西日本豪雨ダムクライシス 野村ダムと鹿野川ダムの緊急放流の記事

 愛媛県を流れる一級河川、肱川にある野村ダムと鹿野川ダムは、7月の西日本豪雨でダムが満水となり、緊急放流を行った結果、ダム下流が急速に水位を上げて氾濫、堤防が決壊し、逃げ遅れた8名の住民が亡くなりました。水害から一ケ月たった今も当時の緊迫した状況を大きく伝える記事を各紙が取り上げています。

 産経新聞と同じ「クライシス」というタイトルを付けた朝日新聞の記事は四回連載で、ダムからの緊急放流の経過を細かく追ったレポートとなっています。国土交通省のダム管理の職員たちが懸命に取り組んだことがよくわかりますが、「国土交通省は野村ダムと鹿野川ダムの放流について、操作自体は規則に沿って適切に行ったとの立場だ。だが、地元への情報伝達には課題があったとして、有識者を交えた検証作業を始めた」と書くのみで、国土交通省の方針に沿ったレポートと受け止めることもできます。行政の立場とは一線を画した報道の立場はどこへいったのか不明瞭です。

◆2018年8月14日 朝日新聞
https://digital.asahi.com/articles/ASL895RKYL89PTIL011.html?iref=pc_ss_date
ー西日本豪雨ダムクライシス ダム緊急放流、決断の背景に迫る 河川氾濫で犠牲者多数ー

 7月の西日本豪雨は、各地に未曽有の雨を降らせた。四国・愛媛県も例外ではなかった。1級河川の肱(ひじ)川では、貯水能力を上回る大量の水が流れ込んだ二つのダムが、過去最大の緊急放流に踏み切った。川は下流で氾濫(はんらん)し、犠牲者が出た。

 あのとき、何が起きていたのか。

 国や自治体、地元の消防団、住民らへの取材を通じ、時間を追って「ダム・クライシス(危機)」が高まっていった様子を再現する。(大川洋輔、波多野陽)

 肱川
愛媛県西予市の鳥坂峠を源とし、人間の「ひじ」のように折れ曲がって伊予灘へと流れ込む。103キロの長さの割に全国で5番目に多い474の支流を従え、水量が一気に増えやすいとされる。下流の同県大洲市周辺では戦前から大洪水が繰り返され、1959年に2980万トンの水をためられる「鹿野川ダム」が完成した。

 【7月4日20:00】
 「ダムへの流入量は毎秒890トン」

 愛媛県西予市の野村ダムにある国土交通省の管理所。職員たちは、日本気象協会による予想雨量をもとにした48時間後の推計データを確認するのが日課だった。はじき出された数字を見て、職員たちは戦慄(せんりつ)した。

 野村ダム
肱川上流の西予市にある「野村ダム」は、県南部のかんきつ農家の水不足を解消するなどの目的で1982年に造られた。1270万トンの水をためられる。西予市は「平成の大合併」により、2004年に旧野村町を含む5町が合併してできた。現在の野村町は旧野村町時代から酪農や畜産が盛ん。かつては養蚕業も栄え、「ミルクとシルクの町」と呼ばれる。

 普段の流入量は毎秒数トンほど。これまでの最大は、1987年の梅雨時期の毎秒806トンだった。この時は、下流で駐車場や田畑が水没した。その後に河川は改修されたものの、毎秒1千トンに迫る放流をすれば下流が水没する恐れがあった。

 「(ダムの水を利用する権利を持つ)水利者と協議して、事前放流が必要だ」

 2日後に予想された豪雨を前に、川西浩二・管理所長らは動き出した。事前放流とは、大量の水が流入するのが予想される場合に備え、貯水量を減らしておく処置だ。

 このダムは、周辺地域のかんきつ畑や水道に水を供給する水がめでもある。「野村ダムなくして南予のミカンはない」と考えていた川西所長。迫り来る豪雨を前に、地域の生活や農業に用いるための貯水をあきらめてでも、水位を大幅に下げておく必要があると判断した。

【5日9:30】
 一夜明け、野村ダムは事前放流を始めた。この時間までに、関係する水利者の承諾は得られた。管理所の雰囲気について、酒井博之専門官は「予想雨量が大きく、緊張感があった」と証言する。

