8月22日、八ッ場ダム予定地の上流にある居家以(いやい)岩陰遺跡で発掘調査を行っている国学院大学が現地説明会を開催しました。
発掘調査を行っている考古学研究室のフェイスブックです。
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居家以遺跡は1987年から3ヶ年計画で、長野原町教育委員会が群馬県教育委員会の指導のもとに行った町内の遺跡の分布調査で確認された遺跡です。遺跡の所在地である長野原町の貝瀬は、JR長野原草津口駅にほど近い、吾妻川と支流・白砂川の合流点(新須川橋の信号)から白砂川沿いに国道292号を約1キロメートルさかのぼった、旧・六合村との境にある13軒の集落です。
長野原町の調査報告書に掲載されたダム予定地の遺跡は、現在、八ッ場ダム事業により急ピッチで発掘調査が行われていますが、非水没地の貝瀬集落にある遺跡はダム事業とは関係ありません。わが国では八ッ場ダムに限らず、公共事業に関わる埋蔵文化財の調査が発掘調査の大半を占めており、大規模な予算と大量の調査員を投入して限られた期間内に調査を終えることを宿命づけられています。
学術調査も公共事業関連の発掘調査も、目的や調査の内容は同じですが、取り巻く環境は大きく異なります。居家以岩陰遺跡における今夏の調査は、夏休みを利用した8月13日から24日の期間に行われ、谷口康浩団長はじめ、大学生28名、大学院生11名、その他、大学OBや他大学の学生さんも加わったとのことです。夏の初めの猛暑とは打って変わり、8月後半は雨が多く、繊細な作業、それに肉体労働を伴う発掘調査は大変なことが多かったと思いますが、作業中の学生さんはキビキビと体を動かし、笑顔が爽やかでした。
岩陰遺跡は張り出した岩盤を屋根代わりに利用したもので、岩陰部分は風雨を防ぐことができます。居家以岩陰遺跡は白砂川に注ぐ深沢の右岸に位置し、遠くに八ッ場のシンボルである丸岩が眺望できます。
文字通り深い沢となっている深沢は、遺跡のある場所からは沢音が聞こえるだけですが、岩陰遺跡を形作っている凝灰角礫岩の露頭は、かつての深沢の穿入蛇行によって形成されたということです。吾妻川支流の白砂川は酸性河川ですが、深沢はイワナが棲息する清流です。同じ場所に連続して6つの岩陰遺跡が並んでおり、これらを合わせて居家以岩陰遺跡群と呼び、縄文人だけでなく、弥生人が生活した岩陰遺跡もあるとのこと。6つの遺跡がすべて調査できるとよいですが、それにはかなりの労力と時間がかかりそうです。現在発掘調査が行われているのは、遺跡群のうち最も手前にある第1岩陰です。
(写真右=居家以岩陰遺跡で出土した黒曜石の矢尻。深沢の魚を捉える銛
発掘調査は岩陰部分と、その前面に広がる斜面(テラスと呼ばれる)でそれぞれ行われていました。岩陰部分では火を使った場所や埋葬地などが出土していました。テラス部分は生活廃棄物の捨て場として使用されていたとのことで、場所によっては3m以上掘り進めているところもありました。
22日の現地説明会では、岩陰部分から3日前に出土したという頭骨を見ることができました(写真右)。縄文早期(7000年以上前)の幼児の埋葬地と推測され、頭骨の脇には背骨の凹凸が見えましたが、説明してもらわなければ見逃してしまいそうです。そばには別の骨もありましたが、こちらは動物の骨である可能性があるとのこと。さらに周辺を調査すれば埋葬地の全貌が明らかになりそうですが、今夏の調査は間もなく終了し、ここも埋め戻さなければならないということでした。注目される縄文人の人骨出土ですが、マスコミではまだ取り上げられていません。
岩陰遺跡では、火を使った場所に灰が積り、アルカリ性の灰層が岩陰を利用した人々の生活の痕跡を残す役割を果たすとのことで、植物考古学の協力を得て、縄文人が栽培していたエゴマの種子さえ確認できることもあるそうです。これまでに出土した矢じりや細かい動物の骨も、ふるいにかけて丁寧により分けていました。
吾妻渓谷の八ッ場には、岩陰遺跡として有名な石畑岩陰遺跡があります。ダム本体工事現場のすぐ上流にあるこの遺跡周辺はすでに立ち入り禁止になっていますが、その下を走っていた吾妻線への落石防止の防御壁工事のために以前に一部発掘調査が行われています。その際、1万年以上前の縄文土器や熊や鹿、イノシシ、雉などの骨が大量にみつかっており、今後の発掘調査が注目されます。
http://www.tg.rim.or.jp/~ewakim/joumon/nnhih/nnhih.html