三ッ堂の百八灯、今年が最後ー上毛新聞コラムより

2007年8月11日 上毛新聞一面コラム「三山春秋」より転載

 八ッ場ダム建設で水没する長野原町川原畑を訪ねたら、
お盆の送り火の一つで二百年の伝統がある三ッ堂「百八灯」が
現在地で行われるのは十六日の夜が最後、と教えられた。

 三ッ堂は、江戸時代に閻魔堂として建てられた。その後、観音堂、
阿弥陀堂、毘沙門堂の三つに分かれ、こう呼ばれるようになった。
現在は観音堂だけが残り、地域の信仰を集めている。

 境内には石仏が並び、間もなく新天地に移転するが、その中に
「天明三(一七八三)年」の年号が刻まれた馬頭観音がある。

 この年は浅間山が大噴火した年。吾妻川を流れ下った泥流が
「十数メートルから二十メートルの津波」となって襲いかかった。
川原畑でも四人が犠牲になった(嬬恋村名主の記録)。
この観音像は泥流で失った愛馬の慰霊のために飼い主が建立した。

 歴史に残る大災害だが、緑豊なふるさとを埋め尽くすことはなかった。
三ッ堂の高台に立つと、対岸に川原湯の温泉街、眼下に吾妻川が
見える。その谷底を国道145号と吾妻線が走る。

 この地に生まれ育った女性が言った。
「吾妻川の鉄橋を渡ってくる電車を見るのが好き」。
水没住民たちは、沈みゆくふるさとのために、胸の奥にどんな慰霊碑を
建てるのだろうか。三ッ堂には、昔から変わらない蝉しぐれが降り注いでいた。