八ッ場あしたの会は八ッ場ダムが抱える問題を伝えるNGOです

「ダムの村、地割れで移住話」(朝日新聞)

 巨大なダムを造るには、入念な地質調査が必要とされます。日本全国、ダムの適地とされる場所には、あらかたダムが造られ、今、建設中のダムは、どこも地質に問題を抱えていると言われています。
 ダムによる地すべり災害は、今まであまり報道されてきませんでしたが、最近、奈良県の大滝ダム、埼玉県の滝沢ダムなど、ダム完成後に地すべりが発生し、運用を始められない巨大ダムの実態が次々に報じられています。
 八ッ場ダム事業長期化の大きな要因も、地質問題とされています。過去のダムの失敗が、八ッ場ダム事業に活かされるのでしょうか?

2007年10月27日 朝日新聞埼玉版より転載

荒川新時代 第2部 開発の光と影:1ダムの村、地割れで移住話 /埼玉県

 秩父市大滝の山中にある二瀬(ふたせ)ダム左岸の急傾斜地に、50~60軒の家がへばりついている。すぐ下では荒川の流れがダムにせき止められ、秩父湖を形作っている。
 信州、甲州につながる主要道、秩父往還の集落として、江戸時代は三峯詣でや善光寺詣での往来でにぎわった。村人は山仕事に従事し、荒川を伝い、いかだでヒノキを運んだと伝わる。
 今は高齢化が進み、林業は廃れ、主立った産業もなくなった。何より1961年にダムができたころから、村人は地滑りによる地割れに悩まされ続けている。
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 この地域を訪れると、道路に入った割れ目、ゆがんだ家の柱などはいくつも見つかる。
 麻生で民宿を経営する山中潔さん(64)宅を17日に訪ねた。居間の畳を上げると幅10~20センチの裂け目が地面に走っていた。約10年前に見つかったという。枝分かれしながら母屋を縦断し、家の前の石垣まで続いていた。
 柱や床材は斜めにゆがんでずれるので、ボルトで固定する。約6年前、地下でずれた水道管の修理代で160万円、民宿の風呂が割れて300万円など、家の修理には事欠かない。「ひどくなったのは10年前から。ダムの水位が下がると家がギシギシきしむ。補償要求しても、役所でたらい回しにされるだけ」
 上中尾の主婦、高橋トラジさん(82)の寝室の壁には今年、幅1センチ、長さ約150センチのひびが入った。「天気が続くと家が乾いてビシン、ビシンと音がする。気にしてもしょうがないけれど」
 旧大滝村議を3期務めた上中尾の山中要三郎さん(75)は指摘する。「ダムができる前は地滑りは起きなかった」
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 県が88年に発行した「荒川総合調査報告書」を見ると、53年に運搬道工事が始まると地滑りが各所で起こった。ダムサイトの採掘工事では大規模な地滑りが逐次発生し、対策に相当の工費と日数が費やされたとある。
 国土交通省二瀬ダム管理所によると、ダム周辺は火山灰が堆積(たいせき)した層が斜めに重なり、地滑りを起こしやすい地質、地形だという。約2キロ離れた水資源機構・滝沢ダム周辺でも05年の試験湛水(たんすい)以降、地滑りが頻発している。
 ダム完成後、同管理所は対策工事に追われた。65~98年度、3集落で計4回の対策工事を行った。さらに02~05年度、麻生地区で23億円かけて、270メートルにわたり杭を61本埋め込んだ。
 それでも、同管理所はダム建設と地滑りの因果関係は明確ではないという立場だ。山田政雄所長は「地滑りはダムの水位低下のほかに大雨などの要因も考えられる。ダム建設前から発生していた可能性もあり、住民と見解の相違がある」と主張する。
 現在、ボーリングを進め、のべ120地点で地盤や地下水の動きを観測する。「計器上、大きな異常はない」という。
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 そんな地割れの村で近年、二瀬ダムの再開発計画が持ち上がった。治水対策などを進めるため、国交省は04年度からダムのかさ上げを検討し始めた。同管理所は「具体的な計画は決まっていない」というが、住民の間では早くも、国からの補償を前提にした移住が話題にのぼる。
 潔さんは「こんな危険な所に残りたい者はいない。病院があって、息子や娘と一緒に住みたいのが本音」。要三郎さんも「かさ上げが決まれば補償を求める住民組織ができるだろう」。
 だが、要三郎さんに上中尾を案内してもらった時、主婦の山中礼さん(82)は明言した。「何十年もここにいるし、私は山の人間。移転は考えていない」
 要三郎さんは思わずつぶやいた。「そうか、礼さんは残るか。それにしても、江戸時代からの歴史の中で、今さら地滑りなんて……」

 【写真説明】
(上)二瀬ダムのほとりに住宅が並ぶ上中尾地区(下)麻生地区の山中潔さん宅の床下には、地面に大きな裂け目が入っている=いずれも秩父市大滝で