公共事業を問う(東京新聞連載シリーズ)

 東京新聞に特集「公共事業を問う」が連載されています。ダムの地元について、表面的な事象だけでなく、より深い社会問題として捉えており、読み応えがあります。八ッ場ダムの地元について書かれた(1)~(3)を転載します。

◆2009年12月5日
【第一部】翻弄される人々(1) 八ツ場ダム計画中止 自然も生活も壊された
http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/koukyou/list/CK2009120502000240.html

《「ダムは必要ですか?」 

 そう聞かれたらあなたは何と答えますか。私には分かりません。ただ、私たちのふるさとを無駄にするのだけはやめてほしいです》

 東京・上野から特急で二時間二十分。群馬県長野原町の中学三年樋田美咲さん(15)は昨秋、八ッ場ダムをテーマに書いた作文が「少年の主張」群馬県大会で、見事に最優秀賞に輝いた。

 きっかけは昨年の夏休み。民主党が近づく衆院選に向け、八ッ場ダムの建設中止を表明したのを新聞で知り、家族で話し合った。

 《できることならダム建設をやめてほしい!と思いました。(中略)友達や近所の人もみんなバラバラになり、帰るふるさとがなくなるのです》

 ダム周辺の工事が進み、幼いころ、兄や友達とカニを捕った沢はコンクリートで固められた。魚釣りをした池は水が枯れ、落ち葉の吹きだまりとなった。小学校は全校で五十人ほどいたが、子どもたちはどんどん町の外へ引っ越した。それでもふるさとは《私の大切な宝物》だった。

 そんなある日、家の裏の畑で、祖母の美智枝さん(79)が「今まで世話になったね」と土に語りかけ、一人で泣いているのを見た。美咲さんが振り返る。

 「声をかけられなくて後でおばあちゃんに話を聞いたら、『いろんなものを壊されて、今んなっちゃあ、元に戻せやしないから』と」

 一家は来春、国が造成する代替地に移転する。これまで移転したのは水没五地区でわずかに二十三戸。移転対象の半数以上の二百三十六戸は町を出た。

 「ダムが中止になっても、ふるさとはもう元には戻らない。友達も帰ってこない。おばあちゃんの言う通り、前に進むしかないのかなって」と美咲さん。

 だから作文には《どうせなら、ふるさとが多くの人の幸せのために使われてほしいです》と書いた。将来の夢は保育士。「美しい集落がここにあったことを、子どもたちに伝えていきたい」
  *   *
 八ッ場ダム予定地にある川原湯温泉。半世紀にわたって旅館を切り盛りした竹田博栄さん(80)は長い間、ダム反対同盟の中心だった。一九九二年、同盟は運動に終止符を打ち、竹田さんは、国が代替地に造成する温泉街で旅館を続けようと決意。移転を申し込んだ。

 だが国の説明とは裏腹に造成は遅々として進まず、旅館は老朽化していった。改修するわけにもいかずに客は減少。ついに見切りをつけて廃業し、三年前に町外へ引っ越した。

 「代替地の完成時期が分からず、生活設計が立たなかった」と竹田さん。前原誠司国土交通相が「地元とじっくり話し合う」と話すのをテレビで見て、「冗談じゃない。また五十年もかける気か」と怒りがわいた。

 「新しい再建策も示さず、いきなり中止だなんて、問答無用で建設を決めた時と同じだ」。長い間の闘いや葛藤(かっとう)が竹田さんの脳裏によみがえってきた。

 「『五十年たってもできないダムは必要ないのでは』と民主党は言う。そうだと思う。だけど住民が苦労した責任はだれが取るのか」
    ◇
 政権交代でダムや道路の建設見直しが次々と打ち出されている。中止の効果に期待が集まる一方で、地域や景気への悪影響を懸念する声は根強い。公共事業はどうあるべきか。波紋が広がるダムの地元で、翻弄(ほんろう)される人々の心を追った。

