2011年4月20日
昨日告示された長野原町議選は、立候補者数が定数と同数の10名であったため、無投票当選が決まりました。
八ッ場ダム予定地を抱える長野原町では、長年のダム計画により地域の活気が失われてきました。議会は地域の今後のあり方、予算の使い方を議論する場ですが、長野原町議会では昨秋、八ッ場あしたの会主催のシンポジウムに参加した議員をバッシングする動きが表面化し、「ダム推進」のみが声高に叫ばれる状況が続いています。
前回に続く無投票は、議論が停滞する長野原町の深刻な実態を反映するものです。今朝の上毛新聞では、「団結してダム建設を」というタイトルで、民主党が候補者を立てなかったことを批判的に報じています。確かに、八ッ場ダムの関連事業を受注している業者の関係者や、国交省現地事務所とつながりの深い町会議員にはこのような声があるのは事実ですが、実際には長野原町にはダム事業とは関係ない地域も多く、そうした地域ではダム計画にのみ振り回されていては長野原町の将来は危ういという声が年々高まっています。また、ダム推進派の主張とは異なり、水没予定地でもダム計画に批判的な声はよく聞かれます。
長野原町にはこれまで民主党の議員がいたことはありません。現職の議員も公明党の一人をのぞいて無所属を名乗っており、他の町村議会と同様、党派によって選挙を争う空気はありません。保守的な土地柄を反映して、自民党と近い関係の議員が多いのは事実ですが、町民の多くは地元の声を町議会に届け、身近な問題を解決する能力を議員に求めています。そうした意味からも、他の全国紙が問題視しているように、今回の町議選で八ッ場ダム計画の影響を最も受ける全水没予定地から一人も議員を出なかったことの方が地域にとって遥かに大きな問題です。
◆2011年4月21日 朝日新聞群馬版より転載
http://mytown.asahi.com/gunma/news.php?k_id=10000581104210001
ー川原湯地区議員、不在にー
国が建設を中止するか、続けるか検証中の八ツ場ダムの建設予定地がある長野原町の町議選は、候補者10人の無投票当選が決まった。ダム問題は争点にならず、数十年来ダムの議論をリードしてきた川原湯地区を地盤とする議員もいなくなった。
告示日の19日、小雨がそぼ降る川原湯地区は静まりかえっていた。昨年11月から「休業」に入った老舗(しにせ)旅館高田屋の取り壊し作業が終わり、隣の柏屋旅館も1年前から休業中。すぐ近くの共同浴場「王湯」前のポスター掲示場には、立候補を届け出た候補者の運動員が訪れては選挙ポスターを張っていた。だが候補者が訪れることはなく、10人分のポスターがそろってまもなく、選挙は終わった。
ダム建設で水没予定の川原畑、川原湯、林、横壁、長野原の5地区のうち、温泉街をもつ川原湯地区はかつてダム反対闘争の中核だった。1967~75年には反対期成同盟が推す候補者が同地区から2人当選。町議会で条件付き賛成派の議員と渡り合った。
8期32年務め、今回で引退した冨澤吉太郎さん(70)は、そんな反対派議員の系譜を継ぐ最後の議員だった。同盟の副委員長だった79年、初めて立候補した町議選でトップ当選した。
すでに74年に同盟の樋田富治郎委員長が町長に就任。78年にも再選されていたが、国や県、自民党の攻勢の前に80年前後から町自体が条件付き賛成へ傾いた。「議員になった時には、『絶対反対』から条件付きで賛成する流れになっていた。ダム受け入れが決まってからは、町議会でもダムは議論にならなくなった」と冨澤さん。結局、議員生活の大半はダム建設が前提になった。
町議会の定数は79年までは22だったが、その後削減を続け、前回選挙から10に。川原湯地区は、2001年に補償基準が決まってから500人以上いた人口の7割が流出した。
川原湯地区を地元とする議員は95年まで2人いたが、その後は冨澤さんが孤塁を守っていた。5回目の当選を決めた同年には「もっと若い人が出るなら次は出ない」と公言したが、後継者は現れなかった。
「いまはダムの議論よりも、自分たちの生活を守ることで誰もが精いっぱいだから……」と残念そうに話した。(菅野雄介、石田裕貴夫)
◆2011年4月20日 東京新聞群馬版より転載
