紀伊水害の検証

 関西のニュースでは、今夏の「紀伊水害」の実態を踏まえた検証記事が発信されています。八ッ場ダムの検証を考える上で参考になると思われますのでお伝えします。

◆2011年10月1日 読売新聞関西版 
http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20111001-OYO1T00257.htm

 -検証「紀伊水害」(上)届かない警鐘ー

 町長みずから「避難を」…和歌山県日高川町

 紀伊半島に台風12号の雨が降り続けて6日目を迎えた9月4日午前3時前、和歌山県日高川町(人口約1万人)のほぼ全世帯に設置されたスピーカーに玉置俊久町長(61)の声が響いた。

 「増水で、堤防を水が越えた模様です。高台に避難してください」。異例のトップ自らの緊急放送だった。

 町が出した避難勧告は27か所に上っていた。山火事用サイレンまで鳴らして危険を訴えた。日高川上流にある椿山(つばやま)ダムの放流量が平常時の100倍以上に急増。氾濫の危険が高まった。

 勧告地域を回る職員からの連絡は途絶え、避難状況がわからない。自宅に残る住民がまだいるかもしれない。町幹部らは「やり方を変えないと、住民にわかってもらえない」と頭を抱えた。町長が防災無線のマイクを握ったのはその時だ。

 「町長の声を聞いて、大変だと思った」。自宅で放送を聞いた同町の主婦北畠さゆみさん(59)は近くの集会所に逃げた。

 川が氾濫し、町の死者・行方不明者は4人に上る。

 玉置町長は言う。「100%正しい対応だったのか。どれだけ危険かを住民に伝えるのは難しい」

 避難勧告後も「6割は自宅に」…内閣府調査

 災害の度に、「届かない警鐘」が問題になってきた。

 昨夏の豪雨で全住民10万人に避難勧告を出した岐阜県可児(かに)市。内閣府の調査では、勧告を知った住民の6割が避難せずに自宅にとどまった。

 理由は「自分が被害を受けるとは思わなかった」が4割で最も多く、「勧告が出た場合、避難が必要と知らなかった」も1割。危険情報を聞いても、避難行動に結びつくとは限らない。

 「気温35度は暑い、とすぐに伝わるが、雨量何ミリではわからない。『過去30年で最大の雨量』という具体的なメッセージが必要だ」と、静岡大防災総合センターの牛山素行准教授(災害情報学)は指摘する。

 行政から住民に伝える危険情報だけでなく、行政が被災地から集める被害情報もしばしば途絶する。

 37億円の情報システム役立たず

 和歌山県が37億円を投じて導入した「総合防災情報システム」。高速データ通信ができる光ファイバーと、災害に強い衛星回線を組み合わせた通信網で県と市町村を結ぶ。市町村が被害情報を端末に入力すれば、即時に県庁と共有できる。

 台風12号で光ファイバーは寸断されたが、衛星回線は生き残った。しかし、県庁には被害情報が十分に届かなかった。被災した市町村は情報を入力する人手が足りなくなったからだ。

 県は情報を集めるため、新宮市役所の専用電話を鳴らし続けたが、3日はほとんど誰も出なかった。午後9時ごろ、市役所に出向いた県職員は「市職員は受話器を握って住民対応の電話に追われていた」と振り返る。市は救援や避難誘導に追われ、情報をとりまとめる余裕すらなかった。

 「情報が届くのを待つのではなく、自分たちで取りに行くしかない」と、県総合防災課の担当者は言う。

 被害が大きいほど、実態把握や情報伝達は難しい。東日本大震災や阪神大震災でも指摘された課題だ。

 東洋大の中村功教授(災害情報論)は「情報システムを整備したからといって、情報を伝える力が上がるわけではない。組織間の人材交流などを通じて、日ごろからシステムを活用できる態勢作りが必要だ」と話す。(平井久之、羽尻拓史)

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 台風12号の上陸から3日で1か月。死者・行方不明者が94人に上る「紀伊水害」を検証する。

◆2011年10月2日 読売新聞関西版
http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20111002-OYO1T00103.htm?from=newslist

 -検証・紀伊水害(中) 被災の記憶、継承途絶えー

 奈良県十津川村から1200キロ。台風12号は、「もうひとつの十津川村」にも襲いかかった。

 北海道新十津川町。9月3日朝、前線と相まって、今年最多の積算雨量144ミリを記録。護岸の崩落や道路破損が約40か所に上った。後木(うしろぎ)元一(もとかず)さん(86)は自宅近くで増水する石狩川に気をもみながら、別のテレビニュースを見つめていた。

 崩壊した山の土砂が民家を押し流した奈良県十津川村の被災現場。「あの水害もこんなにひどかったのか」。村出身の祖父から何度も体験談を聞かされた1889年(明治22年)の「十津川水害」と重なった。

 記録では、1000か所以上の土砂崩れが起こり、川をせきとめた土砂崩れダムが次々に決壊。168人が犠牲になった。人口の2割にあたる村民約2500人が北海道に渡り、開拓したのが新十津川町だ。後木さんの祖父はその移民1世。水害は町の出発点として語り継がれ、住民らは今も十津川村を「母村(ぼそん)」と呼ぶ。

