「生活再建」という名の壮大な欺瞞

 八ッ場ダム中止に反対する理由に、「地元の人々が可哀そうだから、今さらダム事業を止めるのはよくないんじゃないか」、という意見があります。テレビ等でたびたび地元の住民の方々の悲痛な訴えが報道されたため、こうした意見にうなづく人も少なくありません。
 けれども、ダム事業を中止しない理由が「地元住民のため」であるなら、八ッ場ダム事業における「生活再建事業」が、ダムによって破壊された地元の人々の生活を本当の意味で再建するものでなければならない筈です。
 八ッ場ダムではダム湖周辺に集落を移転する「現地再建」が唱えられてきましたが、全水没予定地住民の四分の三は、「現地再建」の前提となる「代替地計画」をあきらめて、すでに転出しています。残された人々の多くは行政と交わした約束に一縷の望みを抱いてきましたが、その約束も破られ、「生活再建関連事業」が進んでも、地域再建の展望は見えてきません。当事者の地元の方々が声を挙げられない状況にあるために、これらの事実は今まで伏せられてきましたが、「泣き寝入り」の実態がようやく少しずつ取り上げられるようになってきました。
 八ッ場ダム計画とは、なんのために、誰のために続けられてきたのでしょうか? 地元住民のためでないことだけは確かです。「地元住民のやる気」を問題視する意見は、代替地の安全性や地質条件など根本的な問題を無視した発想です。昔の日本陸軍の精神論のような非科学的な議論から脱却し、ダム予定地域の人々が生活を立て直し、破壊された地域を再生するために、国と関係都県が力を合わせなければ、八ッ場の悲劇は終わりません。

2010年5月14日 朝日新聞群馬版より転載
ー遠のく再建 募る焦りー
http://mytown.asahi.com/gunma/news.php?k_id=10000581005140001

 八ツ場ダム建設に伴う県の地域再建案に住民が同意して25年になる。ダムに反対してきた住民が条件付き賛成に転じたのは、この再建案があったからだ。ダム本体工事は中止しても生活再建事業は続けるとされる一方で、かつて地域の再建に描いた夢は消え、変わり、未来は見えない。住民たちのいらだちが募っている。(菅野雄介)

 「これをやれば絶対もうかると言われ、地元は3年も付き合わされてきた」「また見直しなのか」――。

 長野原町内で3月に開かれた川原湯地区ダム対策委員会。地区の石仏など文化財の移転についてなごやかに話が進んだ場の空気が一変した。移転代替地に建設予定のエクササイズセンターの計画見直しに話題が移ったときだ。

 温泉街の旅館主らが怒気を含んだ発言を続け、当時の県特定ダム対策課長は「お怒りはごもっとも。責任の重大さを再認識した」と声を絞り出し、平謝りに謝った。

 住民の不満の背景には、目先のエクササイズセンターの話以前に、地元がダム受け入れに傾く契機となった「25年前の約束」が果たされていないという思いがある。

 1952年5月にダム計画が町へ伝えられて以来、ダム建設に反対していた地元に受け入れの機運が生まれるきっかけとなったのは80年11月、県の生活再建案提示だった。

 ダム湖のほとりの温泉街、公社や誘致企業による雇用創出、公共施設の建設など、事業費1600億円を投じる具体的な青写真を描いてみせた。

 孤立無援の反対運動に疲れた住民たちは、青写真に自分たちの将来を重ねた。議論を繰り返すにつれ、「ダム建設=生活再建」という図式が定着していった。

 85年1月、町内10地区が要望を並べた。ダム建設を踏み台に「夢」が盛り込まれた。

 補償金の全面非課税▽総合レジャーランド計画▽国鉄(現JR)吾妻線の長野市への延伸▽スキー場、スケート場設置▽群馬大の誘致▽1区画1500平方メートルの分譲宅地▽下流都県から総合病院誘致▽高崎まで高速道建設……。

 多くは県との交渉で「実現不可能」とされたが、大学誘致や千人雇用の企業誘致などは「関係行政機関等において対応策を協議のうえ、実現を期する」として、地元に期待を持たせる形で残った。同年11月、県は町と「生活再建案に関する覚書」を締結し、地元は条件付き賛成に転じた。

 県のリゾート重点整備地区指定などを反映させて90年に示された「地域居住計画」を具体化した92年の素案は、(1)国道や鉄道の付け替え、代替地造成などの公共補償(2)水源地域対策特別措置法での上下水道や治山、土地改良などの「水特事業」(3)下流都県による利根川・荒川水源地域対策基金から観光会館や冒険ランド整備などの「基金事業」――の3本立てだった。

