「川原湯また一つ・・・ダムに始まり、ダムに終わる」(讀賣新聞)

2005年10月27日 讀賣新聞群馬版より転載

■「川原湯」また一つ…川原湯館月内閉館75歳主人「丈夫なうちに」

 川原湯の灯がまた一つ消える――。八ッ場ダム建設で水没する長野原町・川原湯温泉で、半世紀にわたって営業を続けてきた旅館「川原湯館」が今月限りで閉館する。主人の竹田博栄さん(75)が家族で経営してきたが、ダム事業が長期化する中、「丈夫なうちに」と、新天地での生活再建を決めた。竹田さんは「水没者はどこまでも犠牲者。国の水行政の見直しを望みたい」と訴える。

 同館の創業は1953年で、800年の歴史を持つ川原湯の中では後発組。体の弱かった竹田さんが、両親に連れられて訪れた川原湯の温泉につかったことで健康を取り戻し、現地に住みついたのがきっかけだった。くしくもダム建設計画が浮上した翌年。以来、「ダムに始まり、ダムに終わる」(竹田さん)旅館の歴史が始まった。

 反対運動が激化した70年代以降、竹田さんは住民の先頭に立って建設省(当時)側と対峙(たいじ)した。一斗缶をたたいて同省職員を追い出し、反対陳情のため議員宅を回った。地元が建設受け入れに転じても、住民グループ委員長として、現地再建計画の交渉にあたるなど対応に奔走。当時から「犠牲のないダム計画などあるだろうか」と口にし、生活の転換を強いられる水没住民の思いを代弁してきた。

 川原湯館は、老舗旅館が集まり「大どころ」と呼ばれる一角からは少し離れた温泉街の入り口側にある。収容人数20人ほどの小さな宿だが、料理やウエルカムケーキが好評で、遠方からも常連客が足を運んだ。

 「昭和30~40年代は泊まれないほどお客が来た」というが、その後は衰退の一途をたどり、ダムに沈むからと増改築もできぬまま。10人ほどいた従業員も次第に減り、今は妻の冨美子さん(75)と娘の3人で細々と続けてきた。

 水没住民の移転先となる代替地は、来春にも一部分譲が始まる。住民は国の補償金を元手に代替地を購入し、旅館や住宅を建てることになる。だが、川原湯の旅館経営者の多くは借地人で、竹田さんもその一人。地主の旅館に比べ補償金が少ない上、代替地の分譲価格も温泉街地区は3割増となっており、補償金だけでは旅館再建は難しい。

 息子は若くして亡くし、娘婿も勤めに出ている。後継ぎのことを考えても、「今が潮時」と思い、「動けるうちに他に移ろう」と決めた。

 今、川原湯館のロビーには、閉館を惜しむ常連客から届けられた花が飾られている。週末には、千葉県から、「十数年ぶり」という馴染(なじ)み客も訪れ、玄関で竹田さんと冨美子さんが笑顔で出迎え、最後のもてなしをした。

 「故郷を奪い、水没者に犠牲だけを押しつけるダム作りは、二度と繰り返すべきではない」。そう願いながら、竹田さんは温泉街を後にする。