地元紙、上毛新聞が群馬県内の温泉地を取り上げている連載記事「湯の国つなぐ」。11月30日の第四回に川原湯温泉が取り上げられました。
記事の中で「川原湯地区の住民は今年10月時点で145人」とあります。これは長野原町の人口集計表で確認できます。最新データは11月末時点の人口で、川原湯地区は142人となっています。
★長野原町公式サイトより「人口集計表」
https://www.town.naganohara.gunma.jp/www/contents/1363230325247/files/jinkouR5.pdf
川原湯温泉を核とした地元のダム反対運動が終息していった1980年代初頭、川原湯地区の人口は600人を超えていました。その当時と比べると4分の1以下となります。
水没地では、国道が川原湯温泉のある吾妻川の右岸側を走っていましたが、ダム事業によって新たに建設された付け替え国道は、川原湯温泉の対岸を走るようになりました。記事では「渋川市から長野県東御市を結ぶ上信自動車道のバイパスが通れば通過されてしまう」」との関係者の懸念を伝えています。上信道は八ッ場ダム上流の嬬恋村から先ではまだ進んでいませんので、全通までには相当時間がかかりそうですが、すでに川原湯温泉は通過地点になってしまっているのが現状です。国道と川原湯地区を結ぶダム湖に架かる八ッ場大橋は、川原湯温泉の命運を握る「命の橋」だとして建設されましたが、国道を走る車の殆どはダム堤や道の駅に寄ることはあっても、そのまま通過してしまいます。
紙面記事より転載します。
◆2023年11月30日 上毛新聞
https://www.jomo-news.co.jp/articles/-/383182
ー《湯の国つなぐ ONSEN 無形文化遺産へ》④移転 八ツ場に揺れた川原湯 新天地での魅力発信へ奮起ー
800年以上の歴史がある川原湯温泉(群馬県長野原町)。昭和の雰囲気が漂う人気の温泉街だったが、八ツ場ダム建設で水没した。20軒近くあった宿泊施設は、高台への移転に伴い6軒になった。人口減少が課題となる中、関係者は新天地で再び歴史を紡ごうと汗を流す。
旅館が点在する静かな温泉街。雄大なダム湖「八ツ場あがつま湖」がどこからでも見える。旧温泉街から移転した共同浴場「王湯」は住民や観光客で連日にぎわう。
そのダム湖を複雑な思いで見つめるのは、老舗旅館「やまきぼし」社長で同温泉協会長の樋田省三さんだ。「子どもの頃から育ってきた温泉街。観光客がげたを鳴らしながら浴衣を着て、狭い道を歩いて、山が近くて。それが僕らの古里だった」
やまきぼしも移転を決断した旅館の一つ。ダム建設の計画発表から2020年の完成までに68年もの歳月がかかり、住民も賛成派、条件付き賛成派、反対派に分かれた。「一番悲しかったのは、町が分断されたこと」。新天地での再建を考えてきた父の勝彦さんは移転に向けて歩み始めた1999年、ダムの完成を見ずに59歳で亡くなった。
移転先ではやっていけないと、廃業する仲間もいた。それでも、樋田さんは一人旅や素泊まりなど新たな需要に対応できる宿として、営業を続ける道を選んだ。「ダムの建設には約70年かかった。だから70年かかってでも戻ればいい。昔は良かったと、ノスタルジーに浸ってばかりではいられないんです」
新たな取り組みも始まっている。同協会は5月、東京都で開かれた日本最大級のヨガイベントで首都圏の若い世代に同温泉をアピール。ダム湖では雄大な自然を生かし、カヌーやスポーツイベントも開かれている。JR川原湯温泉駅近くにあるアウトドア拠点「川原湯温泉あそびの基地NOA」は、キャンプ場としての人気も高まりつつある。
ただ、移転や人口減少で、川原湯地区の住民は今年10月時点で145人と、20年前のおよそ3分の1に減った。温泉街に飲食店や土産物店は少なく、旧温泉街と比べ寂しさが漂う。渋川市から長野県東御市を結ぶ上信自動車道のバイパスが通れば「通過されてしまう」(関係者)との懸念もある。
同協会青年部長の樋田泰彦さん(37)は「生まれ変わったばかりで、認知度不足が最大の課題」と強調。その上で「泉質が武器であり、お客さんのニーズに応えられる旅館が増えている。周遊観光をアピールするなど地域が一体となって魅力を発信していきたい」と話す。温泉街の新生に向けた挑戦が続いている。