諫早で本明川ダム着工、必要性に疑問

 国土交通省が進める長崎県の本明川ダム事業では、ダムで水没する道路の付替え工事が着工され、本格的にダム事業が始まったということです。
 しかし、ダム事業が進む中、国営諫早湾干拓事業の潮受け堤防が完成しているのに、同じ目的を持つ本明川ダムが本当に必要なのか、疑問が投げかけられています。

◆国土交通省九州地方整備局・長崎国道河川事務所公式サイトより 「本明川ダム事業」
http://www.qsr.mlit.go.jp/nagasaki/river_dam/damjigyo/index.html
(右画像=上記サイトより) 

◆2018年4月22日 西日本新聞
https://www.nishinippon.co.jp/nnp/nagasaki/article/410467/
ー諫早で本明川ダム着工 治水、諫干と分担不明確 防災“御旗”の縦割り行政 [長崎県]ー

  諫早市を流れる本明川の上流で3月下旬、国直轄の本明川ダムが本格着工した。総事業費500億円。1957年の諫早大水害規模の洪水に耐えうる治水を目的に83年に検討が始まったが、その後、河口では同じ目的を掲げた国営諫早湾干拓事業の潮受け堤防も完成している。経緯をたどると、住民が反対の声を上げにくい防災を前面に掲げ、国の「縦割り」で進む公共事業の実態も浮かぶ。

 巨額の公共事業計画を先に打ち出したのは農林水産省だった。水資源確保などを目的に諫早湾を堤防で閉めきる「長崎南部地域総合開発計画」が漁業者の反対で中止に追い込まれた同省は82年、規模を縮小し、高潮洪水対策を主目的にした現在の諫早湾干拓事業の実施を発表。その翌年に建設省(現在の国土交通省)が本明川ダムの予備調査に着手した。

 本明川が国の直轄となったのは全国109の1級河川の中で最も遅い。諫早市内で死者・行方不明者630人の惨事となった諫早大水害の翌58年に県から国に管理が移され、建設省は「80年に1度」の洪水を想定した河川拡幅や堤防かさ上げなどの改修工事を進めていた。

 同省がダムの予備調査に着手した当時、諫早市の土木課長だった伊藤秀敏さん(79)は「市も多くの市民も、本明川の洪水対策は河川改修で終わったと思っていた」と振り返る。大水害から四半世紀後にダム計画が浮上したのはなぜか。国は「82年7月の長崎大水害で本明川流域で死者3人などの被害が発生したため」(長崎河川国道事務所)と説明するが、この時の上流の雨量は諫早大水害時を上回っていない。

 建設省は91年に本明川水系の整備方針となる工事実施基本計画を改定。洪水の想定を他の1級河川並みの「100年に1度」と設定し、上流で1秒間あたり260立方メートル流量の洪水調節が必要とした。この調節施設として正式に位置づけられたのが本明川ダムだ。

 潮受け堤防は総事業費1527億円をかけて99年に完成。農水省は諫早湾を閉めきった調整池の水位を低く保つことで排水能力が高まり、満潮時に海水がさかのぼることもなくなったため「本明川の治水が強化された」と説明する。一方、国交省は「堤防の防災機能は干拓地周辺の高潮対策で、本明川の河川整備に影響しない」(同)。同省は2005年策定の新たな河川整備計画で上流での洪水調節が必要な流量を290立方メートルに引き上げたが、農水省との協議は「行っていない」という。

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 本明川ダムは10年、公共事業の見直しを進めた民主党政権で再検証の対象となった。この時に当初の目的のひとつだった「利水」が外れて規模が縮小されたが、ダム建設の根拠となった洪水調節流量は検証されていない。国交省が「河川整備計画の目標達成を基本にする」と議論に“縛り”をかけたためだ。

 検証メンバーは九州地方整備局長と知事、諫早市長。いわば“身内”で固めた会議は自公政権となった13年に計3回開かれ、事業の継続を決めた。この間に開かれた有識者への意見聴取でダム案に反対した森泰一郎・元長崎ウエスレヤン大学長は、今も国の姿勢に疑問を投げかける。

 「市民は防災のためならばと、自然破壊を伴う諫早湾干拓を受け入れた。本明川全体の治水を考えるならば“後出し”のダムは堤防とセットで必要性を議論すべきだった。だが国交省は『諫干は関係ない』の一点張りだった」

 ダム建設は環境アセスメント公告(14年)、水没地権者らとの損失補償基準協定書調印(17年)などの手続きを経て、今年2月に最初の工事となる道路付け替えが起工。完成は24年度を見込んでいる。