八ッ場ダムの建設再開決定から半年

 前田武志前国交大臣が八ッ場ダム事業の継続を公表した昨年12月22日から半年が経ちました。
 朝日新聞、毎日新聞が全国版で八ッ場ダム問題の現状とダム水没予定地、川原湯温泉の様子を伝える記事を相次いで掲載しています。いずれも、前大臣の継続決定にもかかわらず、八ッ場ダム事業は今も本体未着工であり、現地は政権交代前と同じく、ダム計画に翻弄され、衰退の一途を辿る中で住民が自ら生活再建を目指している状況を伝えています。
 一方、八ッ場ダム事業推進の立場から報道している読売新聞では群馬版で、代替地への旅館移転を明るい視点で伝えています。
 以下、転載します。

◆朝日新聞社会面 2012年6月22日
http://www.asahi.com/national/intro/TKY201206210635.html?id1=2&id2=cabcagcc

 ー八ッ場 何も変わらず ダム建設再開半年 生活再建の約束守ってー

 八ッ場ダム(群馬県長野原町)の建設再開を政府が決めて、22日で半年を迎える。「政権交代の象徴」から一転、「マニフェスト破りの象徴」になり、責任者の国土交通相は民主党政権で、すでに5人目だ。大きな変化のない地元では、住民たちからいらだちや憤りの声が上がる。

 ダム湖に沈む予定の川原湯温泉で飲食店「旬」を営む水出耕一さん(57)は今春から働きに出た。町の給食センターで午前は調理、午後は福島県の原発事故による食材の放射線量調査をする。店の営業は給食がない土日だけにした。温泉街で平日昼間に営業している飲食店がなくなった。

 「旬」は1985年の開店。当時は旅館が20軒以上あり、飲食店も18軒あった。30年以上続いた賛否両派の対立の末、町がダム建設を軸とした生活再建を受け入れた時期だった。当初は売り上げも順調だったが、バブル崩壊後、動かぬダム問題に業を煮やした旅館主らが次々と廃業。「旬」の経営も苦しくなった。

 2009年にダム本体工事が止まり、八ッ場は全国的に話題になった。東京などから観光客が押し寄せたが、「客が増えたのは一瞬だった」と水出さんは振り返る。

 温泉街に残る旅館は5軒だけになった。昨年の12月22日に民主党政権がダムの建設再開を表明。移転代替地でも店を開こうという気持ちになった。だが、それから半年。ダム問題で大きな見える動きはなく、地域の衰退も止まらない。「国は『ダムを造る代わりに、地元住民の生活再建はちゃんとやる」と言ってきたが、約束は守られていない」

 その12月22日、旅館「山木館」を営む樋田洋二さん(65)は現地入りした民主党政権4代目の国土交通相、前田武志氏を迎えた。前田氏と、ダム賛成派の住民代表は万歳三唱をした。

 だが、その前田氏も問責決議を受け、今月4日の内閣改造で政権を去った。この半年、宿泊客はどんどん減っている。今月26日には、長年の懸案だった温泉施設が高台の移転代替地にできる。だが、ダムの完成時期は不透明のまま。何軒の旅館が今後も営業を続けるかわからない。
 「人の心をもてあそぶのも、いい加減にしてもらいたい」  (小林誠一)

◆毎日新聞社会面 2012年 6月22日 22時19分配信
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120622-00000091-mai-soci

 <八ッ場ダム>着工の道筋つかず 再開決定半年

 政府が八ッ場ダム(群馬県長野原町)の建設再開を決めてから22日で半年になったが、本体工事着工に向けた道筋は立っていない。

 この間、国土交通相だった前田武志氏が問責決議を受け、関連法案の国会審議がストップ。ダム推進、反対両派から「半年前の再開決定は何だったのか」との声が上がる。

 紆余(うよ)曲折の議論を経て政府が八ッ場ダム建設再開を決めたのは昨年12月22日。予算執行の2条件として政府は(1)利根川水系の河川整備計画の策定(2)ダム建設が中止された地域に対する生活再建支援法案の国会提出--を示した。

 しかし河川整備計画策定を巡り、民主党内の反対派がダムに批判的な有識者を議論の場に加えるよう求め、国交省は人選に手間取っている。

 有識者名や意見聴取のスキームなどはいまだに公表されていない。また4月の岐阜県下呂市長選で、立候補予定者の支援を地元建設業協会幹部に要請した前田国交相(当時)の署名入り文書の存在が発覚。ダム建設再開を進めた前田氏は6月4日の内閣改造で交代した。

