八ッ場あしたの会は八ッ場ダムが抱える問題を伝えるNGOです

八ッ場ダム水没予定地で最後の湯かけ祭り

 八ッ場ダムの水没予定地にある川原湯温泉で大寒の今朝、湯かけ祭りが行われました。
 湯かけ祭りは川原湯の泉源で行われてきた伝統行事ですが、泉源は八ッ場ダムによって水没します。住民の移転代替地に川原湯温泉を再建するため、温泉水を長い管で送る設備が完成し、新しい共同浴場も春には代替地で完成する予定です。このため、現在の温泉街での湯かけ祭りは今年が最後になるということです。
 湯かけ祭りは泉質の良い自然湧出の川原湯温泉がいつまでも湧き出ることを願って行われる神事です。来年以降、泉源や神社から離れた代替地で祭りがどう再現されるのか、ダム事業によるおびただしい工事が温泉に影響しないか、多くの川原湯ファンが心配しながら見守っています。

◆2014年1月20日 朝日新聞
 http://www.asahi.com/articles/ASG1K3V28G1KUHNB11B.html

ー八ツ場ダムで水没、最後の湯かけ祭り 400年続く奇祭ー

 国が今秋の本体着工をめざす八ツ場(やんば)ダムの水没予定地、群馬県長野原町の川原湯温泉で大寒の20日、伝統の「湯かけ祭り」があった。温泉の恵みに感謝し、ふんどし姿の男たちが湯をかけ合う奇祭。400年余りの歴史があるが、ダム建設で温泉街自体が移転を迫られ、現在地では最後となる。
 午前5時半すぎ、山あいにある共同浴場「王湯」の気温は零下8度。総大将の合図で、紅白に分かれた約60人が一斉に「お祝いだ」と叫び、源泉からくんだ湯を何度もかけ合い、湯気と熱気に包まれた。かけ声は一度途絶えた温泉が再び湧き出し、「お湯湧いた」と喜び合った故事にちなむ。

 ダム計画浮上から今年で62年。最盛期に22軒あった旅館もここで営業を続けるのは3軒に。ただ、高台の移転代替地の新しい温泉街で3軒が営業を始め、数軒が準備中。湯かけ祭りも代替地に今春完成する共同浴場で続けられる。川原湯温泉観光協会長の樋田省三さん(49)は「温泉の恵みに感謝という祭りの趣旨は変わらない。地域のみんなで新しい開催方法を話し合っていく」と話した。(小林誠一)

◆2014年1月20日 毎日新聞
 http://mainichi.jp/select/news/20140120k0000e040190000c.html

ー湯かけ:今年で「最後」 八ッ場ダム予定地、川原湯温泉ー

 群馬県長野原町の八ッ場ダム完成後に水没予定の川原湯温泉で20日、下帯姿の男たちが無病息災を祈って湯をかけ合う伝統の「湯かけ祭り」があった。ダムの本体工事が今秋着工される見通しで、来年の祭りは高台の代替地に会場を移す方針。現会場での開催は最後となった。

 川原湯温泉協会によると、祭りは約400年前に温泉の湧出(ゆうしゅつ)が止まった際に住民が鶏を奉納、再び「お湯湧いた」と喜んだのを「お祝いだ」と転じ、湯をかけ合ったのが始まりとされる。

 この日は、二十四節気で最も寒いころとされる「大寒」。温泉街の共同浴場「王湯」には早朝から、赤と白の下帯姿の地元住民や宿泊客の男性60人が集合した。午前5時40分ごろ「お祝いだ」のかけ声とともに勢いよく湯をかけ合うと、真っ白な湯けむりに包まれた。

 これまでに10回以上祭りに参加しているという同町大津、自営業、大矢大介さん(33)は「今の場所での最後の祭りに多くの人が集まり、良い思い出になった。新しい場所でも祭りを盛り上げたい」と話した。【角田直哉】

◆2014年1月20日 東京新聞夕刊
 http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2014012002000224.html

ーダム水没の前 最後の湯かけ 群馬 川原湯温泉で祭りー

 群馬県長野原町の川原湯温泉で二十日、「湯かけ祭り」が開かれ、ふんどし姿の男たちが無病息災を祈願して威勢良く湯をかけ合った。会場の共同浴場「王湯」は、二〇一九年度に完成予定の八ッ場ダム建設で水没するため、今年が移転前最後の開催となった。

