八ッ場あしたの会は八ッ場ダムが抱える問題を伝えるNGOです

生活再建の現場から(東京新聞)

 八ッ場ダムの生活再建問題をテーマに東京新聞群馬版が連載記事を掲載しました。代替地、人口減少など、政策転換に揺れる地元の状況を伝えていますので転載します。

◆2009年11月12日
「八ッ場ダム」生活再建の現場から<1> 進まぬ代替地移転
http://www.tokyo-np.co.jp/article/gunma/20091112/CK2009111202000118.html

 八ッ場(やんば)ダム建設で、水没対象となった長野原町の五地区(川原畑、川原湯、横壁、林、長野原)。住民の移転先として山の斜面を切り開いて造成された代替地は、都市部の新興住宅地のように整然としているが、立ち並ぶ家はまばらだ。日中は土地を造成する重機のけたたましい音が、静かな山里に響き渡る。

 「ダムのために住民が払った犠牲は、すべて無駄だったというのか」。川原畑地区で現地再建対策委員長を務める野口貞夫さん(65)は、鳩山政権のダム中止方針への怒りを表す一方で「長すぎた時間の中で、ダム建設と生活再建は切り離せない状態になっている」と、やり場のない苦しみも明かす。

 五地区が水没することになった長野原町に対する補償として、県が生活再建の原案を提示したのは一九八〇(昭和五十五)年。それから三十年近くになるが、現地の生活再建事業はいまだに終わりが見えない。

 水没地区の生活再建事業は、代替地の造成と住民の移転、国・県道やJR吾妻線の付け替えが柱だ。さらに公営住宅や下水道の建設をはじめ、温泉施設やスポーツ公園の設置など観光振興策、キノコの栽培施設整備など産業創出に関する事業も盛り込まれている。

 だが、肝心の住民移転が青写真通りには進まなかった。代替地に充てる土地の買収基準が決まったのは、生活再建原案提示から二十年以上たった二〇〇一年六月。代替地分譲の基準が示されたのは四年後の〇五年九月で、〇七年六月になってようやく住民の代替地移転が可能になった。

 長年にわたるダム反対闘争で疲弊した住民は、さらに生活再建で待たされる立場になっていた。代替地移転のめどが立たない中で、待ち疲れた住民は次々と町を離れる決心をした。

 国土交通省八ッ場ダム工事事務所によると、長野原町で移転対象となった四百二十二世帯のうち、九月末現在で三百二十三世帯が引っ越しを終えたが、町内の移転は四分の一ほどの八十七世帯にとどまった。うち代替地への移転は二十三世帯にすぎない。

 ダムの中止撤回をかたくなに求める地元だが、ダム建設と一体化された生活再建事業が長引いたことへのいら立ちも大きい。

 八ッ場ダム水没関係五地区連合対策委員会事務局長の篠原憲一さん(68)は「住民が移転すれば終わりというわけではない。町をこれ以上衰退させないことも大事な生活再建だ。住民が減り、高齢化する中で、残された時間は少ない」と訴える。

 鳩山政権は、来年の通常国会に生活再建のための補償法案を提出するとしている。具体案については「地元との協議による合意が不可欠」とするが、地元住民と前原誠司国土交通相との話し合いが実現していない情勢で、協議がいつ開始され、どの程度の期間を要するかは不透明だ。

 野口さんも篠原さんも、膠着(こうちゃく)状態が続く現状への危機感は強い。「国が言う『新たな生活再建』の意味が分からない。生活再建という言葉に対する国と地元の認識が一致しない限り、八ッ場ダム問題が解決することはない」
  ×    ×
 中止か継続かで揺れる八ッ場ダム問題。ダム本体建設の是非とは別に、生活再建事業については、地元、国、下流都県とも「実施」で意見は一致しているが、事業の新たな方向性は見えないままだ。問題が長期化する恐れも出てきた中、生活再建の「現場」となっているダム予定地をあらためて取材した。

