八ッ場あしたの会は八ッ場ダムが抱える問題を伝えるNGOです

企画・連載 激震 八ッ場ダム中止(読売新聞)

 読売新聞群馬版の企画・連載記事を転載します。
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/gunma/feature/maebashi1253199825796_02/index.htm

2009年9月18日 

「国策また押しつけ」

 「一番怖いのは『マニフェスト(政権公約)に書いてあるから』と、一言で切り捨てられることだ」
 長野原町の高山欣也町長は新政権が発足した16日夜、そう心配しながら、鳩山首相らの就任会見をテレビで見守った。だが、前原国交相が中止を明言したことを知り、落胆の色を濃くした。前原氏は報道陣に「マニフェストに書いてあることなので」と説明していた。

 高山町長は昨年8月、当時民主党幹事長だった鳩山首相がダム現場の視察に訪れた際、建設推進をじかに陳情している。だが、与えられた時間はわずか1分。鳩山氏は「よくわかりました」と答え、その帰路、記者団に中止の姿勢を明らかにした。「初めから中止と言うために来たのか」との思いがぬぐえなかった。

 10日に発足した「八ッ場ダム推進吾妻住民協議会」は、民主党の中止方針撤回に向け、「法的手段も含め、あらゆる闘争を繰り広げる」と書かれた要請書を送付するなど、対決姿勢を強める。その中で高山町長は「対応は国の正式な説明を受けてから」とし、急な対立を避けようとしてきた。それは「現状を知れば民主も考え直すはず」との期待からだった。高山町長は今、「聞く耳を持たないということだ」と悔しそうに漏らす。

 水没予定地の川原湯温泉で旅館を経営する樋田省三さん(45)は、10日の住民協議会発会式で、「ここで止めるわけにはいかないんです」と涙ながらに訴えた。長く川原湯地区のダム対策委員長を務めた父・勝彦さんは、心労が重なっていたといい、10年ほど前、突然の心臓発作で亡くなった。「ダムに殺された」父の顔が浮かび、気持ちの高ぶりを抑えられなかった。

 同温泉の旅館経営者らは昨年11月、早期完成を訴える内容証明郵便を民主党に送ったが、回答は届かなかった。衆院選で民主党は群馬5区に候補者を立てず、住民は投票に訴えることもできなかった。生活再建の具体案などについて民主党が住民に広く説明する場もなかった。樋田さんは「約60年続く問題を一方的に決められ腹立たしい」と憤る。

 住民がこうした目に遭うのは初めてではない。1960年代頃、大半の地元住民は反対運動を繰り広げた。水没予定地に住む野口貞夫さん(65)は「国は『国策だ』と言って、地元の話を聞かずに押し切ろうとした」と振り返る。やがて地元は疲れ切って建設を容認。ダム湖を前提とした生活再建構想を練り続け、代替地への移転も始まった。

 野口さんは「今度は中止を押しつけられるのか。当時の建設省も今の民主党も、やっていることは同じじゃないか」と吐き捨てた。

2009年9月19日 

住民生活どう再建

 鳩山首相は衆院選の応援で来県した際も「八ッ場ダムは無駄」と訴えた。右は石関衆院議員(8月25日、伊勢崎市内で)  17日未明の前原国土交通相に続いて、午後には鳩山首相も中止を言明した。「八ッ場ダムや川辺川ダム(熊本県)の問題を始め、決めたことをきちっとやり抜く姿勢を貫くことが大事」

 新政権発足から間を置かず、早期完成を願う地元住民や県幹部には、非情とも言えるほどあっさりと出された結論。まさに、「マニフェストに掲げて政権を取った時点でもう『中止』は決定」(石関貴史衆院議員)だった。

 民主党は2005年衆院選でも八ッ場ダム中止を公約した。03年に国がダム進捗の遅れから事業費を2110億円から4600億円に一気に増額、参画する都県の負担も増し、不満の声が上がっていた。公共事業への批判の高まりに加え「民主党としての『緑のダム構想』など様々な研究や議論を踏まえ、公約に盛り込むことになった。後世に負の遺産を残すわけにはいかない」(中島政希衆院議員)と言う。

 今回の衆院選のマニフェストでも八ッ場ダムは、川辺川ダムと並んで中止が明記された。「時代に合わない国の大型直轄事業」と名指しされ、全国の道路整備見直しと合わせ、1・3兆円を節約する財源とされた。公約に先立って発表した政策集では、地元生活再建を支援するために財政支出するための新法制定を目指すことも掲げた。

 だが、選挙を終え、党内の温度差も表面化している。

 「お話を聞かせてください」。今月10日、党県連会長の富岡由紀夫参院議員が、萩原昭朗・水没関係5地区連合対策委員長(77)の自宅を訪ねた。富岡氏は「いきなり中止は少し考えもの」と口にし、地元の意向を新政権の国交相に伝える考えを示した。委員長は「民主党にも話がわかる先生がいた」と喜んだ。

