昨夏の西日本豪雨では、愛媛県を流れる肱川上流にある国直轄の野村ダムの放流が肱川の大氾濫を引き起こしました。ダム直下の住民は、半年を経た今も、この水害がもたらした不条理に苦しめられていることを新聞が伝えています。
◆2019年1月10日 毎日新聞大阪朝刊
https://mainichi.jp/articles/20190110/ddn/041/040/012000c
ー再生の道標 西日本豪雨半年 集団移転、故郷裂く 愛媛、上流ダムの評価分かれ 「防集」不調、自治会解散ー
西日本豪雨の際、ダムの放流で肱川が氾濫し5人が犠牲になった愛媛県西予市野村町地区。昨年暮れ、一つの集落が消えた。高台などへまとまって移る防災集団移転促進事業(防集)を巡り、集落は賛否で二分され、苦渋の選択で自治会を解散した。放流は「人災」との批判も上がる中、ダム直下の住民は、災害がもたらす不条理に今も苦しめられている。【中川祐一】
「忸怩(じくじ)たる思いだ」。先月16日、野村公民館で開かれた集落の自治会「三島町組」の定時総会。組長の藤本一三さん(76)は組を清算することを説明した。
集落は肱川の野村ダムから2キロ下流の右岸沿いに約40世帯があり、昨年7月の豪雨でほぼ全戸が2階まで浸水。2人が亡くなった。
防集の話はすぐ持ち上がった。住民の一部から要望を受け、市は11月まで説明会を3回開催。住民がまとめたアンケートでは、26世帯のうち19世帯が移転を希望した。
「故郷がなくなるとさみしいが雨の日は怖くて震える」。井関千代紀さん(59)は車で避難中、橋上で濁流に1メートルほど押し流された。必死で橋を抜けると欄干まで濁流に沈んだ。あの家にはもう住めない。転居し新居を構える余裕はないし、今の土地も売るのは難しい。制度で市が土地を買い上げれば助かると、集団移転に期待する。
一方、「あの家で生まれ子も育てた」と大塚キクヱさん(70)はここで暮らし続ける。自宅は浸水したが修理を待つ。母(当時81歳)を亡くした小玉由紀さん(59)も畳店を再開。「もうダムもばかなことはしない」。ダム放流やその周知は国土交通省も改善するという。過ちは繰り返さないと考えている。
防集で移転が決まると元の居住地は「災害危険区域」に指定される。住み続けられるが新築は禁止され、新たな転入は見込めず残留する住民だけになる。
「私たちが死ぬのを待つんですか」。残るつもりでいた女性(72)は、11月の説明会で市職員に声を荒らげた。
意見はまとまらず移転は立ち消え状態となった。豪雨で被害の大きかった広島、岡山も含めた3県によると、防集が具体化したケースは把握していないという。リスクはあっても移転先は不便な場所になりがちで二の足を踏むからだ。三島町組では半分以上の世帯が自主的に転居する見通しで自治会の存続は難しいと解散を決めた。
定時総会は「解散式」となり、酒も交えた最後の集いとなった。移転への考えは違えど、長年ともに暮らしてきた。笑顔で抱き合い、涙も流した。最後に藤本さんが言った。「みんなどこに行ってもずーっと近所ぞ」
■ことば
防災集団移転促進事業
被災地住民に、高台など安全な場所へ集団での移転を促す事業。移転先の住宅団地の用地取得や造成費用などの4分の3を国が補助し、残りを市町村が負担する。合意形成や移転先の住居が10戸以上となることが条件だが、新潟県中越地震や東日本大震災では5戸以上に緩和。1972年以来、東日本大震災を除いて延べ35団体1854戸が移転。東日本大震災では27団体8394戸に上った。