 野村ダムの貯水能力は1270万トン。この放流によって水位は下がり、利水用の250万トンを加えた計600万トン分を空けた。

【6日22:00】
 事前放流から1日半が過ぎた。予報通り、雨雲は停滞。野村ダムの上流域も雨が降り続き、水の流入量が毎秒300トンを超えた。

 下流にはもう一つの鹿野川ダムがあるが、そのまま流せば最下流の大洲市で浸水が懸念される量だ。

 管理所には、当直以外の職員も含めて、ダムの操作に関わる約10人全員が詰めていた。事態は、事前放流による「備え」を超えつつあった。

 【7日2:30】
 「今のままでは川があふれる恐れがある。(流入量まで放流量を増やす)異常洪水時防災操作を午前6時50分に行う」

異常洪水時防災操作(緊急放流)
豪雨時に水をためて下流の水位上昇を抑えていたダムが満水に近づいた時、緊急的に流入する量とほぼ同量の水を放つ操作。ダムの決壊や破損を防ぐ手段だが、急激に川の水位が上がるため、下流の住民らの避難が必要なケースもある。
 川西所長は、西予市野村支所の土居真二支所長にホットラインの電話をかけた。

 この操作は緊急放流とも呼ばれ、これまでダムが受けとめることによって絞ってきた下流への水の量が一気に増えることを意味する。

 土居支所長は車を走らせ、西予市の管家一夫市長らと協議。「移動の安全も考えて、少し明るくなった時間に避難させよう」。午前5時半までに、住民らに避難指示(緊急)を発令することが決まった。

【3:37】
 午前3時以降、1時間に20ミリを超える雨が続き、歴史的な豪雨になり始めた。川西所長が土居支所長に伝えた。「操作の実施は(30分前倒しして)午前6時20分になる」

 支所へ戻る途中だった土居支所長は急いで部下たちに指示を与えた。「消防団員らを集めて、午前5時10分の避難指示を住民に呼びかけてくれ」
     ◇
 ダムが大雨による水を受け止めきれない。苦肉の策の緊急放流が迫るなか、すぐ下流で、消防団員らによる必死の呼びかけが始まった。

うねる濁流「あふれるぞ!」 避難拒む住民に懸命の説得
  〈肱川と二つのダム〉 愛媛県西予市の鳥坂峠を源とする肱(ひじ)川は、人間の「ひじ」のように折れ曲がって伊予灘へと流れ込む。103キロの長さの割に全国で5番目に多い474の支流を従え、水量が一気に増えやすいとされる。

 下流の同県大洲市周辺では戦前から大洪水が繰り返され、1959年に2980万トンの水をためられる「鹿野川ダム」が完成した。肱川は大洲市の中心部を流れ、肱川の鵜飼(うか)いは市の観光資源としても知られる。市内には明治や大正期の建築物が残るエリアがあり、風情ある町並みから「伊予の小京都」と呼ばれる。

 上流の西予市にある「野村ダム」は、県南部のかんきつ農家の水不足を解消するなどの目的で1982年に造られた。1270万トンの水をためられる。西予市は「平成の大合併」により、2004年に旧野村町を含む5町が合併してできた。現在の野村町は旧野村町時代から酪農や畜産が盛ん。かつては養蚕業も栄え、「ミルクとシルクの町」と呼ばれる。

◆2018年8月14日 朝日新聞
https://www.asahi.com/articles/ASL7042SFL70PTIL00M.html
ーうねる濁流「あふれるぞ!」 避難拒む住民に懸命の説得ー

 7月に各地を襲った西日本豪雨。愛媛県西予市の野村ダムにはかつてない量の水が流れ込んだ。流入量まで放流量を引き上げる異常洪水時防災操作(緊急放流)を控え、直下の野村地区では避難指示(緊急)が発令された。「川があふれる」。消防団が地区の一軒一軒を回り、懸命に避難を呼びかけた。(沢木香織、長谷川健)

 【7日5:00】
 西予市の野村支所近くの野村公会堂。「野村方面隊」の消防団員80人ほどが招集された。浸水の恐れがある地域を手描きで示した地図には、野村地区の中心部の約900戸が含まれていた。

