2009年5月1日 東京新聞「こちら特報部」より転載
群馬県を流れる利根川の支流・吾妻川に国が計画する八ッ場ダム。事業負担金支出は違法として、首都圏の1都5県で一斉に起こされた住民訴訟初の判決が11日、東京地裁で下される。それを控え、その建設根拠を揺るがす国の内部資料が次々と明らかになってきた。全国で脱ダムの動きが広がる中、「止まらない公共事業の象徴」に対する初の司法判断はどうなるのか。(関口克己)
◇八ッ場ダム住民訴訟11日初判決 最大流量の想定「過大」
群馬県伊勢崎市八斗島(やったじま)町。利根川河口から百八十一㌔の中流部の河川敷には上州名物「赤城おろし」を思い起こさせる強風が吹いていた。
「ここは、国土交通省が八ッ場ダムの必要性を唱えるため、机上の空論を繰り返す場所です」
住民訴訟の原告約二百人らの代表組織「八ッ場ダムをストップさせる市民連絡会」の嶋津暉之代表は利根川を指さし、
「国が想定する大雨時の利根川の流量はでっち上げだ」と言い切った。
六十二年前の一九四七年九月のカスリーン台風で、埼玉県東村(現在の大利根町)で利根川の堤防が決壊。千人以上の犠牲者が出た。国の利根川河川整備基本方針はこの台風をモデルに、三日間で三一八㍉という二百年に一度の大雨が利根川上流域に降った場合、洪水を防ぐには八ッ場ダムが必要とする。
その際、国交省は八斗島町の観測所でピーク流量は毎秒二万二千㌧と想定。ここでは毎秒一万六千五百㌧を流せるよう河川整備をしており、上流にある矢木沢などの既存六ダムで計千㌧、さらに八ッ場ダムで六百㌧を調節する。残り三千九百㌧の処理計画はない。
治水は訴訟の主要争点だが、ここにきて、大元の「二万二千㌧」の信憑性が揺らぎはじめている。
もともと、カスリーン台風時に八斗島町で計測した流量データはない。
さらに、国交省関東地方整備局が情報公開請求に対して明らかにした資料では、カスリーン台風と同じ雨の降り方をした場合の流量は一万六千七百五十㌧と試算していることが分かったのだ。
嶋津さんは「その流量なら、河道を深く掘るなどして十分対応できる。この半世紀中で観測した最大流量は九八年九月洪水時の約九千二百㌧。国の想定は過大だ」。
加えて、八ッ場ダムの治水効果を政府が否定したデータすら出ている。
昨年六月に閣議決定した政府答弁書では、カスリーン台風再来時の想定で、上流にダムがない場合の流量は二万二千百七十㌧、既存六ダムがあると二万四百二十一㌧とした上で、八ッ場ダムを加えた場合も”二万四百二十一㌧”。「八ッ場ダムが加わることによる効果はゼロ」と明言した。
国交省側は「カスリーン台風と違う降雨パターンでは流量は増えうる」と説明、「二万二千」は金科玉条にし続けるが、嶋津さんは憤りを隠さない。
「カスリーン台風があってこその八ッ場ダムのはず。ダム建設ありきの虚構づくりはもうやめるべきだ」
写真=国土交通省が八ッ場ダム建設の根拠とする八斗島町の流量観測地点を指さす嶋津氏。「国の想定数値はサギ的だ」と憤る=4月27日、群馬県伊勢崎市で
◇政府答弁書も効果否定 洪水被害額「妥当性検証できない」
国交省はそれでも「事業の必要性は変わっていない」と主張し続ける八ッ場ダム。
関東地整が今年二月に計画を再評価したところ、洪水調節による効果を金額換算すると年平均一兆三百四十四億円となり、二年前より二千六十六億円アップ。ダム建設費用を1とした場合の建設効果は3.4と、こちらも0.5アップした。
大河原雅子民主党参院議員は三月十一日、参院予算委員会で八ッ場ダム問題を追及、詳細なデータ提供を求めた。それにより、国交省が明らかにした資料に、関係者は開いた口がふさがらない。
その資料は、利根川の河口から二百十六㌔上流部までの両岸と、利根川下流で分かれる江戸川両岸の計十二ブロックで治水効果を計算したもの。
九十八年九月洪水を基に、三十年に一度の大雨が降ったケースをみると、八ッ場ダムがないと江戸川左岸河口の一地点を除く十一地点で堤防が同時多発的に決壊、家屋や農作物などの被害額は一兆八千六百七十七億円に上った。一方、ダムがあると決壊を免れる地点は二つに増え、被害額も一兆四千二百億円に減った。
また、五年に一度の大雨では、ダムの有無を問わず破堤する地点は四つと変わらず、被害額はダム無しで六百六十二億円、ダムありで五百八十三億円とした。
関東地整は「普通の人が見れば、現実離れしていると思うかもしれないが、国交省としてはあくまでも最悪のケースを想定している」とコメント。だが、同時に「カスリーン台風以降、利根川と江戸川は破堤していない」とも。
嶋津氏は「上流部が決壊すれば水が陸地にあふれ、下流で水量が減るのが当たり前。現実離れした数字を膨らませ、ダムの根拠にするのは不適切だ」。大河原氏も「計算の根拠が不明で、第三者が妥当性を検証できない」と批判する。
元国交省防災課長の宮本博司氏は「利根川が五年に一度、洪水になるとは現実味がない。国民が納得できるシミュレーションをしない限り、国が主張する建設効果に説得力はない」と一蹴する。
だが、治水の根拠は揺らぐが、国交省はダム建設地周辺での工事を着々と進めている。
ダム本体建設の際、川の水を迂回させて下流に流す全長三百九十㍍の仮排水トンネルが三月に貫通。本体建設業者は九月の入札で決まり、コンクリート造成施設などが造られる見通しだ。源頼朝が見つけたという名湯・川原湯温泉などの水没地住民が移転する代替地は本年度末までにはほぼ造り終え、来年度の本格的な本体着工を目指す。
ダムをめぐっては昨年、熊本県の川辺川ダム、大津市の大戸川ダムについて、地元知事が建設反対を突きつけた。全国で脱ダムの機運が高まっているが、首都圏に追随する動きはない。
八ッ場ダムをめぐっては、建設に批判的な六都県議が昨年五月、「考える会」を発足。現在六十四人の陣容だ。永田町でも、民主党が次期衆院選マニフェストで中止を盛り込む。
一方、推進する自民、公明両党中心の都県議二百六十七人は四月十日、「推進議連」を設立。集会で石原慎太郎知事は「子孫のために、きちんとしたものを造ろう」、森田健作千葉県知事も「首都圏でスクラムを」と訴え、巻き返しに躍起だ。
東京訴訟原告団代表の深沢洋子さんは、治水と並ぶ主な争点の利水について「都の水余りは明らか。新銀行東京の再建処理費(四百億円)をはるかに上回る都民負担を強いて、新規水源を確保する必要はない」と指摘した上で、こう続ける。
「熊本と関西で続いた脱ダムの流れを、司法も後押ししてほしい」
デスクメモ
熊本の川辺川ダムと八ッ場ダムは「要らない公共事業」の東西の両横綱と呼ばれた。その一方の川辺川ダムにストップがかかった以上、「今さら止められないから進む」という理屈は通用しない。すでに注ぎ込んだ費用は基幹交通網と整備費と考えれば納得できる。冷静な分析と引き返す勇気が必要だ。(充)