 午前六時ごろ、気温が氷点下八度まで冷え込む中、中学生から五十代まで約六十人の男衆が「お祝いだ」と叫び、あちこちで湯気としぶきが上がった。最後にくす玉を割って中から飛び出した四羽のニワトリを奪い合い、熱気は最高潮に達した。

 王湯は代替地に移転する予定で、新しい共同浴場の建設が進んでいる。

◆2014年1月20日 読売新聞
 http://www.yomiuri.co.jp/otona/tripnews/03/gunma/20140120-OYT8T00683.htm

ー最後の熱気…伝統の奇祭「湯かけ祭り」 八ッ場ダムで水没、川原湯温泉ー

 氷点下8度の寒さの中、紅白に分かれたふんどし姿の男性約60人が「お祝いだ」と叫びながら共同浴場の湯をおけで豪快にかけ合い、地域の繁栄や無病息災を祈った。

 祭りは約400年前、温泉がかれた際、住民が祈願して再び湧き出したことを喜び、湯をかけ合ったのが始まりとされる。掛け声は「お湯湧いた」から転じた。

 同温泉は2014年秋に本体工事が始まる予定の八ッ場(やんば)ダムの水没予定地にあり、祭りが現在の温泉街で開かれるのは最後。来年からは約30メートル高台に建設中の新温泉街の共同浴場で行われる。

◆2014年1月20日 NHK
 http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140120/t10014612871000.html
ー八ッ場ダム建設で地元最後の湯かけ祭りー

群馬県の八ッ場ダムを建設するため、温泉旅館などの移転が進められている群馬県長野原町の川原湯温泉の温泉街で、最後の「湯かけ祭り」が行われました。
 川原湯温泉の「湯かけ祭り」は、およそ400年前に温泉が枯れたため、神社にニワトリを奉納したところ、再びお湯が沸き出しお湯をかけ合って喜んだのが始まりとされています。
 会場の共同浴場の前では、早朝から氷点下8度の厳しい冷え込みのなかで神事が行われたあと、下帯姿の住民などおよそ60人が威勢のよいかけ声を響かせ、お湯をかけ合いました。
 そして最後に高さ4メートルほどの場所につるされた紅白2つのくす玉めがけてお湯をかけ、中から飛び出したニワトリをつかまえて祭壇に奉納しました。
 八ッ場ダムは平成32年の完成に向けて、新年度にはダム本体の工事が始まる予定です。
 祭り会場の共同浴場はダムが完成すれば水没するため、今年度中にも高台に移転することになっていて、祭りの実行委員会によりますと、この場所での祭りはことしが最後になるということです。
 参加した30代の男性は「この地では最後の祭りなので思い出に残るものになりました。場所が変わってもこの祭りを盛り上げていきたいです」と話していました。

◆2014年1月21日 上毛新聞
 http://www.jomo-news.co.jp/ns/8613902290955912/news.html
ー「ここで最後」気合のしぶき  川原湯の湯かけ祭りー

 長野原町の川原湯温泉で約400年前から続く奇祭「湯かけ祭り」が大寒の20日早朝、共同浴場「王湯」前で行われた。八ツ場ダム建設に伴い、水没予定地にある王湯は今年中に高台に移転、歴史ある温泉街で最後の開催となる。下帯姿の男たちが例年以上の熱気で威勢良く湯をかけ合った。

 勇壮な和太鼓の演奏に続いて、午前5時ごろから湯の恵みに感謝する神事が執り行われた。王湯の下にある源泉を分湯し、近くの共同浴場「笹湯」と川原湯神社に奉納すると、湯かけ合戦が始まった。

 「ここでやる最後の湯かけ。気合を入れろ」。総大将の冨沢和久さん(45)の号令で、中学生から50代まで赤組と白組に分かれた60人の選手が一斉に湯をかけると、辺りは白い湯煙が立ち込めた。「お祝いだ」「お祝いだ」―。氷点下10度近くまで冷え込み、湯しぶきもすぐに凍り付くほどだったが、選手と観光客、カメラマンら約300人の熱気であふれた。