ダム緊急放流、決断の背景に迫る 河川氾濫で犠牲者多数
 隊長が厳しい口調で指示した。「野村ダムが今までにない規模の放流をする。午前6時半に放流するけん、住民に避難を呼びかけろ。電気がつかない家はつくまでドアをたたけ」

 消防団の野村分団第1部長、井上忠明さん(47)が公会堂を出ると、肱(ひじ)川の濁流がうねりを打っていた。「ここに放流すれば、あふれるぞ……」。団員が各戸に避難を呼びかけて回った。

 西予市が避難指示(緊急)を発令。「あそこのじいさん、『避難はせん』と言うとります」。地区を走り回っていた 消防団員らが次々に詰め所に戻ってきた。井上さんの声が飛ぶ。「首根っこつかんででも避難させい!」。2度、3度と説得に向かわせた。

 市消防本部も、避難を拒む住人が出ることを想定していた。消防団が活動する地区ごとに消防職員が乗り込んだ車両を配置。消防団員が避難を拒否した住民を無線で報告すると、ただちに消防職員や警察官が説得に向かった。

【5:10】
 野村地区で避難に向けた動きが本格化し始めたのと同じころ、さらに肱川下流にある鹿野川ダム(愛媛県大洲市)でも流量が増え続けていた。

 ダムを管理する山鳥坂(やまとさか)ダム工事事務所の小長井彰祐所長が、二宮隆久・大洲市長に最初のホットラインをかけた。毎秒最大1800トンの水の流入が予測され、放流量を毎秒850トンに増やす予定であること、緊急放流の可能性があること――の2点を伝えた。事務所は、警報車や警報局のスピーカーで流域に警戒を呼びかけ始めた。

【5:15】
国土交通省の野村ダム管理所が、西予市野村地区に11カ所あるスピーカーを通じて放流を伝える警報を出した。「下流河川の水位が急激に上昇するおそれがありますので、厳重に警戒して下さい」

【5:15】
 野村地区で肱川近くのアパートに暮らすアルバイトの女性(28)は、防災無線の放送で目が覚めた。雨音でほとんど聞こえなかったが、かろうじて「避難指示が出ています」と聞き取れた。「どこかで土砂崩れでも起きそうなのかと思った。山際じゃないし大丈夫だろうと……。ダムの放流で川があふれることがあるなんて、思いもしなかった」。朝ご飯にと、みそ汁をつくり、ごはんを炊いた。

【6:20】
 野村ダムが、緊急放流を開始した。非常時の放流に使う2門のクレストゲートが徐々に広がり、濁流が下流に向けて放たれた。その先には、野村地区があった。

【6:20】
 野村地区のさらに下流の鹿野川ダム。ダムを管理する小長井所長から、大洲市の二宮市長へ2度目のホットラインが入った。過去最大の流入量と放流量になる見込みと、放流量を毎秒850トンに増やした後、緊急放流に入る見込みが伝えられた。その時刻は、約1時間後の午前7時半だった。

【6:27】
 野村地区で肱川近くのアパートに住むアルバイトの女性。雨が降り続く中、地下駐車場の電動自転車を高いところに移そうと部屋の外に出た。アパート近くのトウモロコシ畑が冠水しているのに気づいた。

消防団員が叫んでいた。
「ダムの放流、6時半ですよ!聞いてないんですか! 小学校に逃げて」。
東京都内から引っ越してきたばかり。小学校の位置もおぼろげだったが、何とかたどり着いた。「私にとって災害はテレビの向こうの話だった。前夜は雨の中でも隣のスナックのカラオケの音が聞こえ、いつもの野村の町だったのに」
     ◇
 野村ダムの緊急放流直後に肱川は越水。あふれ出た水は一気に野村地区へ押し寄せた。鹿野川ダムでも緊急放流の時間が迫り、「ダム・クライシス(危機)」のドミノが始まろうとしていた。
    

◆2018年8月15日 朝日新聞
https://www.asahi.com/articles/ASL704323L70PTIL00N.html
ー「戸が開かん、助けて」 放たれた濁流は住民残る集落へー

 7月の西日本豪雨では7日早朝、愛媛県西予市の野村ダムが下流への放水を急激に増やす緊急放流に踏み切った。正式には「異常洪水時防災操作」という処置だ。流入する水を受け止めきれなかったダムから放たれた濁流は、まだ住民の残る肱川(ひじかわ)下流の同市野村地区を襲った。(大川洋輔、沢木香織、長谷川健)

