉から受けるイメージとは大きく異なるものになっています。

 このプロジェクトの最大の目的は、2020年7月熊本豪雨の再来に対して人々の命を守ることであるはずなのに、巨額の公費を球磨川に投入すること自体がこのプロジェクトの目的になってしまっています。これらの大規模河川事業によって、球磨川の自然が損なわれることは必至であり、流域住民の生活にも多大な影響を与えるものになっています。

 私たちは「流域治水」という言葉に惑わされることなく、球磨川において流域住民の命と生活を守る真に有効な治水対策、球磨川と川辺川の自然を損なわない治水対策を追求していかなければなりません。

【参考】蒲島郁夫・熊本県知事と潮谷義子・前知事(スライド№34~35)
 蒲島郁夫・熊本県知事は2008年に川辺川ダムの白紙撤回を求めた知事として評価されていますが、もともと脱ダム派の知事ではありません。蒲島氏は当時、川辺川ダム推進の方向に舵を切ろうと考えていたと思われますが、その見解を発表する前に、ダムサイト予定地の相良村長と、ダムの最大の受益地とされていた人吉市長が川辺川ダムの白紙撤回を表明したことにより予定を変え、「球磨川は県民の宝であるから、川辺川ダムの白紙撤回を求める」との見解を発表したと推測されます。
 一方、前知事、潮谷義子さんは川辺川ダムを中止させるため、2001年から懸命の努力を続けました。川辺川ダムに対して懐疑的な姿勢をとり続け、荒瀬ダム撤去の路線を敷いた潮谷義子・前知事は信念の人であると思いますが、蒲島氏はそうではなく、所詮はオポチュニストではないでしょうか。

Ⅲ 淀川水系における脱ダムへの取組み(本来の「流域治水」は脱ダムから生まれた)(スライド№36~57)

Ⅲ-1 淀川水系流域委員会の脱ダムへの取組み(スライド№37~40)
 淀川水系の脱ダムへの取り組みは、宮本博司氏が中心になって進められました。宮本氏は国交省近畿地方整備局淀川河川事務所長として淀川水系流域委員会(2001年~)の立ち上げに尽力し、2006年に退職してからは、新淀川水系流域委員会(2007~2009年)に一市民として応募し、委員長に就任しました。

 淀川水系流域委員会は2005年1月に淀川水系の五つの新規ダム計画(大戸川(だいどがわ)ダム、丹生(にう)ダム、川上ダム、余野川ダム、天ヶ瀬ダム再開発)を原則として中止することを求める提言をまとめました。
 さらに、新淀川水系流域委員会が2008年4月に、国交省が中止を決定した余野川ダムを除く4ダムについて原則中止を提言しました。

Ⅲ-2 4府県知事、大戸川ダム反対の共同意見を発表(共同意見を主導したのは滋賀県の嘉田由紀子知事)(スライド№41~42)
 淀川水系流域委員会の提言がベースになって、大阪、京都、滋賀、三重の4府県知事は2008年11月、大戸川ダムを「計画に位置づける必要はない」とする共同意見を発表しました。
 4府県知事の大戸川ダム反対の共同意見を主導したのは滋賀県の嘉田由紀子知事(現・参議院議員)です。嘉田さんは環境問題に取り組む研究者として、淀川水系におけるダム建設の見直しを主導しました。

【参考】淀川水系5ダムのその後(スライド№43~46)
 淀川水系流域委員会が中止を求めた5ダムのうち、余野川ダムは2008年に、丹生ダムは2016年に中止されました。しかし、残りの3ダムは中止されませんでした。
 大戸川ダムについては嘉田氏の後継として滋賀県知事となった三日月大造氏が2019年4月、淀川水系の大戸川ダムの建設を容認する方針を正式発表しました。
 天ヶ瀬ダム再開発と川上ダムに対しては住民による反対運動が続けられてきました。残念ながら、両ダムとも事業が進められ、終盤の段階になっています。

Ⅲ-3 流域治水の推進で模範となるのは滋賀県の条例 (嘉田由紀子知事が制定)(スライド№47~59)
 流域治水の推進に関して模範となるのは、2014年3月に制定された「流域治水の推進に関する条例」(当時の知事は嘉田由紀子・現参議院議員)です。
 流域治水は流域全体で洪水を受け止め、水害を最小限にしていく治水対策を進めなければならないという理念のもとに、河川整備だけでなく、土地利用や建築の規制によって、地域の浸水被害の低減を図るものです。

 滋賀県のこの流域治水推進条例で特筆すべきことは、浸水警戒区域(200年確率の降雨が生じた場合に、想定浸水深がおおむね3mを超える土地の区域)を指定し、住居の用に供する等の建築物を建築しようとする建築主は、あらかじめ、知事の許可を受ける必要があるとしたことです。この指定区域が徐々に増えてきています。
 そして、浸水警戒区域内で既存住宅を建て替える場合、2階が浸水しないようにするための嵩上げなどの費用の一部を支援・助成する制度が2017年6月につくられました400万円を上限として、嵩上げなどの費用の1/2を県が補助するもので、この補助制度も画期的なものです。
 浸水警戒区域の指定は、滋賀県の「地先の安全度マップ」に基づいて行われています。「地先の安全度マップ」は「頻繁に想定される大雨(1/10)」から「計画規模を超える(一級河川整備の将来目標を超える)降雨規模(1/100, 1/200)」までを想定し、降雨規模1/10、1/100、1/200の三つがつくられています。そのうちの1/200の「地先の安全度マップ」の範囲が浸水警戒区域の指定対象になります。
 「地先の安全度マップ」は滋賀県が独自に➀ 複数の河川の同時はん濫を考慮、② 内水はん濫を考慮、➂未完成堤防の破堤条件を厳しく考慮して作成した画期的なもので国、他の自治体も大いに参考にすべきです。

 滋賀県の上記の浸水警戒区域への取組みと比較すると、国の流域治水関連法の浸水被害防止区域の記述は極めてあいまいであり、実効性が不明です。

Ⅳ 滋賀県の流域治水推進条例と国の流域治水関連法(スライド№60)
 滋賀県の流域治水推進条例は、ダム等の大型施設に頼らずに、流域全体で洪水を受け止め、水害を最小限にしていく治水対策を進めるという理念のもとに策定されたものです。
 一方、国の流域治水関連法は、基本的には従前の河川・ダム事業を「流域治水プロジェクト」の名のもとに続け、河川予算を獲得していくものであって、そこには「脱ダム」の精神が見られません。だからこそ、浸水被害防止区域の記述は極めてあいまいであり、実効性が不明になっているのです。