<鳩山政権のダム見直し> 前原国交相は今年9月、八ッ場ダムと川辺川ダム(熊本)の建設中止を含め、全国で計画・着工中の143のダム事業を見直すと表明した。10月には国と独立行政法人「水資源機構」の48事業について「新たな段階には入らない」と凍結を宣言。都道府県発注のダムは「知事の判断を尊重する」とした。八ッ場、川辺川、南摩(栃木)、滝沢(埼玉)、大滝(奈良)の5つは、実施計画調査から40年以上経過している。

◆2009年12月6日
【第一部】翻弄される人々(2) 『現地再建』で懐柔 代替地遅れ 集落崩壊
http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/koukyou/list/CK2009120602000193.html

終戦から八年後の一九五三年二月、ぼたん雪が舞う小学校の分校の校庭に、八ッ場ダム建設に反対する群馬県長野原町の住民約八百人が集まった。代わる代わる演説した後、当時、高校一年だった篠原都さん(72)が学生代表で演壇に立った。

 「生活の根底を脅かすことは人道的にみて罪悪です」。聴衆の間から「そうだ」という大きな掛け声がわき起こった。町を挙げての反対運動だった。

 「とても寒かったのに、帰る人はいなかった。みんなすぐにでも町がダムに沈むように受け止めていた」。都さんは半世紀前のことを鮮明に覚えていた。

 計画は当初、吾妻川の水質がコンクリートを溶かすほどの強酸性だったこともあり、なかなか進まなかった。だが、上流に水の中和工場が造られ、計画に現実味が増すと、住民の足並みは乱れた。

 六五年、建設省(当時)はあらためて町にダム計画を提示。住民の一部から「反対しても造られるなら条件を争った方がいい」という意見が出て、反対、条件付き賛成、賛成と三派に分裂した。

 川原湯温泉地区は反対派が多数を占めた。「建設反対」と書いた看板を旅館の屋根に掲げ、役人が現れると住民はドラム缶をたたいて仲間に知らせ、水をかけて追い払った。

 樋田ふさ子さん(80)は以前、温泉地区で旅館を経営していた。夫の両親は数少ない条件付き賛成派だった。

 「(元首相の)福田赳夫さんのところに頼まれたの。でも義母は反対派の家の出で、親類から『なんで賛成派がいるんだ』と責められ、泣いていたわ」

 県は八〇年、道路整備や観光振興などの生活再建案を作成。住民に歩み寄りを求めた。ダムを受け入れれば町が豊かになるという懐柔策だ。数年後、ダム反対同盟が交渉のテーブルに着き、反対運動はしぼんでいった。「反対を貫き通すのは難しい。状況ごとに人の気持ちが変わっていった」。反対集会で演説した篠原都さんの夫の正明さん(73)が言う。

 国が水没予定地の五地区に提案したのは、近くに地区ごとの代替地を造成して集落を移す「現地再建」。だが、用地買収や保安林解除に時間がかかり、代替地の分譲は延び延びに。補償交渉は二〇〇一年に始まったが、代替地への移転は〇七年暮れまで待たされた。

 「代替地を希望していた人は多かったが、補償金を受け取ると、町外に移転するようになった」と都さん。地元では「代替地を造るのが面倒な国土交通省が、わざと遅らせているのか」とささやかれた。都さんが暮らす川原畑地区は九十四戸から十九戸に激減。空き地だらけとなり、土を掘り返してミミズを捕るイノシシが増えた。夫妻は来年、代替地に移る。

 「代替地が早くできれば、みんなそこに移った。今では人が少なく、集落として成り立たない。ダムで失ったものは大きすぎる」

 ダムに振り回された半世紀。都さんは寂しそうにつぶやいた。

◆2009年12月7日
【第一部】翻弄される人々(3) 生活再建のいま 『お金湯水のよう』
http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/koukyou/list/CK2009120702000219.html