【7日6:30ごろ】
 野村地区で、消防団員らによる避難の呼びかけが終了した。大森仲男さん(82)、勝子さん(74)夫婦は2度にわたって消防団員に声をかけられた。だが、後になって水に沈んだ自宅の玄関そばで亡くなっているのが発見される。市の関係者によると、仲男さんは介護が必要な状態だったという。

【6:30】
 野村地区の下流。大洲市の消防団が鹿野川地区の詰め所に集まった。老人ホームの近くで土砂崩れが起きたという情報が入り、緊張が走る。「二つの班は土囊(どのう)作り! 残りは町の警戒!」。分団長の指示が飛んだ。

【6:37】
 「河川、越水!」

 野村地区。肱川の近くで活動していた消防隊員から無線が入った。地区にはまだ、住民らが残っていた。

【6:40】
 野村地区の肱川沿いの住民、小玉和矢さん(33)は、急激に川の水位が増え、水が橋の上を越えていることに気づく。近くに暮らす祖母のユリ子さん(81)を橋を渡って迎えに行こうとした途中、川の水に足をすくわれて転んだ。

 午前6時57分まで計3回、ユリ子さんに電話して避難するよう伝えるが、会話にならない。ユリ子さんは電話口で「戸が開かん。助けに来てくれんか」と繰り返していた。

 ユリ子さんは一人暮らし。自宅に水が流れ込み、亡くなった。

【6:40】
 野村地区で暮らす入江須美さん(51)は出勤途中、川沿いの自宅にいた夫の善彦さん(59)に電話した。善彦さんは慌てた声で、「いま、氾濫(はんらん)した。避難!避難!」。それが最後の会話になった。自宅は流され、自宅近くの田んぼで、愛車の黄色いスポーツカーとともに善彦さんが亡くなっているのが見つかった。

【6:50】
 下流の鹿野川ダムでも、危機が迫っていた。ダムを管理する山鳥坂ダム工事事務所の小長井彰祐所長が、大洲市の二宮隆久市長に3度目のホットラインを入れた。毎秒6千トンの放流見込みであること、道路の冠水が想定されること――を伝えた。

 「尋常ではないのですね。とにかく普通でないことはよく分かった」。事務所によると、二宮市長はこう答えたという。

【6:54】
 野村地区。アルバイト井上彩香さん(25)は川沿いにある実家に帰省中だった。屋根の上に避難し、集落が浸水していく様子を動画で撮影した。川の流れが速く、鳥居や車が流されていく。平屋がつかるほど水が押し寄せてきた。「何が何やらわからなかった。隣の2軒が崩れるように下流に流された。そのときが一番怖かった。水が川からあふれてから家の1階がつかるまで、あっという間だった」

【7:30】
 大洲市が市内全域に避難指示(緊急)を出した。その5分後、鹿野川ダムでも緊急放流が始まった。野村ダムの緊急放流から1時間15分後のことだった。

【7:50】
 先に緊急放流に踏み切った野村ダム。流れ込む水の量は減る気配がなかった。この時間、放流量は最大となる毎秒1797トンに達した。野村地区の越水を避けてダムが放流できる量は毎秒1千トン。その1.8倍の水が放流されたことになる。過去最大だった1987年の毎秒720トンも、大きく上回った。
     ◇
 次々と濁流に襲われた野村地区に続き、鹿野川ダムが水を受け止めきれなかった下流の大洲市でも、川があふれるのは時間の問題だった。だが、放流量を増やすことを知らせる警報が届かなかった住民が多数いた。

◆2018年8月15日 朝日新聞
https://www.asahi.com/articles/ASL70438YL70PTIL00P.html
ー急激な増水「死んでまうぞー」 住民に届かなかった警報ー

 7月の西日本豪雨で流れ込む水を受け止めきれず、流域の二つのダムが異常洪水時防災操作(緊急放流)を行った愛媛県の肱(ひじ)川。川沿いの西予市と大洲市で相次いで氾濫(はんらん)が起き、住民らは混乱に陥った。最下流の大洲市では、ダムの放流量が増えることを知らせる警報が、必ずしも届いていなかった。

