2012年1月11日
今朝の上毛新聞一面トップの記事と、記事についてのコメントをお伝えします。
◆2012年1月11日 上毛新聞
http://www.jomo-news.co.jp/news/a/2012/01/11/news01.htm
-「八ツ場」代替地に滞在型農園 長野原・川原畑 -
八ツ場ダム建設で水没する長野原町川原畑地区の住民でつくる「川原畑八ツ場ダム現地再建対策委員会」(野口貞夫委員長)は10日までに、高台の代替地に滞在型市民農園「クラインガルテン」を生活再建事業として整備する町の基本構想を了承した。ダム問題で人口が激減した同地区に都市住民を呼び込み、にぎわいにつなげる。財源は下流都県が負担する利根川・荒川水源地域対策基金。下流都県の了承を得られれば、町が2012年度の設計、13年度の着工を目指す。
ダム問題の長期化により、川原畑地区の人口はこの10年間で4分の1の60人(昨年11月末現在)に激減。町と住民で地域振興策を協議し、都市農村交流を地域づくりに生かす構想が持ち上がった。10年9月には住民らが長野県佐久市の先進事例を視察した。
クラインガルテンは、都市住民らが小面積の農地で野菜や花を栽培する市民農園。ラウベと呼ばれる簡易宿泊施設を備えた滞在型が人気で、利用者は宿泊しながら農業やガーデニング、地域との交流を楽しめる。田舎暮らしに憧れたり、スローライフを志向し、定年退職後の楽しみとして利用する人が増加。別荘やセカンドハウス感覚で借りる人もいる。
構想によるとクラインガルテンの予定地は、建設中の湖面1号橋のたもとで、国道145号付け替え道路(八ツ場バイパス)のすぐ脇。敷地面積は約3千平方メートル。農園9区画を整備し、それぞれラウベや駐車場を設ける。共有スペースに農機具倉庫や外来用駐車場も整備する。ラウベは、バスやトイレ、キッチンなどを備えた1~2LDKを想定している。
具体的な運営方法はこれから決める。町によると近隣の同様の施設は、1年契約で最長5年更新、利用料は年間30~60万円程度が一般的という。
水没5地区はそれぞれ、移転後の地域振興策を検討しているが、ダム事業の遅れやそれに伴う人口流出で内容が定まらなかったり、具体化が遅れている。目玉と位置づけられる地域振興施設事業が固まったのは、来春を予定している林地区の道の駅に次いで川原畑が2例目。
~~~転載終わり~~~
記事のタイトルを見ると、地元住民の生活再建に明るい未来があるように受け取れます。しかし、記事で取り上げられているクラインガルテン(都市住民向けの滞在型農園)の予定地は、大きな沢を埋め立てた盛土造成地です。
川原畑地区は川原湯地区と同様、八ッ場ダムの全水没予定地です。上流側の一部水没予定地区と違い、全水没予定地では人工的に山を切り崩し、沢を埋め立てなければ、地区内での移転地は入手できません。このため、全水没予定地における生活再建は、国交省や群馬県が描く「絵に描いた餅」とは異なり、悪条件の中での生活再建を強いられているというのが実情です。
川原畑地区のクラインガルテン予定地も同様です。この場所は、JR吾妻線の現在の「川原湯温泉駅」の対岸になります。穴山沢という大きな沢を埋め立て、砂防ダムを築き、流路工を沢水が流れるように造られています。
砂防工学の専門家らは、沢の大きさにくらべて流路工が小さいことの危険性を指摘してきました。ふだんはわずかな流量であっても、沢が大きいということは大水が出た時、大量の土砂と水がこの穴山沢を流れ下ってきたことを示しています。大水の時には、水や土砂だけでなく、岩や木の根も流れることがあるでしょう。昨年8月の大雨では、川原湯地区の代替地の流路工から水があふれ、土砂流出事故が発生しています。
クラインガルテンはドイツから取り入れられた観光業の一つで、群馬県の隣県の長野県では、ドイツによく似た気候風土を利用した滞在型農園が都市住民を呼び込むことに成功しています。↓
http://www.mtlabs.co.jp/shinshu/agri/kurain.htm
クラインガルテン成功の鍵は、都市住民のニーズに応えることです。川原畑地区の予定地は、安全性に問題がある上、交通量の多い国道の脇という立地です。国道の向こうには、墓地があります。地元はダム湖観光に期待しているとされていますが、ダム湖は都市住民にとって魅力のあるものではありません。まして、八ッ場ダムは水質がきわめて悪くなることが予想されています。
クラインガルテン予定地の脇を通っている国道は、上信道の一部とされます。上信道建設に当たって行政職員は、八ッ場ダムへのアクセスを高める道路という説明をしているようです。しかしながら、いかに観光用道路が整備されても、川原畑のクラインガルテンは立地条件、景観、周辺環境を考えた時、群馬県や下流都県がよほど広報費を投じ続けないと集客は難しいと考えざるをえません。
かつて川原畑地区の有力者は、対岸の川原湯地区が観光業で栄えていることを羨み、ダム事業による地域振興によって農村地帯の川原畑の小さな集落も観光業で栄えることを願ってダム計画に賛成したといわれます。それから40年以上が経過してしまいました。
前田大臣の「八ッ場ダム建設再開」表明を伝えた産経新聞の12月23日の記事には、「今年1年、記者が現地を訪れるたびに、住民から「暗い話題ばかりではなく、将来へ向けた記事を書いてほしい」と求められた。地元住民が将来に向かって前進できる日が来ることを願ってやまない」とありました。
今朝の上毛新聞の記事も、そのような趣旨で書かれたのでしょうか。2000年代初頭、紙面には川原湯の代替地での温泉街の再建構想が、1000人収容の観光会館の未来図などと共に報じられていました。とうに完成しているはずの新川原湯温泉は、いまだに代替地の造成すら未完成です。観光会館などのバブルな構想もみな雲散霧消しました。
「将来へ向けた記事」とは、厳しい現実から目をそらすためのものではないはずです。