八ッ場あしたの会は八ッ場ダムが抱える問題を伝えるNGOです

八ッ場ダムの湖面橋

2012年11月15日

 八ッ場ダム事業では、ダム湖に湖面橋を四本わたすことになっています。現在、ダム予定地では四本目の湖面橋を建設中です。

 
     
 3年前の政権交代当時、上流側の二本の湖面橋は完成しており、三本目の湖面橋を建設中でした。三本目の湖面橋は湖面2号橋と呼ばれていました。
 建設途上にあった湖面橋は、十字架状の特異なフォルムが格好の被写体となり、政権交代のシンボルとして、当時盛んにマスコミに取り上げられました。

     
      建設中の湖面2号橋と久森(くもり)田んぼ(2009年10月4日撮影)

 半世紀以上前のダム計画に7割以上の予算をすでに投入しながら、まだダム本体工事が始まっていないという事態は、ダム事業の内実を知らされていない一般国民には理解しづらいことであったらしく、この湖面橋をダムと勘違いする人もいました。

 その後、間もなく橋脚はつながりましたが、その頃には八ッ場ダムへの関心はすっかり失せ、12月には工事現場で、強風による落下資材が作業員を直撃したのですが、痛ましい死亡事故がニュースに取り上げられることもありませんでした。
 その後、完成した湖面2号橋は不動大橋と名づけられ、八ッ場ダム事業を推進する石原都知事(当時)や上田埼玉県知事、大沢群馬県知事は、橋上でマスコミに写真を撮らせ、「ここまで事業が進んでいるのだから、八ッ場ダムを中止するのは現実的ではない」と訴えました。 

 下の写真は、2010年1月、不動大橋を下流側から撮ったものです。橋脚がつながった不動大橋の手前に小さな橋が見えます。栄橋と呼ばれ、右岸の川原湯地区と左岸の川原畑地区を結ぶ橋です。
     

 川原湯地区と川原畑地区は、八ッ場ダムの水底に沈む予定です。それぞれの集落は、ダム湖畔となる場所に造成中の代替地にずり上げられ、両岸の代替地を結ぶのが、建設中の湖面1号橋です。それぞれの湖面橋はダム湖に沈む橋の補償事業として実施されており、巨大な湖面1号橋は小さな栄橋の補償事業という名目です。

     

 湖面1号橋は政権交代当時はまだ姿を見せていませんでした。この橋は県道の一部ですが、工事費用の96%は国が負担します。八ッ場ダム事業を推進する立場の群馬県は、2010年2月に橋脚二基の工事の入札を実施する予定でしたが、八ッ場ダムをストップさせる市民連絡会や民主党群馬県連はこれに反対し、前原大臣は10年1月27日の参院予算委員会で湖面1号橋の建設見直しを示唆しました。しかし群馬県は2月1日に入札を強行し、結局、前原大臣は3月に建設継続を容認しました。
 表向きの湖面1号橋の建設根拠は、地元住民の要望でした。しかし、実際には、工事を望む土建業者と自民党、群馬県の要求に前原大臣が屈した結果です。
 地元では、橋脚工事を入札した地元の土建業者への気遣いが内々で語られ、湖面1号橋の建設に反対した住民が地域で孤立するケースもみられました。

 JR川原湯温泉駅前に降り立つ観光客は、駅前で建設工事が行われている湖面1号橋の姿にまずビックリします。駅から下流側に数分歩くと、名勝・吾妻渓谷です。紅葉のピークを過ぎ、晩秋を迎えましたが、渓谷を散策する人の姿は、絶えることがありません。
 駅前には川原湯温泉の入り口があります。この脇にも橋脚が聳えています。巨大な橋脚は、水没予定地に暮らしてきた人々や観光客を睥睨しているようです。

     

 
 
 湖面橋建設は八ッ場ダムの事業費の9割以上を占める”生活再建事業”の一環として行われています。しかし、大規模なインフラ整備が進んでも、地域は寂れる一方で、代替地での川原湯温泉の再建も、見通しが立っていません。川原湯温泉では今月も一軒、旅館が休業になります。
 
 野田首相の解散宣言により、自民党復権の可能性が高まり、八ッ場ダム本体工事の着工も目前とされます。
 湖面1号橋の姿は、人々の暮らしを押しつぶしながら暴走する、この国の公共事業の実態を象徴しているようです。