 夜が白けてきた午前6時半ごろ、紅白のくす玉を割って、中から出てきた4羽のニワトリを選手が奪い合った。王湯の目の前の高台には、湯の守り神「湯前(ゆぜん)さま」が祭られている。湯かけ祭りが一区切り付いたのを受け、全員が湯前さまに向かい、手拍子で締めた。
 湯かけ祭りは、かつて温泉が枯れた際にニワトリをささげて祈願したところ再び湯が湧き出し、住民が湯をかけ合って喜んだのが起源とされる。

「伝統引き継いで」 来年以降に前向き
 湯かけ祭りの新たな会場となる「王湯会館」は、現在の王湯より約30メートル高い代替地に整備中で、年度内にも完成する。現在の王湯の雰囲気を残す和風の建物で、男女別の内湯と露天風呂を備える。
 同祭り実行委員長の樋田省三さん(49)は「建物が完成したら、4月ごろから実際に現場を見て、来年に向けた会議を始めたい」と話す。祭りで湯を奉納する川原湯神社、笹湯とも将来的に代替地に移転する予定だが、これまでより距離が離れ、どのような方法で開催するかが検討課題だ。
 不安はあるものの、来年以降の祭りについて、総大将、大将とも前向きにとらえる。総大将の富沢さんは「伝統を引き継ぎながら、新しい部分も取り入れたい。みんなで協力し、盛大にやっていきたい」と来年の祭りを見据えている。

◆2014年1月21日 読売新聞群馬版
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/gunma/news/20140120-OYT8T01443.htm
ー移転前最後の湯かけ…川原湯 新温泉街で伝統継承ー

 大寒の20日未明、長野原町の川原湯温泉で年1回の伝統の奇祭「湯かけ祭り」が行われた。同温泉は今年秋に本体工事が始まる予定の八ッ場ダムの水没予定地にあり、祭りは来年から高台の新温泉街に移る。氷点下8度の厳しい寒さの中、紅白に分かれたふんどし姿の男性約60人は湯をおけで豪快にかけ合い、伝統の継承を誓い合った。

 午前5時半頃、参加者全員が共同浴場「王湯会館」前に出そろうと、赤組と白組をまとめる「総大将」の団体職員冨沢和久さん(45)が「この場所では最後となる。気合を入れろ」と大声で鼓舞。これを合図に、男性たちは「お祝いだ」と叫びながら湯を激しくぶつけ合った。

 浴槽の湯が少なくなった同6時30分頃、宙につるした紅白のくす玉が割れて、中から縁起物のニワトリ4羽が飛び出した。男性たちはニワトリを我先にとつかみ取り、最後は観客を含めた全員で三本締めをして温泉への感謝の気持ちを表した。

 赤組で出場し、4年連続でニワトリを捕まえた建設会社社長大矢大介さん(33)は「最後の場所で思い出に残る祭りになった」と、全身から湯気を立ち上らせながら笑顔を見せた。

 祭りは約400年前、温泉がかれた際、住民がニワトリを供えて祈願して再び湧き出したことを喜び、湯をかけ合ったのが始まりとされる。掛け声の「お祝いだ」は「お湯湧いた」から転じた。

 来年の祭りは約30メートル高台の新温泉街で、3月末までに完成予定の新しい王湯会館で行われる。

 6歳の時から祭りに参加している祭りの実行委員長、樋田省三さん(49)は「新しい温泉街でも湯かけの伝統を引き継ぎ、にぎやかにやっていきたい」と決意を語った。

◆2014年1月21日 朝日新聞群馬版
 http://www.asahi.com/articles/ASG1K4VV0G1KUHNB11V.html
ー移転前最後の「湯かけ祭り」継承誓う 川原湯温泉ー
お祝いだ――。大寒の20日早朝、男たちの大声が何度も響いた。長野原町の川原湯温泉にある共同浴場「王湯」で開かれた「湯かけ祭り」。八ツ場ダムができれば温泉街ごと沈む。移転のため今の場所では今年が最後だったが、住民たちは400年余り続く伝統の奇祭の継承を誓った。

