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本体着工済みのダム、初の中止、橋下大阪府知事

 大阪府が槇尾川ダムの中止決定を公表し、大きなニュースとしてマスコミ各紙で取り上げられています。ダム事業の中止はこれまでも全国で数多くありますが、槇尾川ダムはすでに本体工事に着工済みであっただけに推進派の抵抗は激しく、紆余曲折がありました。本体着工済みのダム中止は全国初です。

 槇尾川ダムの状況は以下の通りです。
 2009年5月に本体工事を契約し、2009年9月に本体工事に着手。現在は法面の掘削と保護の工事を行っている段階で、基礎岩盤の掘削工事はまだ行っていません。水没家屋はゼロですが、別荘地があり(23筆あって、家が建っているのは3~4軒)、 別荘地は未買収であるものの、予定地全体の用地買収は95%進んでいます。

 大阪版脱ダムの立役者は橋下徹大阪府知事です。ダムの検証を行う有識者会議に今本博健氏(京都大学名誉教授)、宮本博司氏(元国交省官僚)ら、脱ダム派の専門家を登用し、府がダム推進のために作り出したデータのいい加減さを浮き彫りにしてきました。

 淀川水系流域委員会、滋賀県の嘉田知事の環境政策への取り組みなどの体験を重ねてきた関西における大阪府の検証は、国交省河川局主導の八ッ場ダムの検証とは大きく異なります。そもそも国交省は、本体着工済みのダムを検証対象から外し、前原国交大臣は民主党政権の方針に反して駆け込みで内海(うちのみ)ダム(香川県小豆島)などの本体工事に着工した河川局にブレーキをかけることすらできませんでした。
 八ッ場ダムの検証は、事業そのものにメスが入ることはなく、ダム本体着工にゴーサインを出すためのアリバイ作りの検証作業に時間を費やしていますが、民主党政権は河川官僚の言うがままに脱ダム派の有識者を排除したため、世論を味方につけるための明確なビジョンを示すことができないでいます。
 民主党政権の「八ッ場ダム見直し」に呼応して橋下知事が進めたダム検証について、上毛新聞は「解説」で、「政府の対応が遅れているのは皮肉な結果だ」と論評しており、他紙でも政治主導と官僚主導との大きな違いを詳しく報じています。

◆2011年2月15日 朝日新聞より転載
http://www.asahi.com/national/update/0215/OSK201102150064.html

 -本体着工後の槙尾川ダム中止へ 橋下知事が方針固める― 

 大阪府が建設を続けるか中止するかを議論してきた治水目的の槙尾川(まきおがわ)ダム(同府和泉市)について、橋下徹知事はすでに本体工事に入ったダム事業を中止し、治水は川幅を広げることなどで対応する方針を固め、15日にも府戦略本部会議で決める。国が昨秋始めた全国のダム計画の見直し作業でも、本体着工済みのダムは対象外。この段階で建設中止に踏み込むのは異例だ。

 槙尾川ダムは、府が2009年9月に本体工事に着手した。だが政権交代直後の同月、当時の前原誠司国土交通相が、全国のダム計画を検証する方針を発表。これを受け、橋下知事も槙尾川ダムについて「ダムは原則、造りたくない」と表明していた。

 その後、知事は府内一律に設けられた「100年に1度の大雨」に対応する高い治水目標は、実現性が薄いとして見直しを決定。槙尾川では「30年に1度の大雨」に対応できる水準に変えた。河川工学の専門家らによる府河川整備委員会で、府が進めるダム案(事業費108億円)と、河川の拡幅や掘削で対応する代替案(同80億円)を中心に議論したが結論は出ず、知事に最終判断が委ねられた。

 知事はこれまでも、ダムの予定地付近では狭く蛇行した川沿いに家が張りついているため、大雨によって危険な状況になると指摘。川の幅を広げたり、家屋を移転したりする代替案が抜本的な治水対策になると強調していた。15日午後に非公開で開く府戦略本部会議で建設中止の方針が決まれば、同日中に府幹部が地元を訪れ、住民らに説明する予定。これを受け、知事が16日にも正式に発表する。

