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「徳山ダムー何のための半世紀だった」(朝日新聞)

2008年4月15日 朝日新聞社説より転載

 ため込む水は浜名湖の2倍という日本最大のダムが、岐阜県の山奥にまもなく完成する。いま最後の貯水試験の最中だ。
 徳山ダム。構想から50年余り、満々と水をたたえる人造湖を見て感じるのは、むなしさである。
 多目的ダムというのに、発電の施設もなければ、水道水や工業用水を取り込む設備もないままだ。「洪水対策に役立つ」というが、それだけならもっと小さなダムでよかった。
 総事業費は3500億円。神戸空港がもう一つできる金額である。
 このダムのために、一つの村が完全に水の底に沈められた。1500人の住民は全員、村の外へ移った。イヌワシやクマタカが舞っていた環境はすっかり変わってしまった。
 なぜ、こんなことになったのか。時代が移り、電力や水の需要が予想ほどには増えなくなったのに、引き返すことなく、過去の計画をそのまま進めたからだ。費用と効果のバランスを考えず、役所の都合ばかりを優先した日本型公共事業の典型といえる。
 これまで計画を改める機会は何度もあった。水力発電の必要性が薄れた60年代。用地買収の交渉が難航した80年代。水需要が伸びなくなった90年代。旧建設省や国土交通省がいずれかの時に立ち止まっていれば、こんなことにはならなかった。
 とりわけ残念なのは、90年代以降の動きだ。公共事業への批判にさらされ、河川行政の転換を図った。費用対効果の検証を徹底するなどして、全国で100以上のダム建設を中止した。
 だが、徳山ダムは計画を手直ししただけだった。同じように大規模な八ツ場ダム(群馬県)や川辺川ダム(熊本県)も建設を続けている。
 長い年月、多額の費用をつぎ込んだがゆえに途中でやめにくいということだろう。だが、それでは無駄なものをつくり続けることになりかねない。
 自治体の責任も大きい。愛知、岐阜両県と名古屋市は、水需要が伸びなくなったのに、計画に同意し続けた。そのツケは大きく、今後、水道などの利水分の建設費用1500億円を払っていかなければならない。それはけっきょく住民の負担になる。
 国交省は徳山ダムに関連し、さらに900億円を投じて取水のための導水路をつくろうとしている。渇水のときなどにダムの水を使おうというのだ。だが、渇水対策なら、ふんだんに水を持つ農業用水と調整すればいい。
 発電、利水、洪水対策、さらには渇水対策。そんなふうに看板を次々にかけ替えて公共事業を守るのは、もうやめてもらいたい。そして、こんなお役所仕事が半世紀もの間、なぜ許されてきたのか。そのことも突きつめて考えたい。