八ッ場あしたの会は八ッ場ダムが抱える問題を伝えるNGOです

公共事業見直すモデルにー大河原雅子さん(朝日新聞オピニオン)

2009年9月20日 朝日新聞オピニオン欄より転載

09政権交代 八ッ場ダム中止を問う 
  公共事業見直すモデルに  大河原雅子さん 民主党参院議員

 八ッ場ダムというと決まって引き合いに出される、あの十字架のような道路橋脚の写真。まるで建設予定地がそのまま廃墟になってしまうかのようなイメージを与えますが、ダム建設の中止というのは、そういうことではありません。
 利水の面でも治水でも、八ッ場ダムが不要不急であることは明らかです。それを完成させるとすれば、わざわざお金をつぎ込んで不必要なものを造ることになる。7割までできていると国土交通省は説明していますが、これまでに予定事業費の7割のお金を使ったというだけのこと。建設費は起債でまかないますから、利子も含めれば総事業費4600億円は2倍近くにも膨らみます。幸いなことにダム本体の工事には至っていない。止められるものは、いま止めなければならないのです。
 しかし、これまでに進められてきた道路や鉄道などの関連工事は、地元の思いをくんで見直すか継続するかを決めなければなりません。ダム建設を前提に50年もの間、地域のためにお金が使われてこなかったのですから、必要なものはこれからきちんと造る。あの写真の橋にしても、町の再生に必要なら作る決断をする。そういうふうに公共事業を国民の手に取り戻すためにも、八ッ場は全国のモデルになるのです。
 私は93年に東京都議になり、利根川下流域の受益者の立場から、また東京の地下水を守る立場からも、八ッ場ダムの建設中止を求め続けてきました。東京とは多摩地区で中型ダム一基分の地下水を毎日水道用に使いながらも、正式な水源としては認めず、過大な水需要予測はそのままに水余りの現状に目をつぶっています。
 反対運動に疲れ切り、やむなく建設受け入れという苦渋の決断をした地元の人たちを犠牲にしてまで、私たちは水を必要としているのか。首相を戦後4人も出した群馬県でありながら、半世紀をかけても完成に至らないこと自体、いったい誰のための公共事業だったのかという疑問を投げかけます。
 これまでの政官業癒着の中では、ダム建設を止めようという発想は出て来ようもなかった。しかし政権が代わり、中止が決まりました。生活を守るためにいったんは我慢してダムを受け入れた人たちも、本当は公共事業の犠牲者であることに我慢しきれてはいないでしょう。
 今後は地元の皆さんに、ダム建設という前提なしの町づくりを、しっかり議論していただける環境をつくることが大切です。そのために私たちは、生活再建支援のための特別措置法を準備しています。
 最低限のことを国が保証したうえで一人ひとりに頑張れと言うならともかく、最低限の保証もないまま頑張れと言われたのが八ッ場の人たちの置かれた状況でした。公共のために犠牲になれというより、犠牲を出さない公共事業を目指すべきです。
 八ッ場ダムの中止決定は、地元だけの問題ではありません。ここまでに費やされた事業費は捨て金になるかも知れないけれど、私たちも授業料を支払うべきです。これが教訓になって、ほかの地域のずさんな公共事業も止まるでしょう。八ッ場の経験はお金の問題以上に、国土と市民の心を荒廃させない大きな役割を担っていると思います。(聞き手・今田幸伸)