 ダム建設を望む声が強い地元住民からは、建設を中止することに反発が出ている。代替案の完成が遅れ、その間に水害が起きた場合、府の責任が問われる可能性もある。

 民主党政権では、国交省が昨年9月から国や地方など計83のダム事業の検証作業を始めた。だが本体着工済みのダムは事業が進展中として除外しており、大阪府は独自に検証を実施していた。本体着工済みのダムの建設中止について、国交省の担当者は「聞いたことがない」としている。(宮崎勇作、天野剛志)

〈槙尾川ダム〉 計画では高さ43メートル、総貯水量140万立方メートルの治水用ダム。1982年の台風被害をきっかけに大阪府が91年に調査に着手し、2010年3月末時点で用地の95%が買収済み、付け替え道路の45%が完成した。09年9月に本体工事を始めたが、両岸の山ののり面を一部掘削した後に中断している。

◆2011年2月16日 上毛新聞より転載

 -本体工事すでに着手 槇尾川ダム建設中止 大阪府方針―

 大阪府は15日、建設継続の是非を検討してきた槙尾川ダム(同府和泉市)の建設中止方針を決定、地元住民に伝えた。ダム建設を前提とした治水対策を河川改修中心に切り替える。ただ住民側の早期建設を求める声は強く、反発は必至だ。

 槙尾川ダムは既に本体工事に着手済みで、中止への転換は極めて異例。国土交通省は同様の事例について「1995年以降で、国交省が把握する中では例がない」としている。政府が進めるダム事業見直しの対象外だが、今後の議論にも影響を与えそうだ。

 橋下徹知事は、記者団に「住民に迷惑をかけたことは謝罪する」としながらも「府民全体の意思を代表する立場として大阪全体のことを考えて判断した」と強調した。
 建設中止による訴訟リスクに関し、知事は府の会議で示した資料で「変更は『合理的な政策』の判断。訴訟提起があっても司法にはこうした考えを踏まえた判断を期待する」と強調した
 
 府は2009年3月、橋下知事の下で本体工事の事業費を予算計上し、着工。しかし同年9月、鳩山内閣が八ッ場ダム建設の中止方針を明確にしたことを踏まえ、知事は「ダムは原則造りたくない」と表明、再検証を始めた。本体工事は10年2月に中断した。

 府が目指す「脱ダム」案は、河川改修のほか局所的な掘削も実施する。今後の事業費は約80億円で、ダム建設を選択した場合の約108億円よりコスト面で有利だと試算している。

 有識者でつくる府の河川整備委員会は10年11月、検証結果の意見集約を断念し知事に意見書を提出。一方、地元住民側は早期建設を要望し、過去3回にわたり知事と意見交換会を開催。議論は平行線に終わっていた。

【解説】ダム見直し議論に波紋
 槇尾川ダム建設中止に踏み切った橋下徹大阪府知事の決断は、八ッ場ダム建設中止など全国のダム事業見直しを掲げながら手詰まり気味の政府の論議に一石を投じることになりそうだ。
 もともと知事が槇尾川ダムの再検証に乗り出したきっかけは、2009年当時、前原誠司国土交通相が打ち出した「ダムに頼らない治水」への共感。政府の対応が遅れているのは皮肉な結果だ。
 国交省の有識者会議は昨年、ダム以外の25の治水手法を組み合わせて代替案を複数つくり、「コスト」を重視する検証基準を策定。ただ、これでは結局ダム案が選択されるとの懸念も出ていた。
 これに対し橋下知事は、治水目標について100年に1度から30年に1度の大雨に対応できるよう見直した。期間を短く区切ることでコスト面などでも脱ダム案が有利となり、決断を後押しすることにつながった。
 ただ本体工事着工許可を出したのはほかならぬ橋下知事で、地元の混乱を招いたことは間違いない。行政への不信を拭い去るためにも「真に安全安心なまちづくり」(知事)を住民に十分説明することが求められる。