 「半年前、前田氏を万歳三唱で迎えたのに何も進んでいない。住民はどう生活再建をすればいいのか」。長野原町の水没予定地区の住民代表でつくる連合対策委員会の萩原昭朗委員長はあきらめ顔で話す。

 同委員会は今月15日、国交省職員を交えた会合を開き、萩原委員長が「なるべく早く建設できるようお願いする」と職員に詰め寄る場面もあった。

 一方、ダム反対派も矛を収めていない。市民団体「STOP八ッ場ダム・市民ネット」(鈴木郁子代表)は長野原町で5月、熊本県の川辺川ダム建設を中止に追い込んだ市民団体代表を招いて座談会を開催。

 今月18日には1都5県の市民でつくる「利根川流域市民委員会」(嶋津暉之共同代表)が「未曽有の洪水が来た時、ダムは満杯になって洪水調整機能を失う」などの主張をまとめた文書を国交省に提出した。

 水没予定地区の自営業の男性は「消費増税を進める一方、八ッ場のような公共事業を止めないのは道理が通らない。もう一度ダム中止を考えてほしい」と話す。

 「ダムだけで観光振興はできない」と、独自にまちづくりに取り組む機運も高まっている。水没予定地で農業を営む篠原茂さん(61)はホタルやムササビなどが生息する豊かな自然や地元の祭りを紹介するツアーを企画。

 「住民の移転が進んで地域は寂れたが、国に頼ってダムの完成を待っても仕方ない。腰を上げて動かねばならない」と語る。【樋岡徹也、奥山はるな】

◆2012年6月23日 読売新聞群馬版
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/gunma/news/20120622-OYT8T01555.htm

 -八ッ場予定地の川原湯 代替地へ旅館移転の動きー

 八ッ場ダム(長野原町)の建設継続を国が決めて22日で半年を迎え、水没予定地の川原湯温泉では、旅館が約30メートル高台の代替地に移転する動きが出始めている。

 第1号は、約60年の歴史を持つ「やまた旅館」。既に地鎮祭を終え、来月には新築工事に入り、年明けからの営業再開を目指す。今月26日には、源泉から代替地まで湯を運ぶ配湯施設が完成する。

 代替地で営業を希望する旅館は、休業中も含め10軒程度あるといい、今後、移転が進みそうだ。

 源頼朝が狩りの際、発見したと伝えられる川原湯温泉は、最盛期の1970~80年代の頃には22軒の旅館があった。しかし、ダム建設問題で揺れる中、廃業や休業が相次ぎ、今は、わずか5軒となった。

 戦後間もなく開業したやまた旅館は、その一つ。父親の後を継いだ豊田拓司さん(60)は、緑豊かな川原湯で山菜やキノコ採りなど山遊びをしながら育った。

 中学生の時、ダム問題が再浮上し、町は賛否で割れた。「反対、賛成で色分けし、違う家の子とは遊べなかった」と振り返る。旅館を始めた父親は故郷が水に沈むことに絶対反対だったが、豊田さんは大勢を占めるようになった「条件付き賛成派」と協調姿勢を取り、「父とは死ぬまで和解できなかった」という。

 民主党政権になった2009年夏、突然の中止表明。昨年末、前田国交相(当時)は建設継続を決めたが、先行き不透明な政治に翻弄され続けてきた。

 「政治の話はもう関係ない。自分で生活を作っていく」と、今年5月、現在の旅館と土地の売買契約を国交省と結び、新たな土地を購入した。温泉旅館の「命綱」といえる温泉の湯を代替地まで届ける配湯施設が完成することも決断を後押しした。

 新しい旅館は、自宅も兼ねた木造2階建てで、宿泊者用の部屋は5部屋。風呂は男女別の内湯を設ける。窯も造る予定で、「希望するお客さんと一緒に焼き物をしたい。水没地にある野草や木を代替地ののり面や公園に植えて残したい」という構想も描く。

 このほか、350年の歴史を持つ老舗旅館「山木館」も庭木を代替地に移植するなど移転準備を進めており、来月にも旅館の地鎮祭を行い、8月中に着工する計画がある。

 完成には約1年間はかかる見通しで、同旅館を経営する樋田洋二さん(65)は「うちの旅館が一番早いかと思っていたが、移転の動きが出てきて良かった。来年秋には上でオープンしたい」と話している。