山の急坂を車で上ると、クリーム色の近代的な外観の建物が目に飛び込んできた。

 群馬県長野原町の小学校。照明付き運動場と屋内プールも備える。七年前、八ッ場ダムの水没予定地にあった木造校舎の代わりに代替地に建てられたが、住民の町外への移転が続き、五十四人いた児童は二十二人に急減した。

 建設費は国が十一億六千万円、ダムの恩恵を受ける関東一都四県が一億五千万円を負担した。国との補償交渉などを担当した「水没関係五地区連合対策委員会」の篠原憲一事務局長(68)が説明する。

 「住宅や農地、学校など、水没するものはすべて国が補償する。そのほか、県がわれわれの要望を盛り込んだ生活再建案を組んだ。そのお金は下流の都県で出しますよ、ということで進んできた」

 県の生活再建案に基づき国は一九九五年、ダム周辺の整備計画を策定。国と下流の五都県の負担は九百九十七億円で、昨年度までに五百十三億円が使われた。道路整備、土地改良、運動公園、集会所などメニューは六十二事業に及ぶ。篠原さんが振り返る。

 「各地区の委員会で毎晩のように会議を開いて中身を考えた。県は『何でもいいから好きなことを言え』と言って。しかも会議に出れば国から一人四千円の日当が出るので、前は大勢の人が来た」

 国はその前年から、道路や橋などダムの付帯工事に着手。総事業費は当初の二千百億円から四千六百億円へと倍増したが、生活再建関連の増額が千百億円と最も多かった。水没予定地区に住む四十代の女性が打ち明ける。

 「ダム反対のころは町内の国道は穴だらけだったのに、受け入れたとたん、道路も橋もよくなった。湯水のようにお金が出て、『みんなでまちづくりを考えましょう』という雰囲気だった」

 来年完成予定の国道沿いには道の駅や温泉施設の構想がある。篠原さんは「われわれはダム湖畔の観光に希望を持っていた。だが、中止になれば下流(の都県)が負担をするわけない。『それは無駄だ』と言われる」とため息をついた。
  *   *
 「ダムはいらないと思っていたけど、国土交通省はあきらめない。造る方向でしか、幸せの道がなかった」

 川原湯地区で旅館を営む豊田拓司さん(57)は、自然を壊すダムに反対の気持ちが強かった。だが、山や沢がコンクリートに埋まっていくのを見て、代替地に地元の雑木を植えることなどを提言するようになった。

 「いい生活空間を造っていくには、積極的にかかわっていくしかない」。ずっとそう思っていただけに、鳩山政権の中止方針を聞いて「頭が晴れた。こんなにすっきりするのかと思った」と言う。

 「再建をしなきゃという気持ちで、前ばかり見てきた。でも振り返ると、国交省にもてあそばれている感じで腹が立ってきた」

 水没予定地の住民は大半が古里を離れた。「ダムは造っても造らなくてもいい。生活再建だけちゃんとしてもらえば」。古里に残った人々の思いが山あいに広がった。

<下流都県の負担> 東京、千葉、埼玉、茨城、栃木、群馬の6都県は総事業費4600億円への負担金として、昨年度までに利水関連1460億円、治水関連525億円を支出した。これと別に、栃木を除く5都県や国は、地元住民の生活再建を助ける水源地域整備計画で、これまで513億円を拠出した。5都県が支出する利根川・荒川水源地域対策基金による八ッ場ダム関連事業は178億円を見込み、既に41億円が費やされた。

◆2009年12月8日
【第一部】翻弄される人々(4) 『見直し』対象ダム 崩れた村自立の夢
http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/koukyou/list/CK2009120802000228.html
 ー栃木県・湯西川ダムに関する記事ー

◆2009年12月9日
【第一部】翻弄される人々(5) ダムありき 『自腹なら造らない』
http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/koukyou/list/CK2009120902000128.html
 ー栃木県・湯西川ダムに関する記事ー

◆2009年12月10日
【第一部】翻弄される人々(6) 故郷去る住民 つながり壊れた
http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/koukyou/list/CK2009121002000052.html
 ー埼玉県・滝沢ダムに関する記事ー