八ッ場あしたの会は八ッ場ダムが抱える問題を伝えるNGOです

東日本大震災によるダムの被害

 国土交通省のホームページに「災害情報」として、大震災の被害状況の報告がアップされています。
 ↓
  http://www.mlit.go.jp/saigai/saigai_110311.html

 以下の29報の21~22ページに3月23日時点におけるダムの点検・被害状況についての報告が載っています。

 〈災害情報〉29報
  http://www.mlit.go.jp/common/000138512.pdf

 大震災発生の後、福島県須賀川市にある藤沼ダムが決壊し、下流で死者が出たことが報道されました。↓
 http://www.kahoku.co.jp/news/2011/03/20110312t63012.htm

  上記の国土交通省の「災害情報」によれば、藤沼ダム以外にも、ダム天端においてクラックが発生し、安全を確保するために水位を低下中であったり、原発避難指示圏内のため詳細把握ができていないダムがいくつかあるようです。

 藤沼ダムの決壊については、調査報告がホームページで公開されています。
 ↓
http://committees.jsce.or.jp/2011quake/system/files/nakamura_no1.pdf
 福島県内における被災状況調査速報(1)
 
 2011年3月14日(月) 調査者:梅村順,仙頭紀明(日本大学工学部)

 藤沼貯水池決壊(写真1~12)

 堤体が決壊し,5名死亡,3名が行方不明。堤体は高さ18.1mで大ダムにあたる。ダム はアースダムで均一型と思われる。決壊したアースダム堤体内部を見ると締固められた状況がよく観察できる。
 ダム湖左岸天端より破壊した堤体をみると堤内側にはらみだしているように見える。ダムの余水吐きは左岸側にそのまま残っている。
 決壊をまぬがれた箇所でも,盛土部分に変状が見られた。堤内側にははら見出し,すべ りがみられるものの堤外には変状は確認できない。湖畔の公園では護岸がダム湖に向かっ てはらみだしている。地震中に住民が撮影した映像が報道されていた。
 周辺の施設(三世代交流館)の盛土部にすべりが確認された。それにともない,建物が傾斜している。

◆2011年3月13日 河北新報ニュースより転載
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1062/20110313_62.htm

 -ダム決壊 5棟流出 福島・須賀川―
 福島県須賀川市にある農業かんがい用の藤沼ダムが11日、決壊した。流域の家屋5棟が流され、8人が行方不明に。12日午後3時までに4人の遺体が見つかった。
 決壊は地震直後だったという。泥流が流域の家屋や田畑を襲った。流されなかった住宅も流木に壁を打ち抜かれたり、泥流で家具が押し流されたりする被害に遭った。
 ダムの約1キロ下流に住む農業小川祐治さん(68)は「ガラガラガラと変な音がして自宅を出た。大木が一気に流れてきた。恐ろしかった」と振り返った。
 自宅の床上が泥水で浸水した無職男性(48)は「鉄砲水が来たので110番した。いくら巨大地震といってもダムが弱かったのでは」と話した。
 藤沼ダムは1949年完成した。えん堤は高さ18.5メートル、長さ110メートルで貯水量は150万立方メートル。土の堤の一部をコンクリートで補強していたという。(片桐大介)

◆2011年4月23日 毎日新聞より転載
http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20110423k0000m040150000c.html

 -東日本大震災:老朽ダム亀裂で決壊か 死者不明8人 福島―

 東日本大震災で決壊した福島県須賀川市の藤沼湖は、震度6弱近い揺れで、盛り土でできたダム(高さ約17.5メートル)に亀裂が生じ、決壊につながった可能性のあることが、福島大などの現地調査で分かった。高さ15メートルを超すダムが地震で決壊したのは、1854年の安政南海地震で満濃池(香川県)が破堤して以来とみられる。藤沼湖は1957年のダムの設計基準制定以前に建設されており、専門家は老朽化したダムを中心に耐震性を再点検する必要性があると指摘する。

 藤沼湖は貯水容量約150万トンのかんがい用ダム湖で、1949年に建設された。「アースフィルダム」と呼ばれる台形状に盛り土をしたダムで、地元の江花川沿岸土地改良区が管理する。3月11日の地震直後に決壊し、湖水がほぼすべて流出。下流で8人の死者・行方不明者が出た。

 調査した川越清樹・福島大准教授(流域環境システム)によると、湖北東部の堤の長さ約130メートルのダムがほぼ全域で決壊していた。川下に向けて右岸の土がすべて流出しており、右岸から決壊が始まったとみられるという。「下流の集落では地震が終わってすぐに水が流れて来たという証言がある。巨大地震の強く長い揺れで亀裂が入って水が噴き出し、ダムが負荷に耐えられなくなったのではないか」と指摘。同様に盛り土で造った近くの羽鳥ダムでも地震後に亀裂が見つかった。田植え前で湖水位が高かったことも要因の一つと考えられるという。

 多くのダム建設に携わった芝浦工大の岡本敏郎教授(地盤工学)は決壊のメカニズムについて「地震でダムの堤体に滑ろうとする力が加わり、高さが下がった。そこに亀裂が生じてさらに水圧への抵抗力が減り、決壊に至ったのではないか」と補足する。岡本教授は「今回の地震で設計時に想定した以上の地震に耐えたダムが多くあるのも事実だ。特に古いダムについては、通常の耐震性以外にも固有の弱点がないか、細かく早急に点検をすべきだ」と指摘する。

【八田浩輔】