 湯かけ太鼓と神事に続いて男たちが集まった午前5時半、山あいの温泉街は気温零下8度。「お湯に対する感謝を示そう」と赤組大将の竹渕剛史さん(33)、「最後だからな」と白組大将の篠原健さん(37)、「この場所で最後の湯かけ。気合を入れろ」と総大将の冨沢和久さん(45)。川原湯育ちの3人が参加者約60人にゲキを飛ばした。

 最年少は久保田元輝君、和輝君の双子で12歳。最年長は篠原敏敬さんで55歳。冷え込みが増す中、「お祝いだ」と叫んでは湯をぶつけ合い、源泉にくみに行く。「合戦」は約1時間、途切れなく続いた。

 川原湯の人々はダム問題長期化で地区の人口が減る中、現在地で最後の湯かけの日を見すえ、地区外にも祭り参加の門戸を開いて若返りを進めてきた。「勢いがなければ『湯かけ』じゃない」と口をそろえる。

 くす玉に湯をかけて出てくるニワトリを神前に奉納し、全員が舞台下に集まっておけをたたく「シャンシャン」で締めた。王湯前の神様「湯前様(ゆぜんさま)」に加え、現在地で最後の湯かけを見届けた約300人の観光客に感謝の気持ちを表した。

 事前準備で大将3人に締めを指導した実行委員長の樋田省三さん(49)は「良かったんじゃないの」と及第点を与えた。自身も6歳から45歳まで参加し、大将を8年、総大将を5年務めた。湯かけに寄せる思いは格別。だからこそ厳しい。

 「建設中止」から「再開」。水没5地区は近年も政治に振り回されてきた。だが、樋田さんは湯かけ祭りが政治と関連づけられるのを嫌った。「温泉に感謝する地域の大切な神事。思いは何も変わらない」。毎年同じ言葉を口にした。

 湯かけ祭りは400年余り前に始まったとされる。温泉が出なくなり、困った川原湯の人々がニワトリを生けにえにして祈ったところ、再び湧き出た。「お湯わいた、お湯わいた」と喜び合ったのが、「お祝いだ、お祝いだ」に転じて湯をかけ合うようになったという地区の伝承にちなむ。

 全戸が水没する川原湯地区は800年以上、温泉と歩んできた。昭和の最盛期には旅館も22軒あり、芸者もいたが、62年に及ぶダム問題で住民の転出が相次ぎ、水没予定地で今も営業する旅館は3軒になった。

 だが、川原湯温泉は高台の代替地で再生に取り組んでいる。3軒が昨年、宿泊客を受け入れ開始。他の旅館の移転も今後、本格化する。「王湯」の代替施設も今春完成予定で、湯かけ祭りの新たな会場となる。

 樋田さんは「新しい場所での祭りの定着には10年くらいかかる」と感じている。先祖代々、400年以上、今の場所で受け継がれてきた祭りだ。源泉をくみ上げ、歩く道筋など何もかもが変わる。新しい湯かけ祭りは、裏方として支える女性たちを含め、みんなでつくっていくしかない。

 一方で、樋田さんは言い切った。「場所や環境が変わっても、川原湯に温泉がわき続ける限り、湯かけは続く。バトンは次世代に受け継がれる」(小林誠一)
   ◇
■会場の「王湯」今春いっぱい

 湯かけ祭りの会場となってきた川原湯温泉の現在の共同浴場「王湯」に観光客が入れるのは今春までだ。約30メートル高台にある温泉街の代替地では、町が年度内の完成をめざして新たな共同浴場「王湯会館」を建設中。水没補償のため同時の営業はないといい、47年の歴史に幕を下ろす。

 町や地元住民によると、王湯は1967年に現在の姿になった。鎌倉幕府を開いた直後の源頼朝が1193年に発見したという伝承にちなみ、正面の源氏の紋所「笹竜胆(ささりんどう)」が目印。内湯は天井が高く、別棟の露天風呂は渓谷美が楽しめる。営業は午前10時~午後6時。入浴料は大人300円、子ども200円。直下の源泉は長年、川原湯温泉の旅館に供給されてきた。

 建設中の王湯会館の整備費は約2億2700万円。ダムの補償金と下流都県の負担金でまかなう。川原湯神社近くの別の源泉から温泉をひくが、成分は似ているという。将来的にはダム湖畔になる。