八ッ場あしたの会は八ッ場ダムが抱える問題を伝えるNGOです

2010’参院選を前にして

 群馬県の県政は1965年以来、ずっと八ッ場ダム問題が最も重要な政策課題でした。間近に迫る参院選は、八ッ場ダム問題の今後の行方にどのような影響を与えることになるのでしょうか。

●2010年6月15日 上毛新聞より転載
ー「着実に政策転換進める」 八ッ場問題で首相ー

 菅直人首相の所信表明演説に対する各党の代表質問が14日、衆院で行われ、菅首相は八ッ場ダム(長野原町)問題について「政府として方針に変わりはなく、着実に政策転換を進めてまいりたい」と述べ、できるだけダムに頼らない治水を目指す考えを示した。公明党の井上義久氏の質問に答えた。
 菅首相は八ッ場ダムをめぐる現状について「政策転換の端緒として、前原(誠司)国交相が中止の方向性を示し、全国のほかのダムと同様、予断を持たず検証を行うこととしている」と説明した。

●2010年6月15日 東京新聞群馬版より転載
http://www.tokyo-np.co.jp/article/gunma/20100615/CK2010061502000098.html
ー攻防 政権交代の後で<1> 八ッ場ダム問題 見えぬ生活再建 住民不安

 「八ッ場(やんば)を造らないと宣言した鳩山政権が、一年もたたないうちに幕を閉じてしまった。われわれの将来は一体どうなってしまうのか」
 鳩山由紀夫前首相の辞任から始まった民主党の突然の“政変劇”。八ッ場ダムの建設予定地・長野原町の関係者らは、一連の事態に強い戸惑いを見せた。
 昨年九月、前原誠司国土交通相が掲げた八ッ場ダム建設中止の方針に、地元の住民代表や流域六都県が猛反発。ダム問題は膠着(こうちゃく)状態となったままだ。

 菅直人政権で、前原氏は国交相に再任された。だが、地元住民らは、生活再建のゴールが見えない中で、ダム問題が引き続き国政の優先課題として扱われるのかどうか、疑心暗鬼に陥っている。

 同町の川原湯温泉で老舗の「柏屋旅館」を三月末で休業した豊田治明さん(74)は「景気の悪化で温泉街は困り果てている。もう時間がない」と問題の早期打開を要求。五十代の男性住民も「このままの状態が長引けば、生活が成り立たなくなる」と不安を募らせる。

 そうした中、ダム問題の最前線に置かれた民主党の参院選立候補予定者は、前原氏と地元住民との間で板挟みとなり、複雑な対応を余儀なくされている。群馬選挙区で再選を目指す党県連会長の富岡由紀夫氏は「ダム中止には地元の納得が絶対条件」と強調。比例代表で出馬する前知事の小寺弘之氏は、ダム建設の賛否を明確にしないまま、「問題解決」を訴えている。

 だが、長野原町の高山欣也町長は「民主党への不信感は今も変わらない」と断言。ダム問題について「『納得』して『解決』する手段は、あくまで中止撤回だ」と言い切る。

 ダム問題に詳しい県議(無所属)の一人は「群馬の民主党は問題の対応を国に丸投げしたも同然。地元国会議員が国と住民との間に立って調整に当たった形跡はなく、ダム問題への主体性が感じられない」と指摘。政権交代後、同党県連が与党としての役割を果たしてこなかったと批判する。

 一方の自民党は、参院選でダム問題を民主党批判の最重要項目に位置付ける。群馬選挙区で五選を目指す党県連会長の中曽根弘文氏は「米軍普天間飛行場の移設問題と同様に、八ッ場ダム問題も混迷の度を深めている」として、ダム建設の正当性を強く主張する。

 だが、ダム中止を訴える市民団体「八ッ場あしたの会」の渡辺洋子事務局長は「自民党は与党時代、ダム事業を強引に推し進め、地元住民に苦しみを与えてきた立場」と反論。「事業のマイナス面を検証することなく『ダム建設』だけを言うのは、八ッ場ダム問題の本質から目をそらす無責任な行為」と突き放した。
   ◇  ◇
 参院選は七月十一日の投開票まで一カ月を切った。民主党が大勝した昨夏の衆院選後、「自民王国」と称された群馬の政治事情も激変した。あれから九カ月、政権交代が実現した当時の「熱気」が冷める中、八ッ場ダム建設中止問題など県内の政治課題の行方や揺れる業界団体、各政党の攻防を取材した。

●2010年6月15日 共同通信47NEWSより転載
http://www.47news.jp/CN/201006/CN2010061501000656.html

ーダム検証基準公表は参院選後 「争点隠し」の批判も
 前原誠司国土交通相が建設中止を表明した八ツ場ダム(群馬県)など全国84ダム事業を継続するかどうかの検証に使う判断基準の公表は、早くても7月の参院選後になる見通しだ。

