八ッ場あしたの会は八ッ場ダムが抱える問題を伝えるNGOです

川原湯温泉の新看板、八ッ場大橋(湖面橋)のたもとに

 川原湯温泉の新しい看板が設置されたとの記事が地元の上毛新聞に掲載されました。
 新看板が設置されたのは、湖面橋となる八ッ場大橋のたもとで、ダム湖予定地の脇を走る国道から川原湯温泉を訪ねると、川原湯地区の打越代替地の入口となる場所です。看板を設置するためにコンクリートを吹き付けた岩は、約2万4千年前の黒斑山(浅間山の前身)の山体崩壊の際の泥流堆積物でした。
 記事とともに、過去の川原湯温泉の看板をふり返ってみたいと思います。

◆2019年8月25日 上毛新聞
https://this.kiji.is/538101446496748641?c=62479058578587648
ー川原湯温泉へようこそ ダム完成控え新天地に大型看板設置ー

 本年度内の八ツ場ダム(群馬県長野原町)完成を控えて川原湯温泉に観光客を呼び込もうと、町などは県道川原畑大戸線沿いの温泉街入り口付近に、「歓迎 川原湯温泉」と記された大型の看板を設置した。ダム建設に伴い温泉旅館や民家はすでに高台の代替地へ移転を済ませているが、新天地での大型看板設置は初めて。温泉街の再生にはずみがつきそうだ。

◎キャッチフレーズ刷新して新天地に
 国道145号から八ツ場大橋を渡り、温泉街へと入る場所に設けた。看板は縦1.5メートル、横4メートルのステンレス製で、岩盤をコンクリートで吹き付けた上に取り付けた。地元の川原湯地区ダム対策委員会商業部会の協力を得て、デザインや仕様を決めた。

 川原湯温泉の看板は、ダム建設を巡る状況とともに変化してきた。代替地への移転前は、吾妻渓谷から温泉街へと入る旧国道145号沿いに看板があった。ダムに水没することを逆手に取って集客に生かそうと「ようこそダムに沈む川原湯温泉」としていた。その後キャッチフレーズを全国募集し、「なつかし あたらし 川原湯温泉」に刷新。そして今回の代替地の看板になった。

 商業部会長を務める川原湯温泉協会の樋田省三会長は「現在、多くの人が八ツ場地域を訪れているが、なかなか宿泊や飲食に結び付いていないのが課題。温泉街再生に向けた一歩としたい」と話している。

—転載終わり—

 以下の写真は、かつて水没予定地にあった川原湯温泉の大型看板です。

 一つ目の写真の看板は、水没地にあった八ッ場大橋(名勝・吾妻峡の上流端)からJR吾妻線の川原湯温泉駅へ向かう国道沿いに立っていました。列車が吾妻渓谷のトンネルをいくつも通過した後、次第にスピードを落としながら鉄橋を超えたところで車内から見える、旅情を誘う看板でした。写真を撮った2005年8月には、背後の山で水没住民の移転代替地を造成中で、看板の右側に代替地の工事看板が立っているところも、いかにもダム予定地らしい風景でした。

 この看板は、上の記事に書かれているように、「ダムに水没することを逆手に取って集客に生かそうと」した、ダム受け入れ後の川原湯温泉の営業戦略を反映したものでした。しかし、2000年度に完成する筈だった八ッ場ダムは、関連事業があまりに膨大であったことから遅々として進まず、看板も古びてしまいました。

 そこで、上の写真を撮った年に、新しい看板に掲げる川原湯温泉のキャッチフレーズを募集することになりました。現在、川原湯温泉の観光協会長となっている樋田省三さんが若い世代の川原湯住民らと代替地での川原湯温泉再建をめざし、テレビのクイズ番組などにも出演して川原湯温泉をアピールしていた頃のことです。
 新しい看板は古い看板と同じ国道沿いの場所に2005年10月6日に立てられました。

〈参考記事〉「脱”ダムに沈む温泉”新キャッチフレーズを」(2005年8月28日付朝日新聞群馬版)
      「なつかし あたらし 川原湯温泉」(2005年10月7日付上毛新聞)

写真=ジャーナリストのまさのあつこさん2007年6月18日撮影。看板の右下に「日本ロマンチック街道」の地図。水没予定地を走っていた国道は、観光ルートである「日本ロマンチック街道」の一部だった。

 この看板は、古き良き温泉街の懐かしい雰囲気と、代替地という新天地での再建をめざす川原湯温泉の心意気を示す看板として、とても評判がよかったのですが、住民とともに代替地へ移転することはありませんでした。
 看板の立っていた国道は2014年11月に廃線になり、水没予定地の川原湯温泉に最後まで残っていた住民が代替地へ移転した2015年2月以降も空き地に残されていましたが、その後、撤去されました。

写真=展望台「やんば見放台」より、2015年3月28日撮影。