【7日8:00】
 大洲市消防団の二宮孝志・分団長(50)のもとに消防団の本部からダムの放流を知らせる無線連絡が入った。ただ、放流量までは知らされず、住民らの避難に向けた動きは必ずしも素早いものとは言えなかった。

 二宮さんが地区を回ると、川沿いの住宅の敷地に水が押し寄せ、水位がみるみる上昇していった。道路も冠水していた。「避難してくれー。死んでまうぞー」「車を捨てろ!高台に行け!」。消防車のマイクを握って叫んだ。

 「まだうちにばあちゃんがいるんです!」。住民が叫ぶ。消防団員が急いで家に駆けつけ、高齢女性を消防車に乗せた。

【8:20】
 大洲市の地元消防団の二宮和也さん(39)が自宅近くの橋で水位を確認していると、肱川支流の河辺川の水位が一気に増し、川が橋をのみこんだ。肱川の水位が上がったことで河辺川の水が逆流したとみられる。橋にいた二宮さんは足をすくわれ、おぼれた。高台に続く坂道まで数十メートルを何とか泳ぎ切った。

 「ちょっと死にかけた」。二宮さんはその後、消防団員の仲間らにこうLINEで報告した。「本当に死にそうだった。ダムの緊急放流の話は知らなかったし、サイレンも聞こえなかった」

【8:30】
 大洲市・鹿野川地区の和氣武士さん(77)と妻の仁惠さん(73)は、自宅と隣家の通路のガスボンベが浮き始めているのを見つけた。床下からじわじわと水位が上がり、畳が水に浮き始めた。2人で2階のベランダまで逃げ、手すりにしがみついた。水につかった時計は「8:40」で止まっていた。

【8:43】
 緊急放流開始から1時間余り、鹿野川ダムでは毎秒3742トンの最大放流量に達した。

【9:10】
 大洲市・村島地区の村上博一さん(77)は、自宅裏の水路の水位がどんどん上がるのを見て、2階に駆け上がった。「スピーカーからサイレンが鳴った記憶がない。少なくとも、水路を見るまで気がつかなかった」と振り返る。

【10:06】
 大洲市より上流で、先に肱川が氾濫した 西予市・野村地区。川沿いにある実家に帰省中だったアルバイト井上彩香さん(25)は浸水から逃れ、屋根の上に避難していた。ようやく水が引き始め、その様子を撮影した。橋のすぐ下まで増水し、濁流となっている肱川。水が引いた場所には、流されてきた家財道具や自転車などが無残に残されていた。

【12:42】
 下流の鹿野川ダムで緊急放流を終了。水門を開けてから、5時間7分が過ぎていた。

【13:00】
 上流の野村ダムでも、緊急放流を終了した。増える水を受け止めきれず、午前6時20分に水門を開けてから、6時間40分後。肱川流域の二つのダムが相次いで緊急放流に踏み切る異常事態が終わった。

  ◇   ◇
 肱川の氾濫により、 西予市では濁流にのみ込まれるなどして小玉ユリ子さん(81)、入江善彦さん(59)、大森仲男さん(82)、勝子さん(74)、大久保修誠さん(74)の5人が亡くなった。約3千戸の家屋が浸水した大洲市でも、死者が出た。(大川洋輔、竹野内崇宏、長谷川健)
     ◇
  国土交通省は野村ダムと鹿野川ダムの放流について、操作自体は規則に沿って適切に行ったとの立場だ。だが、地元への情報伝達には課題があったとして、有識者を交えた検証作業を始めた。

 事前に避難勧告は出さず、放流の約1時間前に野村地区に避難指示(緊急)を出した西予市は豪雨後、台風12号が接近した際は緊急放流の予定が決まり次第、避難指示を出すように対応を改めた。

 今回の豪雨では両ダムのほか、水資源管理機構が管理する日吉ダム(京都府)、一庫ダム(兵庫県)、岩屋ダム(岐阜県)、県が管理する引原ダム(兵庫県)、野呂川ダム(広島県)、河本ダム(岡山県)の計六つのダムで緊急放流が行われた。

 ダムの操作と住民の避難をどう結びつけるか。異常気象が多発し、記録的な豪雨が相次ぐようになった時代に、この問いが突きつけられている。

◆2018年8月16日 産経新聞
http://www.sankei.com/west/news/180816/wst1808160005-n1.html
ー【西日本豪雨・想定外クライシス】(4)「町が沈む、言ってくれれば」ダム放流情報、周知に課題ー