 県議会の民主党に近い議員の間でも、中止を前面に掲げる議員と、「中止か否かよりも地元の生活再建を第一に考えるべき」と比較的穏健な主張をする議員の間で微妙な温度差がある。

 特に旧社会党系議員には、かつて地元の反対闘争を支援し、ダムを受け入れるまでを目の当たりにした経緯から、「住民の苦渋の決断を尊重する」との思いが今もある。自らも反対運動に参加した経験を持つ元県議の桑原功衆院議員は「地元の苦渋のプロセスを知っている身としては、もろ手を挙げて(中止に)賛成とは言えない」とも言う。

 だが、中止を表明した以上、民主党は地元の生活再建策を早急に示す必要に迫られている。ある民主党系県議は「本当に現場と密着した生活再建案は、国任せにせず、県が提案しなければ作れない。再建論議に取り組む態勢を早急につくらなければ」と危機感をあらわにしている。

2009年9月20日 

負担金は、水利権は

 「八ッ場ダムの様々な問題点についてメディアの方々にも研究を深めてほしい」

 12日午前、東京都議会で行われた八ッ場ダムを考える1都5県議会議員の会の冒頭、角倉邦良・群馬県議は集まった報道陣に訴えた。

 新政権発足を前に、国土交通省がダム本体工事の入札延期を決めて以来、ダムを巡る報道の量が一気に増えた。その内容について、中止を訴える市民団体「八ッ場あしたの会」の渡辺洋子事務局長はいらだちを隠さない。「地元や一般の国民に本当に必要な情報が伏せられたまま、推進に都合のいい情報だけが国から出され、報道されている」

 それは、中止を巡る論点が多岐にわたる上、推進、中止派双方の議論がかみ合っていないことの表れでもある。

 例えば、建設中止でどれだけ費用が削減できるのか、あるいは余計にかかるのか。

 国交省関東地方整備局の幹部は7月、県議会の推進議連に出席し、中止の場合に5都県がすでに支払った利水分の負担金1460億円の返還が必要になるとし、生活再建事業を継続する費用と合わせれば、完成させるよりもカネがかかる可能性を示唆した。これを機に、返還金問題が注目され、石原都知事や大沢知事は「中止の場合負担金の返金を求める」との考えを相次いで明らかにした。

 これに対し、民主党は「特定多目的ダム法では、ダム計画を中止する場合は想定されておらず、中止後の負担金処理は今後の検討課題」と反論する。さらに、県選出の民主党国会議員からも「高速道路無料化の試算を隠していたような国交省が出しているデータを基に試算しても意味がない」「工事の遅れや、地滑り対策で、間違いなく今言われている以上の費用が今後かかる」などの批判が次いでいる。

 また、ダム完成を前提に認められている暫定水利権の扱いも争点の一つだ。ダムで新たに供給される水量の半分近くを、既に5都県が暫定水利権で取水している。「ダムが完成しなければ暫定水利権をそのまま認められない」と国交省が見解を示していることから、各知事は「ダムが中止されれば水はどうなる」と声を強めてきた。

 これに対して、民主党や中止派の市民団体は「現実に取水はできている。国が水利権行政を改め、安定水利権への転換を認めれば済む」と主張、真っ向から対立したままだ。

 中止・推進、双方が激しく主張をぶつけ合う中、前原国交相は23日に長野原町を訪れる。長い経緯の中でもつれた議論をどう解きほぐしていくのか、早くも新政権の力量が試される。

 (この連載は、清岡央、横山航が担当しました)

2009年9月21日 

ボイコットか直接陳情か 国交相 意見交換会 揺れる住民

 八ッ場ダム建設中止を表明した前原国土交通相が23日に予定している地元住民との意見交換会について、長野原町が「中止ありきでは出席できない」とボイコットを辞さない考えを示したことに対し、住民の間で様々な意見が出ている。国交相への抗議の意を欠席で示すか、直接対話の機会ととらえるか――。国交相が現地入りする前日の22日には、最終的な結論が出される。

 町は19日、地域代表ら15人ほどを集めて協議し、中止方針を白紙にした状態で来るよう求めることで一致。要請書を国交相あてに送付した。国交相は同日、記者団に「なぜ中止かを説明する」と語り、白紙にはしない意向を示した。高山欣也町長は20日、取材に対し、改めて「白紙でなければ参加しない」と語り、国交相からの正式な返答を受けて、22日にボイコットを決める意向を明らかにした。

 これに対し、水没予定地の女性会社員(39)は「相手の要請に従って意見交換会に出席しても、中止を撤回しないだろうし、こちらの強い意思を見せる必要がある。勝手に中止を決め、後から話を聞きに来るなんて、住民をばかにしているとしか思えない」と、町の姿勢に賛意を示した。

 一方、水没予定地の川原湯温泉で土産物店を営む樋田ふさ子さん(80)は「本当は若い人じゃわからない苦労も伝えたい」と語る。移転のため先祖の墓を掘り起こした時、夫が骨つぼを抱えて泣き続けた姿が忘れられないといい、「どこに恨みを言ったらいいのか。大臣に実情を聞かせることも必要かもしれない」と迷いを見せた。