◆2011年2月16日 産経新聞より転載
http://www.sankei-kansai.com/2011/02/16/20110216-049699.php

 -【槙尾川ダム建設中止】住民怒り「納得できぬ」―

 「これまでの30年をなんと思っているのか。納得できない」。大阪府の橋下徹知事が槙尾川ダムの建設中止を決めた15日、知事方針を伝える府幹部らに、ダム建設を求めてきた住民らは怒りを爆発させ、説明会は16日未明までの7時間に及んだ。一方、橋下知事はこの日は現地入りせず、報道陣に「住民の意志も尊重しなければいけないが、地元住民(の思い)だけで府政は動かせない」と述べた。

知事「将来の大阪考えた」

 「ダムに頼らない河川改修を選択することにしました」。橋下知事がまとめた文章を淡々と読み上げる府職員に、地元公民館に集まった住民約30人は厳しい表情を浮かべ、じっと資料に目を落とした。

 ダム計画が持ち上がったのは、流域の約530戸が浸水した昭和57年の洪水がきっかけ。当初は計画に反対の住民もいたが、平成7年にも被害が出て、地域挙げてダムによる治水を求めるようになった。ダム対策委員長の坂口陸夫さん(80)は「ダムを作るために、と先祖の土地を手放してくれた人らに、どう説明したらいいのか」と声を詰まらせた。

 橋下知事が「地元の協力があれば3年でできる」と強調する河川改修案は、居住地での新たな用地買収を伴い、地元側は「地元に責任を負わすのか」と反発。住民の一人は「(すでに着工した)ダムは3年でできるが、河川改修はそれ以上かかるだろう。知事はリスクをわれわれに負わせていることを自覚してほしい」と話した。

 一方、橋下知事は「大阪全体のことを考えた判断も住民のみなさんには尊重していただきたい。今回はとことん将来の大阪のことを考えた判断」と述べた。

脱ダム 今後が正念場

 橋下知事が中止の決断を下した槙尾川ダム。地元住民の強い反発を招きながらも「ダムに頼らない治水」を目指す持論を貫き、国よりも“先進的”な見直し事例を示しダム行政に一石を投じた半面、住民側には不信感が広がる。

 巨額の費用を投じるダム事業は走り出すと止めるのは困難とされてきた。「コンクリートから人へ」と訴え、政権交代を果たした民主党が、その象徴例といえる八ツ場(やんば)ダム(群馬県)事業で迷走を続けていることからも明らかだ。

 国土交通省は、本体工事に着手していない83のダムの見直しを進めているが、槙尾川ダムは対象に含まれておらず、国レベルでは事実上「継続」とされていた。中止決定は、各地で長期化するダム事業にも影響を与える可能性がある。

 一方、着工にゴーサインを出しながら見直しを指示した知事の姿勢に翻弄された地元住民は強く反発する。知事が主張する河床掘削や河川拡幅などで治水に対応するには新たな用地買収も必要となる。

 「脱ダム」は、いつ見舞われるかわからない水害に不安を抱く住民の協力を得られて、初めて実効性を伴う。

 今回の決定が、知事が強調する「治水行政の転換点」となるかどうかは今後が正念場となる。

 画期的、新しい政治スタイル

大熊孝・新潟大名誉教授(河川工学)の話「ダムは自然環境に負荷をかける。ダムで住民の命を守れるとは限らないし、命を完全に守ることはできない。どこまで守るかという問題のなかで、将来にわたり持続可能な社会を維持するという考えのもと、ダムを止めた判断は画期的。過去の政治にとらわれない橋下知事だから出せた結論で、新しい政治スタイルだ」

 丁寧な説明、代替案実施を

脱ダムの推進派として府河川整備委員を務めた元淀川水系流域委員長・宮本博司さんの話「国に先んじて、ダムに頼らない治水に舵を切ったことに意味がある。ダムには限界があり、(知事が提示する)河川改修やまちづくりも含めて住民の命をいかに守るかという原点に返る必要がある。知事は住民に対して丁寧に説明し、早く代替案を実施すべきだ」

