未買収地問題を抱える利根川水系・薗原ダム、住民交流に意欲

 1965年に利根川上流に建設された薗原ダム。
 水没住民は85世帯に上り、ダム建設前には激しい反対運動がありました。反対運動を担った方々はすでに亡くなっていますが、最近になって水没地に8千平方メートル近くもの未買収地があることがわかりました。薗原ダムに貯まっている土砂は、すでに堆砂容量の半分を超えており、浚渫作業などで国交省が未買収地に立ち入る場合は、地元の理解を得る必要があります。
 昨日の朝日新聞の記事を読むと、ダムを管理する国交省は地元住民と交流を図ることで、問題を有耶無耶にするしかないと考えているようです。

 この記事を書いた井上記者は、八ッ場ダムの反対闘争が激しかった1970年代に、川原湯温泉に泊まり込んで地元から見た八ッ場ダム問題を連載記事で詳しく伝え続けた記者です。連載記事の中には、当時、八ッ場ダムに反対していた地元住民らが薗原ダムの水没住民から反対闘争の方法を伝授されたことなども書かれています。八ッ場ダムの現地の状況は当時とは様変わりしていますが、井上記者の連載記事は八ッ場ダムの歴史を知る上で貴重な記録となっています。

 薗原ダムの未買収地問題についての井上記者のこれまでの記事は、以下のページでご覧になれます。未買収地はもとは馬の捨て場などであったことや、薗原ダムの水力発電を待望した群馬県がダム建設を急いで、見切り発車を国に求めた経緯など、詳しい情報が書かれています。

◆2015年12月24日 朝日新聞群馬版 「薗原ダム湖底に未買収地 国の相続者探し難航」
 https://yamba-net.org/13563/

◆2016年3月5日 朝日新聞群馬版 「薗原ダム湖、なぜ未買収地が」
 https://yamba-net.org/14497/

 
◆2018年3月7日 朝日新聞群馬版
 https://digital.asahi.com/articles/ASL2Q3STDL2QUHNB006.html?iref=pc_ss_date
ー群馬)薗原ダム、住民交流に意欲 背景に未買収地問題ー

 完成から52年が経つ、沼田市の薗原ダム周辺の住民らと、ダムを管理する国土交通省利根川ダム統合管理事務所(ダム統管)が協力し、5月20日に初めての「堰堤(えんてい)まつり」を開く。水の豪快な「ジャンプ」が見られるダムの点検放流に合わせ、地元農産物の直売などのイベントを企画している。背景には「ダム湖の底の未買収地問題」というダム建設以来の難問の影もちらつく。

 薗原ダムは、利根川上流のダムの中で流域面積が最も広く、水の流入量が多いのが特徴。ダム統管は本格的な出水期前の5~6月に、ゲートなどの操作訓練や機能確認のため、十分な水量があれば点検放流を実施し、併せて住民やダムファンらに「水のスキージャンプを見ることができる」とアピールしてきた。

 まつりの開催は、住民と国などがダムをいかした水源地域の活性化策を話し合う昨年6月の協議会で、住民側から「放流はダム側が単独で行うだけで、地元の利益として還元されていない」と指摘されたのがきっかけ。インフラツーリズムが広がる中で、近接する観光地の老神温泉にとってダムの放流は魅力的な集客手段となるからだ。

 住民の要望に、国はすぐに応じた。地元が組織したまつりの実行委員会にサポート役として加わり、盛り上げに一役買っている。老神温泉で2月16日にあったひな祭りの開会式にはダム統管の所長が初めて出席し、「老神温泉や地域の方々と相談し、薗原ダムを活用しようと堰堤まつりを企画した」とあいさつした。

 国の積極姿勢には理由がある。同ダムをめぐっては数年前、湖底に未買収地が8千平方メートル近くあることが発覚した。国は直ちに相続者探しを進め、判明した個人所有分については買収交渉を進めている。だが、未買収地の多くを占める共有地は登記簿が120年以上も前と古く、戦後の均分相続移行もあり所有者探しは難航している。

 こうした状況で、湖底にたまった土砂の浚渫(しゅんせつ)や大規模な改良工事を行う際に共有地に踏み込むケースが出た場合は、所有者が分からなかったとしても、最低限、地域の理解を得ておく必要がある。そうした意味で、日ごろから住民との交流や意思疎通を深めておくことは、ダム統管にとっては重要だ。

 一方、ダムがある園原地区の住民は未買収地問題をテコに、ダム建設当時の1960年代に国や県と交わした地域振興策推進協定書の実施を求めて2015年に国などに要望書を送り、林道改修や老神への遊歩道建設などを求めたが、回答がないと不満を強めている。そんな中での放流イベント開催。ある住民は「今回の国の積極姿勢が、約束実施でも重かった腰を上げるシグナルなのかどうか」と国の動きを注視する。

 ダム統管は「すでに完了したダム建設事業の中での約束に対し、半世紀も経った今の時点で文書などで回答するのは困難だ。地元の人たちと話をしながら対応していく話ではないかと考えている」と話す。(井上実于)