樋田富治郎さんの訃報

 八ッ場ダムの住民反対闘争の委員長、川原湯温泉・山木館当主(先代)、長野原町長(1976~1990年)として、八ッ場ダムの歴史の生き証人であった樋田富治郎さんが亡くなられました。
 国家権力の圧力の下で、「地元住民の犠牲がないこと」を条件に、苦渋の決断でダムを受け入れた樋田さんの想いを踏みにじり、ダム事業は続いています。ご冥福をお祈りします。
 
◆2010年5月14日 朝日新聞全国版より転載 
樋田 富治郎さん (ひだ・とみじろう=元群馬県長野原町長)
 13日、心疾患で死去、86歳。自宅は長野原町川原湯305-1。遺族と町による合同葬は6月13日午後1時から長野原町与喜屋282の「若人の館」で。
 八ッ場ダム計画をめぐる反対闘争が激しかった1974年、当時のダム反対期成同盟委員長から立候補して初当選した後、4期連続で町長を務めた。3期目の85年、国との仲介に立った群馬県が提示した生活再建案に同意し、条件付き賛成に転換。「住民を犠牲にしないダムづくり」を掲げ、十分な補償や地域振興などに国が責任を持つことを前提に建設受け入れを決めた。

◆朝日新聞群馬版 2010年5月14日
ーダムで過ぎた人生 元長野原町長が死去ー
http://mytown.asahi.com/gunma/news.php?k_id=10000581005140002
 八ツ場ダムの中止問題の行方を見届けぬまま、ダムと向き合い続けた一人がこの世を去った。地元がダム絶対反対だった1970年代から、条件付き賛成へと転じた80年代にかけて長野原町長を4期務めた樋田富治郎さん=写真=が13日、亡くなった。86歳だった。

 川原湯温泉の老舗(しにせ)旅館「山木館」の跡を継ぐ一方で、八ツ場ダム絶対反対の旗を振った。旧建設省の役人が現れれば、旅館を飛び出して抗議し、国が地質調査で穴を掘れば、みんなで穴に入って作業を止めさせた。

 反対期成同盟の委員長を務めていた74年の町長選で、初めて立候補した。水没地区を除けばダム反対派は少数派とされていたが、支援者らが手弁当で応援し当選した。

 だが、ダム反対を掲げたままの行政運営では国や県の助けは十分に受けられず、次第に行き詰まった。国との仲介を務めた県が80年に生活再建案を示すと、町議会や住民の多くも条件闘争に傾き、住民が犠牲にならないダム建設を条件に85年、賛成へ転じた。

 町長を退いて間もなく、朝日新聞の取材に樋田さんはこう答えていた。

 「ダムの行方を心配しながら死んでいった人が大勢いる。ダム、ダム、ダムで過ぎてしまい、みんな疲れてしまった」(菅野雄介)