 〈山また山は鳴り響き 川また川は水あふれ……〉

 後木さんらは約20年前、明治から伝わる歌の碑を町内に建てた。「歌は、水害の恐ろしさを忘れるなと作られた。母村では忘れた頃に災害が来てしまったのか」

 母村の南部に周囲4キロの湖がある。大畑ドロ、と呼ばれる。十津川水害の土砂崩れダムのうち、唯一現存する「証人」だ。長年、水位が安定し、生活水源として利用されてきた。今回、あふれた水が土砂を押し流した。

 近くに住む松井艶子さん(84)は「物心ついた時から生活の一部。大畑ドロの水が山を削るなんて」と驚く。

 十津川水害で増水した水位を示す「警戒碑」が明治期に約60基作られたと伝わる。大半は散逸し、わずか5基が残る。約20年前まで警戒碑があった熊野川河川敷は今回の水害で浸水し、橋が真っ二つに折れた。

 「多くの被災者が北海道に移住し、村には災害の経験が十分に受け継がれなかったのでは」と、水害の記録を調べた村教育委員の松実豊繁さん(70)は話す。

 災害の伝承は防災意識を高め、次への備えにつながる。過去の歴史災害を防災にどう生かすか。東日本大震災を検証する中央防災会議の専門調査会は9月28日、「過去にさかのぼって調査し、あらゆる地震・津波の発生可能性を検討するべきだ」とする提言をまとめた。

 平安時代、三陸沖で発生した貞観地震は、東日本大震災並みの巨大津波を引き起こしていた。しかし、津波被害の予測では検討の対象外とされ、「想定外」の被害を招いた反省がある。

 委員の古村孝志・東京大地震研究所教授(地震学)は「考古学、歴史学とともに歴史を解明し、『想定外』をなくす」と力説する。

 災害列島を生きた先人たちは風化にあらがい、災害の記憶を伝え残してきた。大地に残る痕跡もある。

 立命館大歴史都市防災研究センターの北原糸子教授(災害史)は訴える。「世紀を超えて人々の心に響くメッセージを残すことこそが防災の力になる」(稲垣収一、羽尻拓史)

◆2011年10月3日 読売新聞関西版 
http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20111003-OYO1T00246.htm?from=main1

 -検証・紀伊水害(下) 過疎の村、復興へ新集落ー

 標高1000メートルを超える紀伊山地。台風12号豪雨で大規模崩落した土砂が川をせきとめた「土砂崩れダム」が、人口500人余りの小さな村をおびやかす。

 「なんで5年もかかるんだ」。奈良県野迫川村役場で9月23日、村と国土交通省近畿地方整備局が開いた会議で、角谷喜一郎村長(54)が語気を強めた。

 国交省がダムの安全対策に示した期間は「5年」。村はダム下流の集落を警戒区域に指定し、住民の立ち入りを禁止している。対象者87人のうち、地域にとどまっているのは半数。集落が消えかねない。角谷村長は「どうすれば、流出を止められるのか」と心配する。

 奈良、和歌山両県にできた土砂崩れダム5か所に決壊の恐れが迫る。奈良県十津川村では東京ドーム6杯分の水がたまり、戦後最大規模とされる。決壊した場合、野迫川村では土石流が800メートル下流までのみ込む。国交省は9月半ば、ダムに排水路を設ける緊急工事に着手。道路は寸断され、ヘリで機材を空輸した。

 土砂崩れダムが相次いだ新潟県中越地震(2004年)、岩手・宮城内陸地震(08年)では、対策工事に2年以上かかった。地方整備局の担当者は「規模や地形の険しさを考えると、これまで以上に困難な工事になる」と話す。

 紀伊水害の被災地は、過疎と高齢化で活力が衰えた中山間地域が多い。死者・行方不明者が出た両県9市町村のうち7市町村は国が指定した過疎地域。高齢者が半数を超える「限界集落」が散在する。

 9月26日夜、東京・霞が関の国土交通省大臣室。荒井正吾奈良県知事(66)は、被災地をとらえた1メートル四方の航空写真を前田国交相の前に広げた。「災害に強い、新しい集落形成を目指します。百年の大計になります」

 復興に向けて知事が打ち出した「ミニ新十津川」構想。被災地内に介護や医療の施設を集積した新集落を作り、被災した高齢者らが移住する。1889年の十津川水害で十津川村から約2500人が北海道に移住し、新十津川町を作った歴史になぞらえて命名した。

 「反対する人がいれば、説得したい」(更(さら)谷(たに)慈(よし)■(き)十津川村長)と被災自治体は積極的に受け止め、国交相も集団移転や移転先の基盤整備に国の補助制度を活用するよう後押しした。

 荒井知事の念頭にあるのは、新潟県中越地震で全村民2200人が村外避難した旧山古志村だ。村を合併した長岡市は、土砂崩れダムで水没した2集落約50世帯の受け皿として、旧村内に新たな宅地2か所を造成、公営住宅を整備した「ミニ新山古志村」を建設した。

 「地震は山間地の過疎、高齢化に拍車をかけた」と、中越地震を調査研究する中越防災安全推進機構の諸橋和行・地域防災力センター長は指摘する。

 旧村の人口は今年9月、震災前の6割に、特に被害が大きかった6集落では4割に縮小した。現在、住民らは新たな特産品づくりや観光資源を生かした活性化に挑む。諸橋センター長は「中山間地域の復興には、外から人が訪れ、一緒に地域づくりができるしくみが欠かせない」と訴える。

 国土の7割を占める中山間地域で、災害復興にどう取り組むか。山古志から紀伊水害へ、挑戦が続く。(稲垣収一、佃拓幸)