 熟慮重ねた判断

脱ダムを掲げ、槙尾川ダムの方針について橋下知事と意見交換を重ねていた滋賀県の嘉田由紀子知事は「橋下知事が慎重に、かつ熟慮を重ねて判断されたものと考える」とのコメントを発表した。

◆2011年2月17日 朝日新聞社説より転載
http://www.asahi.com/paper/editorial20110217.html

 -ダム建設中止―流域で受け止める治水へ―

 いったんはゴーサインを出し、すでに本体工事が始まっていた大阪府の槙尾川(まきおがわ)ダムの建設を止める。橋下徹知事がそう決断した。

 本体着工後のダム建設中止は極めて異例だ。本体工事が凍結されている群馬県の八ツ場(やんば)ダムと比べると、貯水量は70分の1以下と小さいが、中止がもつ意味は小さくない。

 知事就任後の2009年9月に着工したが、建設慎重論に耳を傾け、見直しを表明した。専門家を入れた委員会で議論を重ねてきた。

 河川改修の方が費用は少ないという試算が出た。環境への影響も小さい。

 危険な場所は河床を掘り、川幅を広げる。川岸ぎりぎりに立つ家は移転してもらい、流木をせき止めそうな橋は架け替える。そうすれば、ダムをつくらなくても安全を確保できる。これが知事の結論だ。

 日本の治水の考えは「水を河道に封じ込める」。これがダム建設を支えた。だが最近は、ダム防災の想定とは異なる局地的豪雨が各地をたびたび襲う。ほかの河川でも、ダムにばかり頼らず流域全体で雨を受け止める総合治水を検討すべき時期に来ている。

 河川改修に遊水池などを組みあわせる。ハザードマップの開示や避難ルートの作成というソフト対策を急ぐ。いずれも住民の協力が欠かせない。

 大阪府は今回、治水目標を見直した。これまで府管理の河川では「100年に1度の雨(時間雨量80ミリ)」でも水があふれないことをめざした。

 ところが全域で達成するには50年と1兆円余がかかる。財政の現実を考えると、実現はむずかしい。

 そこで河川ごとに目標を見直した。槙尾川では「30年に1度の雨(同65ミリ)」に対応することにした。
 
 「絵に描いた餅」となりかねない高い目標を掲げるより、現実的な水準を選択したという。

 人命を守ることを優先し、床上浸水は阻むが、場合によっては、床下浸水は我慢してもらうといった発想だ。

 地元には依然、ダムを求める声がある。今後、住民の協力を得て、安全な地域づくりを進めることができるかどうか。工事のために木を伐採した山の復元や受注業者への違約金といった課題もある。きちんと解決し、中止のモデルにしてほしい。

 昨秋から、国土交通省の方針で全国でダム事業の検証が進んでいる。

 対象となった計画段階のダムが必要かどうか、本気になって洗い直さなければならない。それには、形骸化した治水目標の見直しが肝心だ。

 情報公開を徹底し、公開の場で異なる立場の人が意見をぶつけ合う。そのうえで政治家が決断することだ。

 本体着工し、検証の対象外とされたダムでも止めることはできたのだ。

◆2011年2月17日 朝日新聞関西版
http://www.asahi.com/kansai/sumai/news/OSK201102170026.html

 -脱ダム 念入り橋下流 治水目標見直し→整備委で議論―

 大阪府の橋下徹知事は15日、同府和泉市の槙尾川(まき・お・がわ)ダムの建設中止を決めた。本体着工済みだが、従来の高い治水目標を見直し、専門家の会議でダム慎重派から出た代替案を採用。今後は水害への不安が根強い地元住民の合意を得るのが課題だ。知事の判断は全国で進むダム事業の検証に影響を与えるのか。(宮崎勇作、天野剛志)

 15日午後。橋下知事は府の幹部を集めた戦略本部会議で「(ダム担当の)河川室には申し訳ない」と切り出し、紙を配った。「私は単純な脱ダム派ではない。住民にとってより安心な手法はどちらなのかを判断のよりどころにした」などと記した紙に沿い、中止を判断した理由を一気に説明した。幹部から、強い異論は出なかったという。

