八ッ場あしたの会は八ッ場ダムが抱える問題を伝えるNGOです

十字架状の橋、開通

 2009年の政権交代当時、テレビ画面でさかんに取り上げられた「十字架状の橋」がようやく開通したとのニュースが流れています。
 正式名称を「不動大橋」といい、八ッ場ダム湖に計画された四本の湖面橋のうち、下流から二番目に当たることから、当時は「湖面2号橋」と呼ばれました。2009年の暮れには、工事を急ぐ現場で痛ましい死亡事故も発生しましたが、その頃には世間の関心はすっかり薄れ、八ッ場ダムにまつわる多くの問題と同様、注目されることなく月日がたちました。
 「不動大橋」は「付け替え県道」の一部です。八ッ場ダム事業を推進してきた国土交通省は、橋や道路の建設をもって事業の進捗や地元への貢献をアピールしたいようです。けれども巨大な土木構造物の陰には多くの問題が山積し、利権構造を守る「生活再建事業」が続けられても水没予定地の「生活再建」に程遠いのが実態です。

 「付け替え県道」はその名の通り、「県道」を「付け替え」る道路です。「県道」とは、八ッ場ダムの水没予定地にある川原湯温泉街の坂道、「川原湯川原湯停車場線」です。かつて地域で最も活気のあった川原湯温泉のダム反対運動を鎮めるために計画された「付け替え県道」は、「八ッ場ダムの計画図」を見ると、ダム湖畔はもとより、下流側の東吾妻町に及ぶ全長12,4キロというスケールの大きさで、対岸の「付け替え国道」と「不動大橋」で繋がる計画です。↓
https://yamba-net.org/images/gaiyou/yamba_map.jpg
 「八ッ場ダムの計画図」

 ところが、工事は各所で難航し、当初は1990年代に完成するはずだった川原湯温泉の代替地も、代替地のメインロードとなるはずの付け替え県道も、いまだに未完成です。特に、下流側の吾妻渓谷入り口付近での工事の難航は、首都圏からの観光客のアクセスにとっては致命的です。
 現在の川原湯温泉は、国道が温泉街入り口の脇を通り、交通至便な一等地にあるのが強味でした。国道が対岸へ行ってしまい、上流の草津温泉への往還に川原湯温泉に立ち寄っていた観光客の多くは、昨秋、暫定開通した付け替え国道のルートを通るようになりました。一方、下流の東吾妻町では、八ッ場ダム事業により公共温泉施設「吾妻峡 天狗の湯」を開設しました。↓
http://www1.town.higashiagatsuma.gunma.jp/www/contents/1271225561594/index.html

 八ッ場ダム事業が長い歳月にわたって川原湯温泉の人々に強いてきた犠牲は、ダム計画の非人間性を無言で語っているようです。

 各紙群馬版には、「不動大橋」開通の関連記事が掲載されています。
 毎日新聞によれば、開通式では群馬県知事による「(ダムの)水力発電の重要性も再認識されていいはずだ」とのメッセージが読み上げられたとのことです。八ッ場ダム計画は既設の水力発電所が生み出してきた発電量を大幅に減少させ、新たに生み出す発電量はそれよりはるかに少ないという矛盾に満ちたものです。
 これまでも泥沼のダム計画を国と共に推進してきた関係都県知事らは、八ッ場ダム計画の実態を再認識する必要があるのではないでしょうか。知事が国策の言いなりになれば、地域が犠牲になるのは、ダムも原発も同じです。

◆2011年4月26日 朝日新聞群馬版 
 http://mytown.asahi.com/gunma/news.php?k_id=10000581104260001

 -湖面2号橋が開通―

 八ツ場ダム(長野原町)の水没予定地に架かる湖面2号橋(不動大橋)が25日開通した。民主党政権がダム中止を表明した2009年、新聞やテレビで工事中の十字架のような姿がたびたび報じられ、八ツ場ダムの象徴になっていた。

 全長は590メートルで、高さ86メートル。同町長野原~東吾妻町三島の県道約8・4キロが通行可能になった。ただ、長野原町川原湯地区の一部区間が未買収で町道を暫定的に利用するため、道が狭く大型車は通行できない。地元からは「観光バスが通れないのでは意味がない」と不満が出ている。

 この日午前、茂原璋男副知事や高山欣也町長らが出席して橋上での開通式が始まると突然強い風雨に襲われ、テープカットは中止に。出席した住民らは冗談交じりに「八ツ場の歴史を象徴するような荒れ模様だ」などと言い合った。

(写真)開通した湖面2号橋。橋上の県道を走る軽乗用車が小さく見える=長野原町

(写真)湖面2号橋の開通式は強い風雨に襲われ、テープカットもせずに20分弱で切り上げた=長野原町

◆2011年4月26日 毎日新聞群馬版 
http://mainichi.jp/area/gunma/news/20110426ddlk10010304000c.html

 ー八ッ場ダム・流転の行方:水没前提の「不動大橋」開通 町長「一つの節目」 /群馬ー

 八ッ場ダム(長野原町)の建設予定地で25日、水没を前提にした「不動大橋」(湖面2号橋)が完成し、開通式が行われた。橋は10年度中の完成を予定していたが、東日本大震災の発生で舗装工事に使う資材の輸送が滞り、延期されていた。

 橋は09年の民主党政権発足時、橋脚と橋げたが十字架のようにそびえ立ち、「政権交代の象徴」として観光名所になった。開通式には地元住民40人が参加。高山欣也町長はあいさつで「橋の開通はうれしいが、東日本大震災の影響で、ダムの議論は進んでいないように思える」と述べ、「話題の橋の開通は一つの節目。一日も早いダム建設を期待している」と話した。

 一方、大澤正明知事の代理で出席した茂原璋男副知事は「大震災の発生で、災害は想定外という一言で済ませられないと認識した。治水と共に(ダムの)水力発電の重要性も再認識されていいはずだ」との知事のメッセージを代読した。

 国土交通省八ッ場ダム工事事務所によると、橋は07年7月に着工し、全長590メートル、高さ86メートル。ダムが建設された場合、ダム湖で両岸に分断される水没地区住民の移転代替地を結ぶ生活再建道路として工事が進められた。

 前原誠司元国土交通相が09年9月にダム建設の中止を表明後、橋近くにある国のPR施設「やんば館」の来館者数が同11月に過去最高の2万9820人を記録するなど、観光スポットとして多くの人が足を運んだ。【鳥井真平】

◆2011年4月25日 産経新聞群馬版
http://sankei.jp.msn.com/region/news/110425/gnm11042511380005-n1.htm

 -「十字架」の橋で開通式 群馬・八ツ場ダム―

 八ツ場ダム(群馬県長野原町)の生活再建事業の一つで、建設中の橋脚が大きな十字架のように見えると話題になった不動大橋(湖面2号橋)の開通式が25日午前、橋上で行われた。

 式には長野原町の高山欣也町長や同県の茂原璋男副知事らが出席。橋は午後、供用開始になる。

 不動大橋は、水没予定地域の中央部に架かる約590メートルの橋で、湖底に沈む国道を代替する県道の一部として整備。平成21年9月の前原誠司国土交通相=当時=によるダム事業中止表明後、建設中の橋脚が事業の象徴として、新聞などで頻繁に取り上げられた。

 22年度中の完成を目指していたが、東日本大震災の影響で4月にずれ込んだ。

(写真)八ツ場ダムの建設予定地で、建設中の橋脚が大きな十字架に見えると話題になった不動大橋=25日午前、群馬県長野原町