  「伝え」ても「伝わらない」避難情報。想定外の豪雨を受けて愛媛県の2カ所のダムで実施された緊急放流には、「伝わらない」情報という課題が凝縮していた。

 「ダムが今までにない量を放流する。川が氾濫する危険がある」

 7月7日午前6時前。同県西予(せいよ)市の野村町地区に住む畳店店主、小玉恵二さん(59)は、消防団員から市内にある野村ダムが放流するとの情報を受け、避難するよう促された。

 しかし。「道路が冠水するくらいかな、程度に思っていた」。小玉さんは当時をこう振り返る。

 自宅の近くでは母、ユリ子さん(81)が1人暮らしをしていた。妻の由紀さん(59)が様子を見に行くと、ユリ子さんは飼い猫を一緒に連れて行くためのケージを探していた。

 同6時40分ごろ、いったん自宅に戻った由紀さんを伴い、小玉さんがユリ子さんを迎えに行くため軽トラックに乗り込んだ瞬間、急に濁流が押し寄せ、車体が浮き上がった。あわてて車から降り、夫婦で近くの民家へ飛び込んだが、すぐに2階まで浸水。屋根の上で救助を待つ間、集落は瞬く間に水没していった。

 3時間後。水が引くのを待ってユリ子さん宅に駆けつけたが、ユリ子さんは既に冷たくなっていた。「町が沈むレベルの放水だと言ってくれていれば引っ張ってでも連れてきたのに…」。由紀さんは後悔を隠しきれない。

 貯水位がピークに達していた野村ダムでは7日午前6時20分、流入量と同量を放流する緊急放流「異常洪水時防災操作」が行われた。これにより下流の肱(ひじ)川が氾濫、流域の野村町地区など西予市の700棟近い住宅が全半壊もしくは浸水し、ユリ子さんを含む5人が死亡した。

 ダム側は放流の約4時間前、同2時半には市へ緊急放流する可能性があることを伝えていた。

 市が、ダム近くにある野村町地区の住民約5100人に避難指示を出したのは約3時間後の同5時10分。担当者は「強い雨が断続的に降っており、住民の安全性を考え、明け方に避難指示を出した」と説明する。

 そこから放流まで「猶予」は1時間あまり。市は20~30分おきに計3回、屋外スピーカーや防災無線を通じ避難を呼びかけた。国土交通省四国地方整備局もサイレンやスピーカー、警報車で放流を通知した。

 だが放流量は具体的に伝えられなかった。雨音で放送が聞こえなかったケースもあった。各家庭を回り避難を呼びかけた30代の男性消防団員は、「3割くらいは逃げなかった印象。あの浸水で死者が5人だったのは、正直少なかったと思っている」と打ち明ける。

■  ■
 異常洪水時防災操作は、野村ダム下流にある鹿野川ダム(同県大洲市)でも行われ、川の氾濫などにより4人が死亡した。

 こちらでは、地域によっては情報自体が伝っていなかった可能性がある。放流は市が出した避難指示のわずか5分後。自宅の2階に逃げて無事だった自営業の男性(64)は「普段は放流を知らせる車が来るのに、今回は何も聞こえなかった」と憤る。

  国交省は放流をめぐる一連の対応について有識者や行政を交えた検証を開始。特に改善が求められているのは、住民への周知の方法だ。検証の会合で委員の愛媛大大学院の森脇亮教授は、「受け手が情報をどうとらえたのか検証する必要がある」と指摘した。

 京都大防災研究所の角哲也教授(河川工学)は言う。「ダムは万能ではない。大災害は起こるという危機意識を持ち、水位変化などの情報を管理者と住民がリアルタイムで共有し、迅速な避難行動に結びつける仕組みづくりが必要だ」

 異常洪水時防災操作 ダムがあふれるのを防ぐために放流する緊急措置。「ただし書き操作」とも言われ、洪水調節機能が果たせなくなるため「例外中の例外」とされる。西日本豪雨では治水機能がある全国のダム558カ所のうち4割に当たる213カ所で放流量を調節。平成29年までの10年間で異常洪水時防災操作は計40回行われていたが、今回だけで6府県の8カ所で実施された。