◆2009年11月13日
「八ッ場ダム」生活再建の現場から<2> 減り行く子ども
http://www.tokyo-np.co.jp/article/gunma/20091113/CK2009111302000115.html

 長野原町長野原地区の代替地に建つ町立保育所。八ッ場(やんば)ダム建設に伴う生活再建事業の一環として二〇〇七年四月に新設されたばかりで、真新しい建物と遊具が印象的だ。通所する子どもは二歳児を中心とした約四十人だが、ほとんどはダム事業と関係のない町西部から通っている。

 同保育所の藤牧喜代美所長は「水没予定の五地区(川原畑、川原湯、横壁、林、長野原)に住む子どもは極めて少ない。保育所に通うのはわずか数人。代替地からは一人も通っていない」と、水没予定地の現状を嘆く。

 生活再建事業の財源には、ダム事業費のほか、「水源地域対策特別措置法」(水特法)に基づく事業費や、下流都県の支出金を積み立てた「利根川・荒川水源地域対策基金」(基金)が充てられている。

 国土交通省関東地方整備局によると、昨年度末までにダム事業費から支出された生活再建事業関連費用は千七百九十一億円。さらに水特法から五百十三億円、基金から四十一億円が支出された。

 長野原町の水没予定地区の学校移設や保育所新設の費用には、下流都県からの支出金を含む水特法の事業費も使われており、林地区の町立第一小学校は〇二年に、長野原地区の町立東中学校は〇七年に、それぞれ代替地へ移転した。

 このうち、第一小に通う児童は、現在わずか二十二人。移転初年度の〇二年度から半数以下に激減した。単独の学校としての運営が困難な状況となる中、〇七年末には、水没地区外の同町大津地区にある中央小への統合問題が浮上した。

 両校の統合については、同町の高山欣也町長は〇八年一月の町議会全員協議会で「生活再建が完了しないうちに、代替地に建設した学校を閉校するわけにはいかない」と“白紙撤回”を表明。児童数の減少が続く中、生活再建事業の象徴として存続する道を選んだ。

 第一小に通う児童は、学校のある林地区のほか、川原畑、川原湯、横壁の三地区と、すべて水没予定地区に住む。林地区以外の児童は、学校との距離が遠いためスクールバスで通学する日々だ。

 町教委関係者は「第一小の移設は下流都県の財政援助もあって初めて可能になった。運営の厳しさは増しているが、何とかこの学校を維持したい」と悲壮な思いを語る。

 だが、町の少子化には一向に歯止めがかからない。長野原町の十四歳以下の人口は、一九九五年十月の千百六十人から、十年後の〇五年十月には九百四十五人にまで減少した。

 長野原地区で代替地移転を予定している男性の住民は、町の将来を悲観しながらこう訴える。「一刻も早く生活再建事業を完了させなければ、町に住む子ども自体がいなくなってしまう」

◆2009年11月14日
「八ッ場ダム」生活再建の現場から<3> 揺れる川原湯温泉 
http://www.tokyo-np.co.jp/article/gunma/20091114/CK2009111402000113.html

 「ダム湖なしの生活再建なんて、あり得ない。結論が長引けば旅館の存続が危うくなる」。八ッ場(やんば)ダム建設によって湖底に沈む、長野原町の川原湯温泉。ダム湖畔に移転する計画だったが、温泉旅館組合長で「高田屋旅館」七代目の豊田明美さん(44)は、ダム中止問題が温泉街に与えた影響を深く憂慮する。

 川原湯温泉は、草津温泉(草津町)や伊香保温泉(渋川市)などの大温泉地とは違った、ひなびた風情が魅力で、秘湯としての落ち着きと癒やしを求めて訪れる温泉ファンも少なくない。

 だが、最盛期に二十軒前後あった旅館は、今では七軒が営業するのみ。旅館経営者の多くは、遅々として進まない代替地移転や施設の老朽化などに耐え切れなくなり、廃業して温泉街を離れる決断をした。

