2007年1月18日 東京新聞社説より転載
ダム建設などの巨大事業は、環境重視や住民参加型で計画を練るべきだ。改正河川法の意図はそこにある。利根川水系などの河川整備では、もっと住民の声をくみ取る仕組みを考えたい。
河川法が一九九七年に改正されたのは、長良川河口堰(ぜき)工事をめぐって、住民らと対立した問題が教訓としてあったためだ。
だから、治水や利水など河川整備の将来計画を立てる際には、環境面の重視と住民の意見を反映するという二本柱が掲げられた。
そうした視点が河川法に取り入れられたのは当然で、遅すぎたほどである。
だが、最近、河川行政に“退化”の兆しがあるのは気がかりだ。
関西の淀川のケースが、その一例である。二〇〇一年に設けられた淀川水系流域委員会では、委員を役所ではなく、学識者らの第三者会議が選んだ。事務局も民間委託された。オープンな場で、六年間で四百回以上もの議論が重ねられた。
その過程で、委員会は五つのダム計画について、〇三年に「原則として建設しない」と提言した。それに対し、国は〇五年に「三つのダムは継続」との方針を打ち出した。
そして、今月末で委員会は「一時休止」する。確かに「時間とコストのかかりすぎ」などの強い批判はあった。だが、国が提言に腰を引いた印象も否めないだろう。
もう一つの事例は、関東平野を流れる利根川水系の整備計画である。
この首都圏の治水、利水計画については、流域委員会方式を避け、有識者会議による議論と同時に、公聴会やインターネットで住民らの意見を聞く方式がとられる。
公聴会は来月中に一回目が開かれるが、その後は関係流域で約二十回程度、開かれるにすぎない予定だ。一人あたりの発言時間も十分程度にとどめられそうだ。淀川方式と比べて、“落差”が大きいといわれてもやむを得まい。
利根川水系では三つのダムや遊水池の掘削事業などが計画されている。群馬県の八ッ場ダム計画などに対しては、治水・利水の必要性に疑問が投げかけられ、一都五県で住民訴訟が起こされている。大規模な事業を行えば、生態系は壊され、自然景観などでも取り返しがつかない。
だからこそ、「聞き置く」だけの公聴会であってはならないはずだ。大事なのは、住民参加の窓口を広げ、声を直接、会議に反映させることだ。国と有識者、住民らが同じテーブルで議論を深めることはできないものか。工夫が求められる。