http://www.tokyo-np.co.jp/article/gunma/20110420/CK2011042002000063.html
-町村長選・町村議選・村議補選告示 3町村で首長選火ぶた―
統一地方選の最後となる県内五町村長選と十三町村議選、榛東村議補選(被選挙数一)が十九日告示された。町村長選は、神流、嬬恋の両町村で無投票当選が決まり、吉岡、榛東、川場の三町村は激しい選挙戦に突入した。十三町村議選は、全体の定数一六六に対して計百八十七人が立候補を届け出たが、長野原町、高山村、中之条町六合選挙区が無投票となり、残る十一町村の百四十四議席を百六十五人で争う。いずれの選挙も二十四日に投開票される。
◆長野原町議選 無投票で「八ッ場」問えず
無投票となった町村議選のうち、長野原町議選(定数一〇)は、解決のめどが立たないままの八ッ場(やんば)ダム問題が争点となる可能性があった。だが、立候補者は定数と同じ十人にとどまり、有権者がダム建設の賛否などを意思表示する機会とはならなかった。
当選者の一人は、八ッ場ダム問題に対する地元の神経質な反応を示唆しながら「ほかにも大事な政策がある。今回はダムのことを公約に入れなかった」と話した。一方、ダム事業に疑問を示す町民男性は「下流域の水害防止効果が不透明で、建設予定地の土砂災害を誘発する可能性があるダムを本当に造っていいのか」と無投票を残念がった。
(中根政人)
◆2011年4月20日 読売新聞群馬版より転載
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/gunma/news/20110420-OYT8T00115.htm
-川原湯 議員消える現職勇退、ダム問題重要局面で―
2期連続で無投票当選だった長野原町議選。今回も掲示場に定数10を超すポスターが貼られることはなかった(19日午後、長野原町川原湯地区で)
2期連続の無投票に終わった長野原町議選。当初から予想された現職8人、新人2人の顔ぶれですんなり決まった。建設が宙に浮く八ッ場ダムは、建設の可否を判断する検証結果が今秋にも示される重要局面に入ってくるが、町民に最も身近な選挙は、またしても論戦なしに終わった。
ダムが完成すれば全戸が水没する、ダム問題の中心点・川原湯地区からは、現職町議が勇退した。新人などの立候補もなかったため同地区出身の町議はいなくなる。同地区の30歳代女性は「ダム問題でゴタゴタしている時、誰も出ないのは残念だ」と話す。
水没予定地では住民の転出が相次ぎ、人口は減り続けるばかりだ。立候補を思いとどまった水没地区の60歳代男性は読売新聞の取材に対し、「ダム問題も山場を迎え、無投票は好ましくないと思ったが、当選するには票が足りない計算だった」と悔しそうに話した。
一方、2期連続で無投票当選した星河由紀子さん(68)は「東日本大震災のように想定外の災害は起き得る。ダムの必要性は高くなったと思うので、ダムの利点を訴えていきたい」と抱負を語った。
◆2011年4月20日 上毛新聞より転載
-長野原町議選 「団結しダム建設を」 連続無投票 民主不戦敗続く―
八ッ場ダム問題に揺れる長野原町の町議選(定数10)は19日、立候補者が現職8人と新人2人の計10人にとどまり、2期連続の無投票当選が決まった。ダム建設推進派が圧倒的多数を占める議会構成は変わらず、当選者は「早期建設を」と声を強める。2009年の衆院選で八ッ場ダムの建設中止を政権公約に掲げた民主党だが、衆院選を含め町長選、県議選、町議選と不戦敗が続く。
民主は09年衆院選以降、ダム建設をめぐり世論が注目する中で行われた昨年春の長野原町長選も「推進」を強く訴える現職との対決を回避。先日の県議選吾妻郡区でも擁立を見送り自民の2議席独占を許した。
町議選もダム建設を争点化することなく終わった。「議員が一致団結して何としてもダムを建設させる」。19日に無投票当選を決めた議員は、語気を強めた。
水没関係地区では、川原湯温泉を抱える川原湯地区のベテラン現職が引退し、同地区の議員はいなくなったものの、長野原、林の両地区はそれぞれ1人の現職が続投を決めた。その他地区の新人2人も「ダム推進の立場」と語っており、推進派が多数の状況が続くとみられる。