 「基幹施設は98年を目標に整備を終えたい」「ダムの完成は2006年ごろ」。国や県はこう説明した。

 だが、工期は延びた。補償費の増大や物価上昇などで、生活再建事業費の総額は3725億円に膨らんだ。その一方、夢が実現していたはずの08年、県は基金事業の見直し案を示し、これまでの案が下流都県と合意していなかったことを明かした。観光会館や冒険ランド、公社運営費などが消えた。代わりに道の駅やエクササイズセンターが加わった。

 基金事業は09年には、総額が3割カットの178億円になり、施設の維持管理費には使わせないといった制限も示された。施設の運営主体も県出資の公社ではなく、地元出資の株式会社とする話に。「約束と違う」との地元の不満から、いまも成案になっていない。

 08年に県が示した基金事業の見直し案は、下流都県の厳しい財政事情や、全国で失敗が相次いだ公社による観光事業への懸念から、92年の素案とは大きく様相を変えた。

 見直し案の柱、健康増進をテーマとしたまちづくり「ダイエットバレー構想」は、群馬大の寺石雅英教授(起業論)が掲げた。

 県から群馬大に協力依頼があり、同大学の共同研究イノベーションセンター荒牧分室長を務める寺石教授がかかわるようになったという。

 トレーニング室やエステを備えたセンターは、92年の素案にあった観光会館に代わる施設。しかしアンケートを実施した結果、「エクササイズ系の施設は集客効果がなく、中高年は旅行に行ってまで体を酷使したくない、心と体のリフレッシュに重点を置いていることがわかった」などとして、見直すことになった。

 寺石教授は「アンケートでは構想自体への反応は良かった。『心と身体のダイエット』を掲げているので、癒やしを中心にすればいい」と話す。だが地元側は構想に冷ややかになっており、80年代に見た夢は遠のくばかりだ。

 ◆「ダイエットバレー」提案の群大・寺石教授の話

 私が掲げたダイエットバレー構想は、あくまでも「たたき台」。本当に地元の人がやりたいことをやらないとうまくいかないだろう。

 私はベンチャーの研究者だから、ビジネスのプランをつくるまでが夢いっぱいで、始まった瞬間に地獄に落とされるという現実を見てきた。外部から与えられたアイデアやプランをやったんだ、ってなると、これは県や群馬大の寺石が押しつけたからだ、という甘えや逃げの口実になる。

 大切なのは、本当にリスクとリターンを地域で共有できるかということ。できなければ100%失敗する。

 まちを良くすれば自分たちももうかるんだという実感をもって、一致団結してやれるかどうかがまちづくりの勝負。まちなんか良くしたっておれの生活はよくならないよ、と思っていては駄目だ。

 何をやるか、とにかく自分たちの頭で考えてほしい。やる気になれば、半年あればプランはできるはず。

 一方で、行政側の一貫性のなさに住民が憤りを覚えるのは当然だ。ただ、それをいつまでも言っていたら、チャンスを逃す。

 かつて行政側は「施設は公社をつくって運営します」「ランニングコストの面倒をみます」と約束したこともあったが、今はそれを履行しようとしても世間を納得させることができない。「申し訳ない、ついてはこういう方法で納得して欲しい」と、どこかの段階でしっかりと区切りをつけなきゃいけない。そこをあいまいにするから地元は納得しない。

 その上で、しっかりしたまちづくり構想があって、それを国土交通相らにアピールすれば、「住民の方々がそこまで強い意志をお持ちならば、これだけは何とかやりましょう」とか、そんな雰囲気になるはず。まちづくり構想は、一致団結して交渉に当たっていく際の最大の武器になる。

 今は地元の生活再建、まちづくりを進める上で、千載一遇の好機だ。

 私が県から受託した調査では、話題の八ツ場ダム周辺に観光スポットができたら、「行きたい」という人が多数いた。ダムができてもできなくても、その答えは変わらないという。ただ、世間はそんなに甘くはない。今は「注目されているから」「話のネタになるから」行きたいだけだから、この好機を逃せば、あとは忘れ去られるだけだ。

 ダム中止表明を正当化するつもりはないが、一連の騒ぎは80億~100億円の宣伝効果があったと考えている。どんなまちづくりでも世間に周知させることが最大のネックになるのに、それがほぼ不要になったわけだから、これほどのありがたいことはない。

 ダムの中止問題で住民のまちづくりに対する熱意は下がっているが、むしろ今こそ踏ん張るべき時だ。

 てらいし・まさひで 1961年埼玉県生まれ。一橋大大学院商学研究科博士後期課程修了。名古屋商科大助教授、群馬大助教授などを経て、現職。専門はファイナンス論、起業論、交渉論。