八ッ場あしたの会は八ッ場ダムが抱える問題を伝えるNGOです

五木村の生活再建策

 八ッ場ダムと共に総選挙の際、民主党のマニフェストに掲げられた川辺川ダムの中止は、熊本県と流域の八代市、人吉市、相良村などがダム中止を求めていることから、関係都県がダム推進でスクラムを組んでいる八ッ場ダムよりはるかに問題解決が容易だと言われてきました。けれども、川辺川ダムの中止手続きは、いまだに進められていません。八ッ場あしたの会では、ダム予定地におけるダム中止後の生活再建・地域の再生がダム問題の最終解決だとして、11月21日のシンポジウムでは五木村の実状を熊本より報告してもらいました。
 川辺川ダムの中止手続きが始まらない原因は、水没予定地である五木村の生活再建策が進まないからといわれます。ダム推進を掲げる八ッ場ダム予定地と違い、五木村では生活再建策がまとまればダム中止を受け入れる状況にあります。これまで五木村では、表向きはダム湖による地域振興を求めてきましたが、ダム湖が地域振興の役に立つと考える住民は殆どいなかったといわれます。けれども、国交省はダムを造ることが目的だからと、地域の再生に取り組もうとしている五木村に対して手を差し伸べる気配が見えません。ダム中止を求めたのは熊本県だから、国交省には何の責任もない、ダムの中止を受け入れれば困るのは地元だと、八ッ場をはじめとする全国のダム予定地を抱える自治体を脅しているようにも見えます。
 五木村では村の中心部が水没予定地とされ、すでに大半の住民が代替地へ移転しています。水没予定地は村の中心部にありますが、殆どが国有地となっており、山間地にとって貴重な平地が国に”召し上げられた”状態のままです。ダム計画で約束された代替農地も造成されないため、農民はこれまで積み立ててきた農業年金さえ受け取れないという問題を抱えているそうです。現地では、ダム計画の中止手続きを始めたくない国交省がダム計画を塩漬けにしようとしているのではないか、という疑問の声もあがっています。
 民主党政権は直接五木村当局の話を聞き、問題解決にエネルギーを注ぐべきです。このままでは、”コンクリートから人へ”がキャッチフレーズに終わってしまいます。

2010年11月27日 毎日新聞熊本版より転載
http://mainichi.jp/area/kumamoto/news/20101127ddlk43010460000c.html

 ニュース裏おもて:生活再建、五木村に焦り 国との間に温度差 /熊本

 ◇県と村「早く進展示して」

 川辺川ダム計画で40年余りにわたって翻弄(ほんろう)されてきた五木村の生活再建策が、国土交通省と県、村の3者で話し合われている。県と村は11年度政府予算に再建事業を盛り込むよう求めているが、国交省との間にはまだ温度差がある。村は「早く目に見える進展を示して」と焦りを募らせる。【取違剛】

 国交省九州地方整備局(九地整)と県、五木村の担当者が今月19日、村役場に集まった。7月から4回目を数える「五木村の生活再建を協議する場・通常会議」。ダム計画によって村づくりが制約され、衰退する五木村を立て直すため国、県が何をすべきか。村が取りまとめた地元の要望は、国道整備再開や水没予定地の利活用、人口増加策など、延べ91項目に上った。

 国が川辺川ダム計画を発表したのは1966年。五木村は村を挙げて反対したが96年10月、紆余(うよ)曲折を経て同意した。以来、ダムを前提にした村づくりを進めてきた。しかし08年9月、蒲島郁夫知事が建設中止を求める考えを表明。09年9月には当時の前原誠司国交相が建設中止を表明するに至り、村は「ダム計画に振り回された」と、憤まんやる方ない思いでいる。

 意見交換の冒頭、和田拓也村長が村の思いを代弁した。「昨年9月、現地視察に訪れた前原大臣が『ダム中止の代わりに補償法案を提出する』と表明したが、それから何も動いていない。それが村民の不満だ」

 五木村再建事業を来年度の政府予算に盛り込むには、遅くとも年内に大臣らの政治判断が必要になる。しかしその動きが見えず、村のいら立ちは募る。県も次回会議に国交省の政務三役が出席するよう求めたが、九地整側は「要望は伝える」と述べるにとどまった。九地整の担当者は「要望は多種多様で、実務レベルで優先度やダムとの因果関係を精査するだけでも相当の作業量だ。もちろん急ぐが」と、再建は一朝一夕ではいかないことを示唆した。

 川辺川ダムは八ッ場(やんば)ダム(群馬県)と共に、民主党政権が掲げる「脱ダム」の象徴として注目された。しかし国は「脱ダム」後の課題にどう取り組むのか目立った進展は見られず、展望が開けない。会議後、和田村長は表情をくもらせた。「政務三役を加えた拡大会議へ向けて、スピード感をもって早くしてほしい。村にとっては今始まった議論ではない」

 紅葉シーズンの週末、村は行楽客でごった返した。県などによると観光客数は右肩上がりで、昨年は14万人。5年間で倍増ペースだ。物産館「道の駅・子守唄の里五木」や温泉センターの売り上げも年々伸び、にぎわいをみせている。しかし、それと裏腹に人口は最盛期の60年(6161人)から減少の一途。今年10月末で1353人となり、10年後は831人、20年後は582人まで減ると予測される。村の再建は1年1年、待ったなしの状況になっている。

 「水没予定地の住民は土地を捨てるしかなかった。ダムができようができまいが、村社会も個人も大きな損失を被った。それが村再建を考える原点だ」。和田村長は強調した。