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城原川ダム、水没住民に補償の基準となる土地評価について説明

 国が筑後川水系に計画した城原川(じょうばるがわ)ダムは予備調査が行われたのが1971年、事業開始が1979年と、50年越しのダム計画です。ダム本体の着工年は未定です。
 地元紙、佐賀新聞によれば、さる2月12日、水没住民が立ち退く際の土地評価に関する説明会が行われたということです。
 同紙によれば、水没住民は50世帯。かつてはダム容認派と反対派に分かれていましたが、長引くダム事業の下、他のダム事業と同様、住民は高齢化し、地域は疲弊し、2020年には両派が統合してダム受け入れを前提とした「城原川ダム建設対策協議会」を立ち上げました。

 12日の説明会は、国交省の学習会に月一回のペースで出席してきた協議会が開いたもので、国交省による水没地の地目認定の基準(土地評価の目安)の説明が行われたということです。ダム事業では、水没地域住民が集団で国などの事業者と補償交渉を行い、交渉が妥結し、補償基準が調印されると、事業者が住民と個別に補償交渉を行うことになります。

 八ッ場ダム事業の歴史では、水没地域がダム受け入れ後、住民が組織した対策委員会が補償をめぐって国と会議や交渉を繰り返しました。住民からも国や県に要望が出されましたが、生活再建しなければならない住民には限られた時間しかなく、結果的に対策委員会はダム事業を円滑に進めるために住民の協力を求める役割を担わされました。城原川ダムでも同様のことが進行しているようです。

 関連記事をまとめました。

◆2023年2月13日 佐賀新聞
https://www.saga-s.co.jp/articles/-/989461
ー土地評価の目安を住民に説明 城原川ダム建設対策協議会ー

 神埼市脊振町に国が建設を計画している城原川ダム事業で、地目認定に関する地元住民への説明会が12日、市脊振交流センターで開かれた。城原川ダム建設対策協議会が、国土交通省から示された土地評価の目安となる地目認定の基準を説明し、水没予定地区の住民から異論は出なかった。16日に確認書への調印を予定している。

 説明会には水没予定地区の83人が出席した。協議会の眞島修会長(85)が、国交省が提示している地目区分23項目のうち、水没予定地域に関係する田、畑、宅地など10項目の認定基準を説明した。

 協議会側は昨年4月から、地目認定に関する国交省の「勉強会」に月1回ペースで出席しており、計画開始から半世紀以上が経過していることも考慮するよう要望してきた。国交省と調印を予定している地目認定基準の確認書案が提示され、住民たちからの反対意見は出なかった。補償金にかかる税金についての説明もあった。

 確認書の調印後は、地目ごとに土地の等級を定めるための補償交渉が本格化する。眞島会長は「皆さんの意見を聞きながら、補償交渉を頑張っていきたい」と住民に呼びかけ、「先に進んできたということを実感してもらえたと思う」と話した。(中島野愛)

◆2022年12月2日 佐賀新聞
https://www.saga-s.co.jp/articles/-/956005
ー城原川ダム水没予定地域 6割の31世帯、集団移転希望ー

 神埼市脊振町に国が建設を予定する城原川ダム事業について、水没予定地域の住民50世帯のうち6割の31世帯が集団移転を希望していたことが1日、分かった。神埼市は集団移転先の候補を5カ所としており、12月から1月末まで対象者に移転先の希望調査を行う。

 同日の市議会一般質問で、佐藤知美議員の質問に花島初善ダム対策担当理事が答えた。

 市はこれまでに、水没予定地域の住民への意向調査を3回実施。花島理事は「昨年6月の調査で31世帯が集団移転を希望していることを把握している」と説明した。集団移転ではなく、個別移転を望んでいる住民への対応については「市営住宅や高齢者入所施設、市有地などの紹介を行う」と答弁した。

 市は移転先候補の中から希望地などを聞く意向調査票を、今月中に対象の50世帯に配布し、来年1月末までに回収する予定。5月の住民説明会の段階では移転先候補を6カ所としていたが、最終的に5カ所に絞り込んだ。

 調査票の回収は配布後、同市脊振町のふれあい館せせらぎで随時、対面で行う。回収期間中には、移転に関する相談などを受け付ける相談日も設ける。市は本年度中の集団移転先の決定を目指している。(中島野愛)

◆2020年6月29日 佐賀新聞
https://www.saga-s.co.jp/articles/-/540253
ー城原川ダム住民組織が統合 神埼市脊振町 補償交渉連携へー

 神埼市脊振町に建設予定の城原川ダム水没予定地区の住民でつくる2組織が28日、統合して新組織を設立した。かつてダム容認派と反対派に分かれ、地区を分断して激しく対立した両組織。長年翻ほん弄ろうされてきた住民らは生活再建に向け、調査後の補償交渉などに手を取り合って臨む。(以下略)