 2009年9月に建設見直しを表明して以来、知事の言動のベクトルは、ほぼ一貫して「中止」へ向かっていた。

 最初に手をつけたのは、府内で一律に設けられた「100年に1度の大雨(時間雨量80ミリ)」に対応する治水目標の見直しだった。すべての川でこの基準を達成するには、約50年、事業費は1兆400億円かかるとされる。

 知事は「いつ完了するかわからない計画は、計画ではない」と疑問を唱え、住民が治水の効果を実感できる治水対策が必要だと主張。河川ごとに20~30年後を見据えた目標に見直し、浸水の危険性の公開、避難態勢や街づくりを一体とした治水対策に変えることを決めた。槙尾川の治水目標は「30年に1度の雨(同65ミリ)」とし、ダムに限定せず対策を練り直すことにした。

 次に、河川工学などの専門家でつくる諮問機関の府河川整備委員会(13人)の委員を差し替えた。行政の方針にお墨付きを与えるようではいけないと、元国土交通省河川局防災課長の宮本博司氏ら脱ダム派の論客を委員に加えた。

 それでも計6回にわたった委員会では、1日9時間に上る激論もあった。ダム建設を中止し、氾濫(はん・らん)する危険性が高い場所を集中的に改修する代替案が示されたが、水害が起きれば人命に直結するとしてダムの見直しは慎重にすべきだとの意見も根強かった。

 最終判断を委ねられた知事は「ダムを造る方が楽。1人でも命が奪われたら、一生十字架を背負わないといけない」とこぼすこともあった。中止の意向を固めつつ、最後に念を入れたのは「訴訟リスク」への対応。「ダムも河川改修も治水効果はほぼ同等という委員会の評価を踏まえており、手続きは適正」と理屈を整理した。15日夜、報道陣に「判例のない中で総合的に考え、法的責任を負わないと判断した」と述べた。

 それでも建設予定地に近い住民には、かつて水害に遭った経験から「ダムができれば安心」との思いが根強い。15日夕、建設中止の説明に訪れた府の都市整備部長らに「こんなむちゃくちゃな話があるか」などと反発の声が上がり、説明会は16日未明まで7時間半に及んだ。

 府は今後、住民の理解を得るため、地域の防災対策や施設整備の案を示すとともに、川幅を広げるのに必要な用地買収を急ぎたいとしている。

 槙尾川ダムと同様、すでに本体工事に入った香川県小豆島(しょう・ど・しま)の内海(うち・のみ)ダム。着工を前に09年12月、当時の前原誠司国土交通相が現地を訪れて見直しを求めたが、県は自公政権時代に予算は認められているとして工事に踏み切った。

 景観を破壊するなどとして中止を求め、県などを相手に訴える住民側代理人の兼光弘幸弁護士は「橋下知事は本体工事の契約後でも止められることを示してくれた。とても心強い決定だ」と喜ぶ。だが県の担当者は「ダムの必要性など、槙尾川の状況とは違う。粛々と進めるだけだ」。

 長野県では02年、当時の田中康夫知事が本体工事の契約を終えていた浅川ダム(長野市)の中止を決めたが、06年に田中知事を破って当選した村井仁・前知事が計画を復活させた。ダム建設を実際に中止するハードルは高い。

 国が検証中の計83のダムへの影響はどうか。国交省によると、青森県の大和沢、福岡県の五ケ山、伊良原の3ダムで各県の検討が終わり、大和沢ダムは中止が決まった。だが検証以前から見直し論があった同ダム以外では、中止に至るのは少数にとどまるのではないかとの見方が強い。

 こうしたなか、元東京都環境科学研究所研究員で「八ツ場(や・ん・ば)ダムをストップさせる市民連絡会」の嶋津暉之代表は、「大阪府の決定が全国に与える影響は大きいのでは」と、橋下知事が主導した治水目標の見直しに注目する。

