八ッ場あしたの会は八ッ場ダムが抱える問題を伝えるNGOです

国のムダ直接追及に壁 「仕分け」は氷山の一角

2010年6月14日 
 八ッ場ダムの住民訴訟が首都圏の1都5県の裁判所に提訴されてから6年。三権分立とは名ばかりの司法の壁はなかなか越えられません。
 そもそも、国のダム事業なのに、なぜ国を直接訴えることができないのか? 答えは、国を訴える仕組みがわが国にはないからです。国に異を唱えることができるのは、東京都ぐらいといわれます。その東京都の石原都知事は、「八ッ場ダム推進」一辺倒です。都民にとって何ら利益のないダム事業をなぜ石原都知事は推進するのでしょうか?
 昨日、東京都議会では、八ッ場ダムの住民訴訟を担ってきた「八ッ場ダムをストップさせる東京の会」が提出した「東京都の水需要予測の見直し」を求める請願を本会議で可決採択しました。昨夏の都議選における与野党逆転で、ようやく実態と乖離した都の水需要予測の見直しが議会で認められました。

東京新聞「こちら特報部」より一部転載
 -国のムダ直接追及に壁 「仕分け」は氷山の一角 国民訴訟ー未整備の不条理 
 
 米・独は制度化■自治体提訴、可能だが
 
 事業仕分けに活躍した議員を重用し、財政再建を重視する菅政権。では、国が無駄遣いをしたとき、国民は法的に訴えることができる? 答えは「×」。自治体への住民訴訟は可能なのに妙だ。国民から直接チェックが入らないから官僚が安住し、無駄遣いにつながってきたとの指摘もある。「国民訴訟」が実現すれば、霞が関のありようは変わるのか。(山川剛史、篠ケ瀬祐司)

 「ずさんな(道路の空洞)調査をしたセンターの責任は重く、民事、刑事の責任が問われるのは当然。でも、そんなところに委託してきた国の責任も重大だ。制度上、国民には国のお金の使い方について直接追求する術がない」
 先月二十五日、公益法人を対象にした事業仕分けを締めくくる財団法人「道路保全技術センター」の議論で、首都大学東京・都市教養学部の奥真美教授(行政法)が、たまりかねたように声を張り上げた。
 ・・・(中略)・・・

 政府は及び腰 訴訟陥る前に解決努力■為政者にも効用
 「国の事業がおかしいと思っても、国民が直接訴えられなかった。これが民主主義でしょうか」
 八ッ場ダム(群馬県長野原町)建設の見直しを主張してきた市民団体「八ッ場あしたの会」の渡辺洋子事務局長は、国に税金の使われ方の是非を問う訴訟ができない現行制度を批判する。
 住民側は”外堀”を埋める作戦に転換。同会有志らが一都五県に「ストップさせる会」をつくり、自治体の都県が同ダムの関連事業に支出した税金の差し止めを求める訴訟を起こすほかなかった。
 「最近では、国土交通省はダム建設に関する公開質問状にも返答しない。国民が政策決定から排除されている」と、渡辺さんは国側の姿勢を残念がる。
 置く教授の問題提起は、こうした不条理に光を当てるものだが、国民訴訟を求める機運は出てきている。
 昨年十一月末の行政刷新会議では、元鳥取県知事の片山善博・慶応大学法学部教授が「住民訴訟は、首長や職員に対する歯止め、無駄遣いの抑止力になっている」と、自らの体験も交え、導入検討を求めた。
 片山教授は「事業仕分けや会計検査院のチェックもあるが、やっているのは氷山の一角。権力には談合めいたものが付きもので、力関係の中でうやむやになることも。だから、国民に近いところでやるべきだ」と話す。
 ただ、政府内の動きはどうも鈍い。
 片山教授は行政不服審査法の改正の際に、国民訴訟を盛り込むよう提案したが、同法を担当する総務省では「どのような論点で同法を改正するかは検討中」(行政管理局)とあって、早期実現は期待薄だ。
 それどころか「住民監査請求・住民訴訟は、行政不服審査法とは別の考え方だ。現行法にないもので、どこが所管するか決まっていない」(同)のが実情。
 行政刷新会議事務局でも「具体的に検討していない」(透明化検討チーム)という。
 霞が関の中堅官僚からは「しがらみを絶てるかもしれない面はあるが、役所は対応準備だけで手いっぱいに。正直なところ、叩かれるだけではやる気も起きなくなる」。
 別の官僚は「ある程度、無駄な公共事業の抑止力にはなる」としつつ「安易に請求、訴訟を認めると現場は大変。たとえば、まず会計検査院に請求、結果に不満の場合は訴訟する形とすれば、会計検査院の活用という観点からもよろしいのではないか」と話した。
 確かに、地域限定の自治体と違い、国の施策は全国をカバーする。その分だけ訴訟リスクを多く抱えるのは事実。
 ただ、オンブズマン活動にも取り組んできた清水勉弁護士は「その問題はやり方次第。そもそも国は自らの検証責任を負ってこなかったのは事実で、国民から問題提起をする権利を取り上げる合理的な理由は何もない。ドイツのように専門の部署を設けるのも一つのやり方で、人件費が増えるとしても、それ以上に無駄が減れば、結果的には得になる」と指摘。
 前出の片山教授は「実は住民訴訟は為政者にとってもためになる」と、意外な効用を唱えた。
 「賠償責任を問われることは、恥だし、現実のところ払いきれない。となると、情報をどんどん出し、早く外部から問題点を指摘してもらい、訴訟という泥沼に落ちる前に何とかしようとする。その結果、住民にもプラスの状況が生まれる」

 デスクメモ 
 「無謬(むびゅう)なんです」。かつて都の不正支出を追及し、一方で住民訴訟がない理由を国側に尋ねたときの答えだ。国の施策は大局的に判断され、自治体と異なり政府には誤りがないーとの前提があると。だが官僚と政治家に都合のいいこの誤謬こそ正すべきだ。「草の根出身宰相」が試される。