 生活再建事業では、温泉街全体が、南側の山の斜面に造成中の代替地に移転する計画になっている。豊田さんは「大半の旅館経営者らはダム完成後の未来に大きな期待を託し、『ダム湖畔のいで湯』としての再出発を誓っていた」と強調する。

 しかし、鳩山政権が打ち出したダム中止方針によって、温泉街の移転が不透明な情勢となり、旅館経営者らの将来展望は白紙の状態となった。

 前原誠司国土交通相は川原湯温泉の今後について、明確な方針を示さないままだ。さらに、政権与党である民主党の県関係国会議員が、「現在地での温泉街存続を前提に検討する」との内容を盛り込んだ“ダムなし”の生活再建を十一日に提言。計画通りなら、二〇一一年春以降にも代替地移転が始まるはずの温泉街に、新たな衝撃が走った。

 豊田さんは、現在地で温泉街を続けられるか、との問いに「移転することでしか先の見通しは開けない。当事者の意見を置き去りにして、生活再建のあり方が勝手に決められていくことがあってはならない」と悲痛な声を上げる。

 一方、同じ川原湯地区でも、ダム中止問題を前向きに考えようとする住民もいる。温泉街の近くで乳業を営む豊田武夫さん(58)は「温泉街も含めて、住民が早く頭を切り替えることが大事。ダムありきの考えから早く脱却し、現在の土地や代替地などを活用して、新たな生活再建の道を探った方がいい」と主張する。

 だが、ほとんどの旅館経営者は、今も戸惑いの中にある。匿名で取材に応じた温泉街関係者の男性が、心に積もった本音を明かしてくれた。

 「本当は、ダムなんか造ろうが造るまいが、どうでもいい。鳩山政権には生活再建の問題に、しっかりと終止符を打ってもらいたい。もう疲れ果ててしまった。とにかく将来が不安でしょうがない」

◆2009年11月15日
「八ッ場ダム」生活再建の現場から<4> JR新駅 利便性に疑問
http://www.tokyo-np.co.jp/article/gunma/20091115/CK2009111502000113.html

 八ッ場(やんば)ダム建設中止問題の象徴のように連日報道で取り上げられた「湖面2号橋」。長野原町の川原湯地区と林地区の代替地を結ぶための県道の建設現場だ。鳩山政権の発足当初、ダム中止方針に激怒する地元住民の姿と現場の様子が集中的に紹介されたことで、全国的な注目を集めた。

 今では観光スポットのような存在となり、現場の見える道沿いには、平日でも、写真撮影する人の姿が多く見られる。

 林地区に住む四十代の男性は、橋の建設現場を見つめながら「代替地に移転する住民の生活にとっては必要不可欠な道路。『造りかけだから完成させる』のではなく、橋の意義を積極的に認めてほしい」と訴える。

 生活再建事業では、長野原町を東西に走る国道145号とJR吾妻線の付け替え区間となる橋やトンネルなどの工事のほか、水没地区の代替地を結ぶ県道の建設も進行中だ。

 国土交通省八ッ場ダム工事事務所は、国道の付け替え区間一〇・八キロの大部分の供用を来年度早々に開始すると説明。吾妻線の新線切り替え区間一〇・四キロも来年度末の完成を目標に掲げる。

 前原誠司国交相は、付け替え工事のうち道路について「現地の視察を踏まえて工事継続の必要を感じた」としているが、現在実施中の工事をどの範囲まで行うかは明言していない。吾妻線に至っては、川原湯温泉の移転問題が新線切り替えに影響するためか、現状では方向性すら示していない。

 計画で川原湯温泉の移転先となっている代替地には、現在の川原湯温泉駅の新駅が設置される。だが計画上は、国交省が示す吾妻線の付け替え完成の二〇一一年春までに、現在の温泉街の代替地移転は間に合わない。

