八ッ場あしたの会は八ッ場ダムが抱える問題を伝えるNGOです

毎日新聞の連載記事「60年の砂時計」

 毎日新聞紙上で八ッ場ダムの連載が始まったようです。

「60年の砂時計:八ッ場の希望/1 上野村・水出力さん 新しい古里に輝きを /群馬」
http://mainichi.jp/area/gunma/news/20120626ddlk10040281000c.html

 地元の人々の気持ちはそれぞれですが、記事で取り上げられている若者の心情を丁寧に伝える記事です。

 なお、2006年10月に開催された加藤登紀子さんのコンサートについて、チケットの図柄となったヤマメの木彫画をマネージャーが見つけたという話が記事にありますが、これは誤りです。コンサートが開かれる一年以上前の2005年8月に加藤さんは現地を訪ね、食堂で地元の方々と歓談し、この時、食堂に掲げられたヤマメの木彫画に感動したといいます。
 その後、八ッ場あしたの会の前身である八ッ場ダムを考える会の会員有志により、地元への支援を呼びかけるコンサートを東京で開催する企画が持ち上がり、木彫画をの図柄をチケットに採用することが決まりました。

 コンサートチケットの図柄となったヤマメの木彫画は、こちらに掲載しています。
 https://yamba-net.org/wp/modules/event/index.php?content_id=5

 また、八ッ場あしたの会が1都5県の市民で構成されている、という記述は、八ッ場ダムをストップさせる市民連絡会と取り違えているのでしょうか。八ッ場あしたの会は、首都圏以外の多くの国民も参加しています。

 以下に記事を転載します。

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◆2012年6月26日 毎日新聞群馬版

◇高木伐採の「空師」目指し--水出力(みずいで・つとむ)さん(18)

 20人も入れば満員の食堂が「家」だった。長野原町川原湯。丼ものやラーメンなどのほか、晩酌も楽しめ、川原湯温泉の湯治客や地元の常連らでにぎわった。新緑や紅葉の観光シーズンに父耕一さん(57)は仕込みに追われ、しばしば店で寝たことを覚えている。

 緑豊かな吾妻渓谷は「庭」。カモシカやムササビも「友だち」。幼稚園のころ、常連客の男性に連れられたヤマメ釣りでは、清流にしぶきを上げて躍る姿が忘れられず、繰り返しスケッチブックに描いた。小6の夏には、チョウを捕らえるヤマメを木の板に彫りつけ、彩色してニスを塗った。両親は「よくできたね」と喜び、早速店に飾った。

 その翌年、店に来た一人の客が木彫に目を留めた。ダム問題に関心を持ち、温泉街を訪れた歌手、加藤登紀子さんのマネジャーだった。木彫は06年10月、東京で開かれたライブ&トークイベント「加藤登紀子と仲間たちが唄う八ッ場いのちの輝き」のシンボルとしてポスターなどに印刷された。少し照れくさく、誇らしく感じた。イベントを機に、ダム見直しを求める1都5県の市民でつくる「八ッ場あしたの会」が発足し、最大野党・民主党に働きかけるが、当時はまだ、「ダム中止」は絵空事だった。

 09年春。中学を卒業した水出さんは、植木職人の道を歩もうと、毎朝5時に起きて高崎市の専門学校に通った。政権交代で与党になった民主党がダム中止を宣言したのは、その年の秋。「八ッ場」は全国区になった。
 同じコースで学ぶ50代の男性に「吾妻渓谷を沈めてまでダムを造りたいのか」と言われた。慣れ親しんだ山が切り崩されるのに心を痛めていたが、生まれる前から決まっていたダム計画に反対などできなかった。「俺たちがダムを求めたわけじゃない」と言おうとしたが、うまく説明できそうもなく言葉をのみ込んだ。
 「八ッ場」を見ようと、車やバスで訪れる人は増えたが、常連客が町外に引っ越し、食堂の売り上げは減るばかり。05年に234人(75世帯)だった川原湯地区の人口は10年には165人(58世帯)になっていた。借地人の父に支払われる補償金では自宅の取り壊し費用しか賄えず、移転代替地のダム湖畔に店を開店するのは大変だ。今年3月、父は店の平日営業をやめ、町の給食センターで働くことを決めた。
 休業間際の3月20日、仲間と草津町にスノーボードに出かけた帰り、店に寄った。父に頼んだのはカツカレーと好物の卵焼き。オムレツのような木の葉形で、中はとろりと甘い半熟だ。しょうゆを垂らしてほおばると、昔と変わらぬ味がした。
 現在働いている上野村の林業会社を独立し、将来は故郷に戻り、伸びすぎた高木を伐採して木材に加工する「空師(そらし)」の仕事をしたいと考えている。店もヤマメの沢も、幼き日を過ごした場所はいずれ湖底に沈むが、湖面に映る新しい古里に輝きを加える仕事をするのが夢だ。=つづく
   ◇   ◇
 政府が建設再開を宣言して半年が過ぎた八ッ場ダム。1952年に旧建設省が現地調査に着手してから60年。さまざまな思惑などから、児戯のように何度も砂時計の向きが変えられ、住民の時間は今も正しく刻めない。そんな「八ッ場」を生きる若者を追った。【奥山はるな】

~~~転載終わり~~~

「60年の砂時計:八ッ場の希望」の連載記事は6月26日から30日まで五日間にわたって群馬版の紙面に掲載されました。二日目以降の記事は、以下のURLでお読みいただけます。
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60年の砂時計:八ッ場の希望/2 渋川市・樋田泰彦さん 移転地で明るい旅館 
http://mainichi.jp/area/gunma/news/20120627ddlk10040156000c.html

60年の砂時計:八ッ場の希望/3 長野原町・樋田美咲さん(17) 都会に出ても戻りたい
http://mainichi.jp/area/gunma/news/20120628ddlk10040165000c.html 

60年の砂時計:八ッ場の希望/4 長野原町・豊田利之さん 新たなリスク背負う 
http://mainichi.jp/area/gunma/news/20120629ddlk10040189000c.html

60年の砂時計:八ッ場の希望/5止 長野原町・大矢大介さん 祭りで人の輪広げたい 
http://mainichi.jp/area/gunma/news/20120630ddlk10040063000c.html