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道半ばの「政治主導」

 八ッ場ダム事業への取り組みに象徴的に表れた民主党政権の政治主導の問題が新聞で取り上げられていますので、転載します。

◆朝日新聞 2012年11月24日
http://digital.asahi.com/articles/TKY201211230754.html?ref=comkiji_txt_end_s_kjid_TKY201211230754

 -「予算」失敗、官僚頼みに 〈政権交代を問う〉ー

 道半ばの「政治主導」

 ■政治主導

 【座小田英史、榊原謙】八ツ場(やんば)ダム(群馬県)、東京外郭環状道路、新幹線の3線同時着工……。今年、大型の公共事業が次々に復活した。

 国土交通省幹部は「八ツ場ダムを止めるなんてできないんだよ。公共事業は必要なんだ」と勢いづく。民主党がマニフェストで掲げた「コンクリートから人へ」はもはや跡形もない。

 「官僚主導の政治が行われている。なぜ政治主導ができなかったのか」。11日、東京で開かれた民主党の政策進捗(しんちょく)報告会では参加者から厳しい声が飛んだ。2009年9月の政権交代から約3年3カ月。再びコンクリートに戻った背景には政治主導の失敗がある。

 政権交代したばかりの鳩山由紀夫首相は、自民党政権を支え、政策を切り盛りしてきた官僚組織に切り込もうとした。

 官僚主導は前年踏襲になって新しい取り組みができず、無責任体制にもなりやすい。国民に選ばれたわけでもない官僚が多くの権限を持つのも問題だった。

 政治主導の象徴が、国交省が進める八ツ場ダム建設の凍結だ。「マニフェストに書いてありますから中止します」。鳩山政権ができた翌日の09年9月17日、前原誠司国交相は記者団にいきなりこう宣言した。国交省の事務次官はそばで黙って聞くしかなかった。

 民主党議員や専門家でつくる行政刷新会議による「事業仕分け」も脚光を浴びた。財務省と各省庁が密室で協議していた「予算査定」から、政治家が一般に公開して必要な事業を決めるようにした。朝日新聞を含めた新聞、テレビも連日、これを取り上げ、「政治主導だ」とあおった。

 ■根回しまで依頼、財務省が存在感

 だが、熱狂とパフォーマンスの陰で「政治主導」はふらついていた。

 事業仕分けは、10年度予算で、予定の4分の1しか削れなかった。首相直属の国家戦略局で予算の骨格をつくる構想もしぼんだ。

 破綻(はたん)のきっかけは、09年12月になっても10年度予算が決まらないことだった。

 民主党はマニフェストで「子ども手当の支給」「高速道路の無料化」を約束していた。一方、ガソリン税など2.5兆円分の減税も盛り込んでいた。

 首相官邸に出入りしていた官僚は「財源が足りないと進言しても、誰も決めてくれなかった」と言う。官僚頼みをやめようとするあまり、予算にくわしくない民主党議員が右往左往する「統治不全」に陥った。

 結局、小沢一郎・民主党幹事長が子ども手当の対象を減らし、ガソリン税減税をやめる「裁定」を下し、なんとか予算をつくった。鳩山首相は「ありがたい」と繰り返したという。

 予算編成の失敗を目の当たりにした民主党は「官僚頼み」へと急転回する。

 「官僚こそ政策や課題に取り組んできたプロフェッショナルだ」。10年6月に就任した菅直人首相は官僚を持ち上げ始めた。

 菅政権は翌月の参院選で負け、野党が参院の過半数を握った。「ねじれ国会」で政権基盤が弱まったことも官僚頼みを加速させた。

 「財務省と組まないといけない」。11年度予算づくりが進んでいた10年秋、財務省の官僚はある政務官にこう言われた。

 「自民党の情報をとってこいと言われたこともある。与党内の根回しのように自民党政権でやらなかったことまで我々がやるようになった」。財務省幹部は、菅政権に続いて11年9月にできた野田佳彦政権での役割をこう打ち明ける。

 野田首相はマニフェストに書かれていない消費増税を掲げ、財務省は情報収集や根回しでフル回転した。マニフェストと政治主導は破綻し、官僚との二人三脚で消費増税が決まった。

 ■理念先行、実行力伴わず

 東日本大震災後の政策にも官僚の影が見え隠れする。

 野田政権は今年9月、「30年代の原発ゼロを目指す」という革新的エネルギー・環境戦略を決めた。だが、政府方針として閣議決定できなかった。経済界などの反発を受けたからだ。

 古川元久前国家戦略相は内閣官房国家戦略室にチームをつくり、戦略の草案を書かせた。電力改革を進めようとして経済産業省を辞めた元官僚もメンバーに入れ、原発ゼロに反対する経産省に対抗しようとした。

 だが、草案を経産省などに示すやいなや原発ゼロを盛り込むとの情報が流れ、経済界の猛反発を誘った。

 閣議決定前には外務省の官僚が「まだ決めないで、米国とよく話をしてほしい」と伝えてきた。米国側から「閣議決定するのか」と難色を示されたという。

 だが、戦略づくりに携わった関係者はこうみる。「米国の考えだけではない。裏で振り付けしたやつがいたんだろう」

 省庁が並ぶ東京・霞が関にある中央合同庁舎4号館。この建物の耐震工事に復興予算が使われていた。

 防災が目的であれば被災地以外でも使える全国防災対策事業の一つだ。税務署の耐震改修や沖縄の道路整備事業などにも使われ、5年間で1兆円の予定が、わずか1年で使い切った。

 財務省幹部は「公共事業が減ったので、復興予算で復活させた面がある」と言う。国交省幹部は「予算縮小は人員削減につながり、組織が弱くなる。地方分権で中央省庁を縮小するなんて簡単には従えない」と打ち明ける。自らの権限と組織を守るため、必死だ。

 自民党政権では各省の事務次官会議で政策が決まった。民主党は政権交代で会議を廃止したが、「局長らが裏で調整していた」(厚生労働省の官僚)という。

 菅前首相は「この3年間は大きな実践であり実験だった。何も変わらなかったということはなく、大きく変わった」と強調する。確かに政治主導の理念は良かった。だが、そのための準備と統治力がなければ、口先だけに終わってしまう。

 引退を決めた民主党の中野寛成元国家公安委員長はこう振り返る。「党内には人材が育ってなく、すべてが稚拙だった。すべての力をぶつけてくる官僚に対抗する力がなかった」