 前原氏は既に整備新幹線の未着工3区間の建設判断や、「6月中の選定」を強調していた「国際コンテナ戦略港湾」の結果公表を選挙後にする方針も表明している。選挙前に出せば着工や選考で漏れた自治体が反発するのは必至なだけに、一連の先送りには「争点隠し」との批判も出そうだ。

 前原氏は昨年9月の就任直後、「できるだけダムに頼らない治水」への転換を表明して有識者会議を設置。判断基準の素案を公表した後、「夏ごろ」に基準を決定し、検証を求める予定にしていた。ところが「議論が百出している」(国交省幹部)ため時間がかかり、まとまる時期はまだ見えない。

 状況について三日月大造国交副大臣は「シナリオを持ってやっているわけではない」と説明している。

●2010年6月15日 朝日新聞群馬版より転載
 http://mytown.asahi.com/gunma/news.php?k_id=10000431006150001

 -知事選前哨戦の様相ー
7月の参院選比例区が、来年の知事選に向けた前哨戦の様相を帯びてきた。上野公成元官房副長官(70)の娘婿宏史氏(39)はみんなの党の公認が内定、大沢正明知事(64)に支援を求めた。小寺弘之前知事(69)は民主党公認で立候補する予定で、同じ群馬を地盤にしのぎを削る構図になる。参院選の結果は知事選の行方にも影響しそうだ。(辻森尚仁、渕沢貴子)

 上野宏史氏は14日午前、高崎市役所で転居届などを済ませると、車を前橋市の県庁に走らせた。義父の公成氏と共に大沢知事と面会し、30分近く話し込んだ。

 その後、県庁そばの自民党県連へ。「義父が活動してきた群馬の地域代表として全力を尽くす」。中央では同じ野党とはいえ他党に出向き、意気込みを語る宏史氏の横で、公成氏は今回の擁立劇を解説してみせた。

 「対小寺の受け皿作りの意味合いがあるんだ」

 2007年の知事選で自民党公認の大沢氏に5選を阻まれた小寺氏が、参院選に出ると表明したのは1月。

 小寺氏の「復権」を警戒する一部の自民党県議らが、公成氏を小寺氏にぶつけようと擁立に動いた。

 元建設官僚の公成氏は、故・福田赳夫元首相の実弟宏一氏(故人)の後継として、92年の参院選群馬選挙区(改選数2)で自民党の公認を受け初当選した。07年の知事選では大沢氏を支援し、当選後、霞が関の人脈をつないだ。

 大沢県政と国政への影響力保持を狙う公成氏。年齢制限や支持率の動向などから、自民党ではなく、「反民主」を掲げるみんなの党での出馬を模索した。やはり年齢の問題でそれも難しいとみるや、娘婿の擁立を決断した。公成氏に近い自民党県議は「小寺氏の影響力を完全に排除するためだ」と明かす。
     ◇
 対する小寺氏。

 先月29日、前橋市内で開かれた高木政夫市長の市政報告会で、こう呼びかけた。

 「来年は県議選も知事選もある。群馬県の政治をきちんとした方向に持っていかなければならない。(参院選は)そういう選挙だと位置づけて下さい」

 続いて、高木市長が「高木政夫の政治力を大きくしていくには小寺弘之という政治家が必要」と呼びかけた。

 「参院選が県議選や知事選に結びつく」と訴える様は、3年前の遺恨試合のようだ。

 07年4月の県議選で、小寺氏の支持団体は12人を推薦、うち8人が当選した。だが3カ月後の知事選で小寺氏は落選。小寺派の県議らは後ろ盾を失い、会派を離脱する者も現れた。

 参院選で勝ち、その勢いで県議選で足場を固め、大沢知事の再選を阻む――。小寺派のある県議はこんな筋書きを描く。

 小寺氏の支持拡大の先頭に立つ高木市長と、ある県議は、大沢知事の対抗馬として名前が取りざたされている。

 知事を担ぎ、県議会の大勢を占める自民党は、政権交代後も県政の主導権を握り続けている。自民党は、この構図を突き崩そうという民主党側の動きに警戒を強める。

 先月29日の参院選全県選対会議では、「民主党は選挙区に比例区の前知事が加わった連合軍で向かってきている」(佐田玄一郎衆院議員)と連帯を呼びかけた。

 参院選群馬選挙区(改選数1)で、民主党現職の富岡由紀夫氏(46)とぶつかる自民党現職の中曽根弘文前外相(64)も、4月に前橋市内の事務所開きで「来年は県議選、知事選がある。大沢県政を安定的なものにするためにも負けられない」と訴えた。