八ッ場あしたの会は八ッ場ダムが抱える問題を伝えるNGOです

「政治に翻弄 半世紀」(東京新聞)

2008年10月19日 東京新聞特報欄より転載
「政治に翻弄 半世紀 ”不要”でも生活が・・・」

”首都圏の水がめ”として半世紀以上前に計画された八ッ場ダム(群馬県長野原町)。 ダム本体の着工が来年度にも予定される中、「止まらない公共事業」の象徴として総選挙で建設の推進・中止が争われそうだ。一方、水没地の住民は建設の遅れに翻弄され、生活再建ができないでいる。秋深まる現地を歩いた。(関口克己)

「 止まらない公共事業の象徴「八ッ場ダム」 水没地住民は恨み節」
 JR吾妻線・川原湯温泉駅近くの滝見橋。眼下には利根川上流の吾妻川が秋の陽光に輝く。「関東の耶馬溪」とも称される吾妻渓谷は、刻々と赤や黄を濃くしていた。
 「向こうにロープが見えるでしょ。あそこがダム本体予定地です」
 ダム計画の見直しを求める市民団体「八ッ場あしたの会」(前橋市)の事務局長、渡辺洋子さんは話す。
 橋の下流二百㍍はどに川をまたぐロープが張ってあった。工事は手付かずだが、約五百㍍下流に行くと風景は一変。ショベルカーなど数台の重機が土煙を上げていた。

 仮排水トンネル工事で、ダム本体を建設する際、川の水を迂回させて下流に流す
全長三百九十㍍のバイパスになる。
 さらに上流域では、巨大な橋や付け替えの国道やJR線が建設中で、高度成長時代にタイムスリップしたかのような錯覚に陥る。ダムができれば渓谷美は消える。
 渡辺さんは「首都圏の水は余っているのに、なぜ工事を続けるのか。地元住民の生活はままならないのに」と語る。

 四十年続いた反対運動の末、苦渋の決断でダムを受け入れた水没地住民の思いは複雑だ。
 約二㌔上流の川原湯温泉街。十二世紀、源頼朝が発見したとされる名湯だ。
崖にへばりつくように十軒の旅館がある。
 「ダムはできても、できなくてもいい。求めたのは水没地ではない。最優先は私たちの生活だ」
 「やまきぼし旅館」の五代目主人、樋田省三さん(四十四)は語気を強めた。
 冬には三㌔離れた山並みが眺められる露天風呂が自慢。だが代替地への移転が進まず、 改修にも手を付けられない木造の建物は老朽化が進む。
 「『ダムに沈む温泉』と注目され、にぎわった時期もあった。だけどダムはできないまま時間だけが過ぎ、温泉街は世間から忘れられた」
 二〇〇一年、地元が国と宅地や農地などの補償協定を結ぶと、住民は次々と去った。 川原湯地区は現在四十八世帯。三十年前の四分の一だ。

 時は流れ、公共事業の代表格とされるダム建設に向けられる世論は厳しさを増す。九月には、熊本県の蒲島郁男知事が国の川辺川ダムに反対を表明した。樋田さんも「ダム中止が大勢であることは理解できる」としながらも、こう続ける。
 「それでも、ダム計画が止まると、われわれは生きていけない。新たな土地で心機一転、いい温泉街を造りたいのに、政治はそれすら許さないのか。ダムさえ止まれば、水没地 住民は首をつって死んでもいいのか」

「寂れる温泉 望みは再建 衆院選争点 野党”中止を”」
 温泉街は、崖の高台に盛り土などをして造成する打越代替地に移る計画だ。足を運ぶと、重機数台と広大なデコボコの空き地が目についた。当初は〇五年度に移転開始予定だった。最近民家が二軒建ったが、道路が未整備で工事現場と隣り合わせのため、いまだに入居していない。
 国土交通省は二年後にほぼ完成させる方針だが、川原湯地区長の豊田武夫さん(五十七)は「本当に二年後にできるのか。だって、ここを見てよ」
 高さ約50㍍の崖、幅は百㍍以上ありそうだ。ここに土を盛り、代替地の一部にする。
 豊田さんは「一刻も早く安全に造ってほしい」と求めつつ「達成を終えた地点で地盤沈下があった。日本の技術なら確実にできるはずだ。代替地ができなければ、ダムに水はためられない。ダムさえ造れば、水没地の住民が住む場所はどうでもいいのか」と憤る。

 首都圏の住民からダム不要論の声もあがるが、「ダムが中止になれば人生は無駄になる」と感じる住民は少なくない。
 温泉街から吾妻川対岸に造成中の川原畑地区代替地に移転する男性(八十)は「ダムができなかったら、オレは惨めだよ」
 温泉街の約三㌔上流の林地区代替地に住む男性(七十)も「決意して移転したのに・・・。世の中が『ダムは不要』と言うのなら、もっと早くしてほしかった」とこぼす。

 次期衆院選の結果次第では、八ッ場ダム計画は大きな岐路に立たされる可能性が高い。
 民主党の大河原雅子参院議員はことし一月、参院本会議で「無駄な公共事業」と切り捨て、地元・群馬県選出の福田康夫首相(当時)には、(父の)福田赳元首相の時代から「福田ダム」と揶揄されている」と批判。福田首相を「初めて聞いた。造語はしないでほしい」と憤らせた。
 八月、鳩山由紀夫幹事長が現地を訪れ、反対を表明。前回衆院選に続き、マニフェストに中止を明記することを検討する考えを示した。共産、社民両党も中止を求めている。それでも国交省関東地方整備局は「必要性は変わらない。地元の生活再建と併せ、推進していく」と 理解を求める。

 樋田さんは、自民党に対して「川原湯のために尽くしてくれた人はいない。票を求めてくることはあっても」と手厳しいが、民主党にも「生活再建の道筋がないまま、止められても困る。八ッ場を政局に利用しないでほしい」といら立つ。
 温泉街の土産屋「お福」の樋田ふさ子さん(七十九)は「早く落ち着いた生活に戻って、みんなでお茶を飲みたかったんですけどね・・・」。ささやかな願いがかなわず温泉街は寂れ、残る人は苦悩を深める。
 前出の渡辺さんは「八ッ場は政治に見捨てられてきた」とつぶやく。
 ダム計画に疲弊する水没地を放置してきた永田町の責任は重い。しかし渡辺さんは住民の復興を思い、こうも語る。「それでも、八ッ場の苦悩を止められるのは政治しかないんです」

【デスクメモ】
 川辺川ダムへの反対表明後、水没予定地の五木村が大揺れだ。ダムが中止になれば、代替えの国道や大橋などの基盤整備事業もできないと国交省が”脅し”ているからだ。「ならば県が事業継続を」と村は蒲島知事の訪問を拒む。望まないダムを同意させた責任は国にある。「脱ダム」後に協力すべきだ。