 仮に付け替えの完成直後に電車の運行を新線に切り替えた場合、駅の利便性に問題が生じる事態も想定される。新駅の乗降口となる駅舎は、現在の温泉街とは逆方向の線路南側に建設を計画。水没予定の温泉街と駅舎を直接つなぐ道路はなく、大きく迂回(うかい)する必要がある。

 現在、新駅予定地は駅舎はおろか、線路すら敷設されていない。川原湯温泉の現在の旅館街は新駅にも近く、温泉街の移転の有無に応じて駅の設計を変更する余地はあるように見える。

 だが、JR東日本高崎支社は「工事主体の国交省が判断することだ」と回答。国交省八ッ場ダム工事事務所も「地元との調整が必要になるだろうが、まだ何も分からない」と答えるのみだ。

 一方、国道145号の付け替え道路については、地元以外の関係者からも「観光ルートの強化につながる」と開通を待ちわびる声が多い。長野原町に隣接する草津町の草津温泉観光協会は「鉄道が通っていない草津にとって道路は生命線。新しい国道が完成すれば温泉街までの所要時間が短縮され、雨による通行止めもなくなる」と来客増に期待を込める。

◆2009年11月16日
「八ッ場ダム」生活再建の現場から<5> 長野原町の財政 建設前提 中止で破綻も
http://www.tokyo-np.co.jp/article/gunma/20091116/CK2009111602000143.html

 「長野原町の財政構造は八ッ場(やんば)ダムの建設が前提になっている。今さら建設中止と言われても困るんですよ」。町財政を担当する幹部職員は、町役場のテーブルの上に広げた過去の歳入歳出の予算書類を指で示しながら、ため息をついた。

 町総務課の資料によると、下流都県が水没地域などの生活再建を助けるため負担する「水源地域対策特別措置法」(水特法)に基づく整備事業費の一部が町に入ったのは、一九九五年度から。同年度は六千七百万円だったが、その後も毎年度、事業費が計上され、多い年は二十億円を超え、二〇〇七年度までの合計額は百四十七億五千万円になっている。

 これに伴い、町の歳入は年々増加。九四~九七年度は四十億円台だったのが、九八年度は五十億円を突破。〇三年度の八十五億円を最高に、〇七年度決算まで七十億円台の高水準で推移している。

 ダム計画で大きく膨らんだ格好の町予算。複数の幹部職員は「水特法の事業費は町道や公園の整備など生活再建に使途が限定され、町が福祉や教育など自由に使える金ではない」と説明。「使い道が決まった予算を着実に執行するだけで、町が裕福になったわけではない」と口をそろえる。

 八ッ場ダム計画に伴う水特法の総事業費は九百九十七億円。町が最も心配するのが、すでに動きだしている事業について、ダム建設が中止になった場合に下流都県が事業費を負担する根拠がなくなることだ。

 水特法の事業で、九六年度に着工した公共下水道と農業集落排水の整備事業もその一つ。

 「水源の町」として水質を向上させようという計画で、公共下水道の整備区間は総延長七十七キロ、総事業費は百二億円。町の負担は45%程度で、現在までに完成したのは、計画の約半分にとどまっている。

 町の財政担当職員は「残りを町が自腹で負担することなんて、できない。そういう事態になれば、数年で町財政は破綻(はたん)する」と分析する。

 国土交通省の来年度予算の概算要求では、ダム本体工事は計上されず「凍結」、生活再建事業も具体的な内容や事業費は明記されなかった。

 町は来月二日から来年度予算案の編成作業を開始する。「下流都県はいずれもダム建設推進の立場だから、関連予算を組んでくれると期待している。ダム中止方針を打ち出した国の予算編成が一番の問題だ」と高山欣也町長。「公共下水道の整備も生活再建の一環。完成しないと困る。前原誠司国交相には、ダム建設中止の根拠と生活再建の代案を示してほしい」。町長室で取材に応じた高山町長は腕組みをしてつぶやいた。 =おわり

 (この企画は中根政人、山岸隆が担当しました)