八ッ場ダムは09年9月の政権交代直後、当時の前原誠司国土交通相が本体工事中止を表明。地元や本県など6都県が強く反発し、全国的な議論に発展した。馬淵澄夫前国交相が中止前提方針を撤回し、ダム本体の必要性を予断なく検証すると表明。現在は国交省が検証作業を進めている。大畠章宏国交相は今年秋までに本体建設の是非について結論を出す方針を示している。
◆2011年4月14日 読売新聞より転載
http://www.yomiuri.co.jp/election/local/2011/news1/20110414-OYT1T00823.htm?from=y10
19日告示、24日投開票の群馬県長野原町議選(定数10)で、建設か中止かで揺れる八ッ場ダムの水没予定地・川原湯地区の町議がいなくなる可能性が出ている。
唯一の現職は引退する考えで、ほかに手は挙がらない。ダム問題の影響で町内外への転出が相次ぎ、地区の人口は減少。川原湯温泉も客足は落ち、「選挙どころでない」との声も漏れる。ほかの地区の動きも低調で、2期連続無投票との見方もある。
「これまでも『辞める』と言って3回もやった。70歳も超え、もう出ない」。川原湯地区に住み、当選8回と議会最古参の冨沢吉太郎町議(70)は明言する。
冨沢町議が初当選した1979年の定数は22人で、川原湯地区からは2人が当選した。「その前は3人もいたが、今はちょっと無理」という。
現在の町議の行政区別の内訳は、川原湯と林、長野原、大津が各1人。北軽井沢と横壁、応桑が各2人。
町の人口6270人(3月末)のうち、“大票田”の応桑や北軽井沢はそれぞれ1109人、1608人もいるが、川原湯はわずか161人。約30年前と比べ、約460人も減った。2001年に水没予定地の単価が決定し、借地の住民らが分譲価格が高額な代替地を避けて町内外に転出するなどしたためだ。
ダム推進派の町民は「ダムを一番必要としている川原湯から議員がいなくなると、ダム問題への関心が薄れるのではないか」と心配する。川原湯温泉の関係者は「ただでさえ、客足が落ちているのに、東日本大震災でキャンセルも相次いだ。自分の頭の上のハエも追い払えないのに、議員の仕事をする余裕のある人はいない」と話す。
同町議選を巡っては、冨沢町議ら2人が勇退の予定。3月23日の立候補予定者説明会に集まったのは、現職8、新人3の計11陣営。しかし、新人の1人は読売新聞の取材に「今回は出ない方向」と語り、2期連続の無投票もあり得る。
こうした現状を、別の地区の町議は「議員の仕事に魅力が感じられないからではないか」と分析する。同町議の月額報酬は16万円。「報酬だけで生活はできないから、若い人にはなり手がいない」と指摘。「選挙をしないと、議員の責任や重みが薄れてしまう気がする」と、複雑な心境を語る。(佐賀秀玄)
◆2011年4月13日 朝日新聞群馬版より転載
http://mytown.asahi.com/gunma/news.php?k_id=10000721104130002
【市町村議会から】 【2】対決なき首長と議会
議会と行政は「車の両輪」と言われる。行政を監視し、住民の目線で政策立案するのが議会だ。市町村議会は本来の役割を果たしているだろうか。
八ツ場ダムの地元、長野原町。牧山明町議(53)は昨年11月、ダム見直しを掲げた市民団体の集会に2年続けて参加した。
昨年12月の町議会で、総務文教常任委員長を務める牧山氏に対する不信任決議が可決された。
「町民の99%はダムの早期完成を求めている。町民に選ばれた議員の一人として、反対派の集会に出るのは許せない」。決議の動議提出に動いた町議は取材にそう説明した。
決議には拘束力がないため牧山氏は委員長職にとどまっている。だが3月の町議会では、同僚に委員会のボイコットを示唆され、議事進行を副委員長に任せざるをえなかった。
牧山氏は市民団体の集会で、水没予定地住民の生活再建の遅れや、ダム湖周辺の地質不安など町の苦境を訴えていた。
「町がやらなければ、議会が将来に不安のある課題を議論すべきなのに、してこなかった。ただ推進と言っているだけでは、住民の暮らしは守れない」 以下略