 国は1997年の河川法改正で、国や都道府県が「河川整備計画」をつくり、それまでの長期的な治水目標に加えて、20~30年後の目標を明確にするよう義務づけた。

 例えば、首都圏を流れる多摩川は「200年に1度」の雨に上流のダム群と河川改修で対応するとされたが、01年策定の整備計画では「戦後最大の洪水(約20年に1度)」に対応すると設定。当面は河川改修のみで対応可能なため、ダム群の計画はない。

 だが、多摩川のように法改正が生かされた例は多くない。中止か否かで揺れる八ツ場ダム(群馬県)のある利根川など1級河川の4割は整備計画がなく、高い治水目標をもとに事業が続いてきた。嶋津さんは「本来は国が率先し、高い治水目標を再検証すべきだ」と指摘する。

 一方、ダムの効果を重く見る専門家とダム建設に慎重な専門家が長期間議論した大阪府の河川整備委員会について、結論は出なかったものの問題点が整理されたことは貴重だ、という指摘もある。

 長崎県の石木ダム事業(川棚町)は、検討機関メンバーが県や佐世保市など関係自治体のみ。反対派住民の代表は「県は大阪府のようにダム慎重派も加えた徹底議論の手法を見習うべきだ」と訴える。

◆2011年2月21日 毎日新聞社説より転載
http://mainichi.jp/select/opinion/editorial/news/20110221k0000m070109000c.html

―着工ダム中止 治水行政に一石投じた―

 大阪府が本体着工後、工事を中断していた槙尾川ダム(和泉市)の建設中止を決めた。ダムに頼らない治水を目指し、河川改修などによる方法に切り替える。本体工事に着手したダムの建設中止は極めて異例だ。建設の是非を巡っては専門家の意見もまとまらなかったが、橋下徹知事の政治決断が「動き出したら止まらない」といわれた公共工事にストップをかけた。全国のダム行政に一石を投じるものだ。

 槙尾川ダムは82年の台風で浸水被害があったことから、府が事業主体となって09年9月に着工した。

 ところが着工後、政権交代で就任した前原誠司国土交通相がダム見直し方針を発表。それに呼応する形で橋下知事も「ダムは原則、建設したくない」といったんゴーサインを出した工事を中断し、ダム建設に慎重な専門家も加えた府河川整備委員会で建設の是非を検討してきた。

 他に安全を確保できる方法があるなら環境負荷の大きいダムは避けたいというのが知事の意向だ。さらに「府内の全域で100年に1度の大雨(時間雨量80ミリ)に対応する」という治水目標も見直した。

 従来の目標の実現には50年以上の年月と約1兆円の費用がかかり、現実的とはいえない。「30年に1度の大雨(同65ミリ)でも床上浸水をさせない」を目標とし、その代わり20~30年で実施することとした。

 こうした方針を受けて委員会が検討し、委員長は「ダムによらなくても治水は可能。コスト的なメリットもある」と河川改修による代替案を示した。だが、「議論が十分でない」などと異論が続出し、知事に最終判断が委ねられていた。

 地元首長の判断でダム計画がストップした例では淀川水系の大戸川ダム(大津市)などがある。だがこれは国交省近畿地方整備局の諮問機関・淀川水系流域委員会が「ダムの治水効果は限定的」とする意見書を出したことを根拠に、滋賀、京都、大阪、三重の地元4府県の知事が整備局に凍結を求めたものだ。

 今回は専門家の間でも意見集約できなかった問題を、知事の「政治判断」で政策変更した。方針転換への住民の反発も強い。河川改修には民家の移転も必要だが、理解を得られなければ工事が遅れる可能性がある。何よりも住民の命を守るために、綿密なプランを早急に示す必要がある。

 政権交代後、国交省は八ッ場ダム(群馬県)の中止を表明し、全国のダム計画の見直しも進めている。だが大臣の交代で八ッ場ダム中止の方針は棚上げされた。国の脱ダムが足踏みする中、橋下知事が治水行政でどのようなモデルを示していくのかを、注目して見守りたい。